人狼と多様性
久々のnote。しかしこんなん書いてる時間があったら冬コミの原稿を進めた方が良いのではないか…?(そもそもnoteとか文章発表する媒体も使わずにコミケで小説orSSサークルやるって正気か…?)
最近、というか昔から思っていたことがそのまま人狼にも言えるな、と思ったこと。
流れとしては「人狼と正義」の続きになるかもしれませんが、別に読んでなくても読めます。
人狼には人生観がそのまま表れる、という思想の前提だけ提示しておきます。
人狼ゲームをやっていると、時々目にする「プレイヤーはかくあるべき」論。
多様性を愛する私としては、そういった風潮に対しては反骨精神を見せびらかしていきたいと思いつつ、別に立場や理論から真向反対するわけでもなく。それこそ多様性なので。
また、一応対面・zoom・オンラインゲーム・通話等様々な手法、店舗・身内・オンライン等様々な人種に触れて、その中で思った、みんな違ってみんないいの話をしたいと思います。
雑に言って、GMがいる、店舗であるといった状況では丁寧・礼儀正しい・協調性がある人間が集まりやすく、一方でダメ出しや強めの議論は避けられる風潮があります。場所にもよるけど。
一方、オンライン(完全野良は配信でしか見たことないのでエアプです。身内で某誘惑されるやつやろうとして荒らしに遭ったくらい。そういう界隈っぽい人たちのところに知り合いツテで顔出したくらい)の方が議論圧が強く、人によっては不快な思いをするかもしれない。が、経験値は多く得られそう。
これは前者の言論の方が目に入る環境だから思うことかもしれませんが、多少議論態度が悪いとか終わった後にダメ出しするとか、程度問題ではありますがそれらを全否定して「綺麗なプレイヤーだけの世界」にしようとするのは嫌だなあと思っています。
多少攻撃性がある人も、あるいは議論が苦手な人も、切磋琢磨してレベルを上げたい人も、仲良く楽しくやるのが目的の人も、陽キャも陰キャも、多弁も寡黙も、みんな違ってみんないい。
多様性を認めるということは自分にとって嫌なもの、不利なものも認めるということ。これは実社会でもそうですね。
みんな同じようなテンションで同じようなプレイスタイルで人狼をやるのが一番嫌だなと感じています。全員ハイテンション陽キャは気持ち悪いと思うけど、一方で全員寡黙じゃゲームにならない。誰だって必要な役割になれる。
議論妨害や意図的利敵(無気力等)までいくと心象は悪いけど、その程度を議論するのは今回の意図ではないのでやめます。開眼までいったらもうゲーム破壊してるしね。マナー以前の問題。
言いたいのは、自身を曲げてまで「良きプレイヤー」であろうとするな、ということ。他人に迷惑をかけない範囲で、自分の個性をそのまま出した方がコミュニケーションとして善いあり方なんじゃないかなと思っています。
(ただ店舗側がマナー教育をするのは、トラブル回避や客離れを避けるための配慮だと思うので、そういった商売的事情で否定はしないです。実店舗じゃなくても金銭が発生すればそうなりますね)