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夢の話:再生編


私のブログのカテゴリーに「夢の話」を設けていますが、それは私が子供の頃からよく夢を見るから。
そして、その見た夢をはっきりと覚えていることが多いからです。

子供の頃は、眠くなったら寝る、というのは当然なのですが、就寝時間が割と一定していた我が家では、眠くないときでもみんなと一緒に寝室に行ってベッドに入らなければならないときもありました。

そんな時は、眠っているのか・・・眠れてるのか・・・
意識が半分あるようなないような・・・
どこからが自分の想像でどこからが夢なのかわからないような、不思議な感覚になることもしばしばありました。

そんな中で、たぶん誰でも一度はあると思うのですが、やっぱり強烈にインパクトがあってよく覚えているのは

「自分が死ぬ夢」

なんだか死ぬ夢というと怖いイメージですが、幸いどれも夢の中では「今の私」ではないところが救いかな。

例えば、まだ2段ベッドで寝ていたのを覚えてるのでたぶん小学校低学年ごろ・・・

夢の中の私は大人の女性で、ひきずるような白い(でもかなり汚れてくたびれてた)ワンピースのような服を着ていて、足は素足で、古い、石かレンガでできた円筒型の塔の螺旋階段を上っています。
足取りは重く、もしかしたらかなり老齢だったのかもしれません。

もう十分生きた・・・
たくさんの人たちを見送った・・・
自分の役割ももう終わりにしたい・・・

そんなことを考えながら 塔の屋上から飛び降りるのです。


気がつくと芍薬の花畑がクッションになったのか、私はそこに寝転がってまだ生きていて

ああ・・・まだ終われないんだ・・・
私はやり残してるのか・・・
だから永遠に続くんだ・・・
今度はやり遂げよう・・・と

また前に進んで歩き出し、小さな小舟に乗って、川の向こうからやってくる人たちの道案内(それが仕事らしい)をしています。

子供の頃に見た夢の中ではショッキングな内容で、いつまでも忘れることができません。

もしかしたら「自分じゃない自分の夢」は、このときが初めてだったのかもしれません。

もう一つは

いつの時代かまったくわからないけどまた私は女性で、金髪に近い栗色の髪を、ぶっとい三つ編みみたいな感じにしていて、肩から下の部分を胸の前に回しています。

そして、ひとことで言うと・・・

建物ごと海に沈むのです。

その建物は白くて装飾がたくさん施されていて、でも窓ガラスはなくて窓のような空間があいてるだけなので、あっというまに水没して水が入ってきます。

もう家族に会えないのかしら・・・という寂しさ・つらさと
家族に精一杯の愛情を注げたか、心残りはないか・・・ということばかりを気にしています。

どんどん沈んで、水の中から太陽の光を感じていて
ある瞬間、ふっと体が軽くなり、気が付いたら息ができてる(笑)

水が入ってきたときも恐怖感はなく、諦めに近い感覚で、
なんというか・・・ホッとしている・・・ヘンな感じでした。

こんな夢を見たら普通、海や水が怖くなりそうなものですが、この最期の「ホッと」した感覚のほうが強かったので、スキューバダイビングで深い海に潜っても大丈夫なんですよ☆

他にも「死の瞬間」、みたいな夢はいくつか見たのですが、ひとくちに「死の瞬間」といっても印象は大きくわけて2つ。

「思う存分 生きたか」という、自分の人生に対する問いかけ。

「死は終わりではない」・・・その先にも何かがあるという曖昧な希望。

ぼんやりした過去世の記憶なのか、豊かな想像力で作り上げた物語なのか。

なんにしても、そこから学ぶ・・・ということを積み重ねていきたいなぁ。


そして、今の人生が終わる瞬間には、
「思う存分 生きたよ」と言える人生にしたいですね。

大人になってからこんな内容の夢を見る時はだいたい同じような心理状態のときで、

もっと丁寧に生きよう。

やれると思えることはやってみよう。

そんな気持ちに切り換えられるようになるのです。

「自分が死ぬ瞬間の夢」は一見怖い体験の夢のように聞こえますが決してそうではなく、「再生」へのチャンス、タイミングなんだと受け止めています。

夜寝ているあいだにこんな夢を見て意識を切り替えられる私って
なんて単純なのかしら(笑)


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