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12月13日徒然日記 幸福感を感じるとき

 闘病後初の外食。
 一度行って気に入ったガストロノミーレストランに行くことに。ここは、イタリア人の料理人が作るフレンチガストロノミー。

夫もお気に入りのレストラン。店内雰囲気も落ち着いていていい。
なんと言っても、お料理がどれも美味しい。目からも舌からも美味である。

フレンチガストロノミー(French Gastronomy)とは
フランス料理の伝統的な調理技術、文化、芸術、そして食事そのものを指します。これは単に料理だけではなく、食材の選定から調理、盛り付け、そして食事の提供方法に至るまで、フランス独自の美意識と哲学を包含する概念です。

2010年には、「フランスの美食術」がユネスコの無形文化遺産に登録され、その価値が世界的にも認められています。フレンチガストロノミーは、フランス文化の中核に位置し、以下のような特徴を持っています。

特徴
1. 食材へのこだわり
地域ごとの新鮮で高品質な食材を厳選。季節感を重視したメニュー作り。
2. 調理技術
ソース作りや煮込み、焼き加減など、細部に至るまで技術が洗練されている。クラシックな調理法(例:エスコフィエの技術)が多くの基盤となっています。
3. 食事の構成
前菜、メイン、チーズ、デザートなど、コース形式で提供されるのが一般的。バランスの取れた順序が重視されます。
4. 盛り付けと美的感覚
料理の見た目が重要視され、視覚的にも楽しめるように工夫される。
5. ワインとのペアリング
食事に合わせたワイン選びが食体験を完成させる要素として大切。
6. 食文化としての体験
家族や友人と一緒に食卓を囲む時間を大切にする。食事は単なる栄養摂取ではなく、社交や芸術の一部とみなされています。

歴史的背景

フランス料理は、中世の宮廷料理を起源とし、ルネサンス期にイタリアから影響を受けました。その後、17世紀から18世紀にかけて、料理人フランソワ・ヴァテールやマリー=アントワーヌ・カレームのようなシェフたちが洗練されたフレンチガストロノミーの基盤を築きました。19世紀にはオーギュスト・エスコフィエがその技術を体系化し、現代のフレンチガストロノミーに繋がっています。

フレンチガストロノミーは世界の高級料理の基準とされ、多くのシェフや料理学校がその技術や哲学を学んでいます。

ChatGPT

 若い頃から少食なので、量で勝負のビストロやブラッスリータイプのレストランより、高くてもフレンチガストロノミーが好み。
 フランスはカジュアルなブラッスリーやビストロでも日本の倍の料金はする。気軽に外食とはいかない。少々お高くても満足のいくサービスで美味しい料理を食べたい。
 私たち夫婦は食事にワインを合わせ、しかも食前酒にグラスでシャンパンとか飲んでしまうので、昼食でも二人で200ユーロ軽く超えてしまう。

今回も例外なく😆寛解を祝うという名目で?シャンパンで乾杯🥂


 シャンパンで、食道が沁みることなく、癌だったことさえ嘘みたいに痛みもない。
 普通に食事ができることがどれほど幸せなことなのかを痛感した。
 食事はとても楽しくて、幸福感で満たされる。やっぱり、素敵な空間で、目からも舌からも美を味わい、食事にあったワインを堪能する。これが好きなんだなと実感した。

1. Poitrine de cochon de la maison Ospital confite à l’orange, oignons frits, crème de lentilles
オスピタル農場産豚バラ肉のオレンジ風味コンフィ、フライドオニオン、レンズ豆のクリーム

2. Dos de cabillaud rôti, huil de coriandre, fenouil rôti, boulgour au citron confit, carottes sanguines
ローストしたタラの背身、コリアンダーオイル、ローストしたフェンネル、塩漬けレモンのブルグル、小さな赤いニンジン

3,Bonite de méditerranée jusste saisi, pulpe de céleri. poireaux rôti, salade de jeunes pousses
地中海産のボニート(カツオ)の軽い焼き、セロリのピューレ、ローストした西洋ネギ、若葉のサラダ

4. Chateau La Nerthe (chateauneuf-du-Pape)
プロヴァンス、コートダジュールの白ワイン

1と3は前菜。わたしは1を夫は3を選択。1の豚バラ肉のコンフィは口のなかで蕩け、脂身が好きではないわたしでも美味だった。白ワインにも合って「めっちゃ美味しい!」としか言葉が出てこない!
 メインはふたりとも2のタラを選択。言わずもがな、美味でした。

生きる意味を考える

 癌になって今まで漠然としていた死期というものをはっきりと自覚するようになった。あとどれくらい自分が生きられるのか神のみぞ知ることだろうけど、いつどうなってもいいように準備だけはしておかなければという気持ちが強くなっている。

 年末に日本に帰った際は、色々と片付けておかなくてはいけないことが山積みだ。それを片付けて、日本に帰国できない事態になったとしても大丈夫なようにしておくこと。
 ひとりきりになってしまった母に親孝行すること。
 母より先には逝きませんようにと神頼みもしておかなくては!

 寿命が続いている間、我慢ばかりして再発を恐れて生きていくことはしたくない。生きる意味とはなんぞや?ということを意識するようになる。
 食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、運動もしてあとどれくらい生きるのかわからないけれど残された時を楽しく過ごしたい。
 そんなふうに改めて切実に思った。
 苦しみながら我慢を虐げられることが生きつづける意味ではないはず。
 そんなことを考える。
 ようするに、残りの人生楽しみたいってだけなのかも。

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