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緘黙の後遺症

私が感じる後遺症について綴ろうと思います。
16歳でだんだんと声が出るようになって。
18歳の頃には会話はできていたのではないかと思います。
しかし、高校でバイトをしていたんですが、突発的に声が出なくなる場面が時々起こっていました。無謀にも接客のバイトを選んでしまったのです!それで、時々波のようにやってきては「いらっしゃいませ」と発する言葉が出なくなってしまったのです!しかし、声が出る時、出ない時でまちまちでした。不思議にも、お客さんから話しかけていただいたときは、会話ができるのです。
そんな状態が出始めて、バイトは気にいってたのですが、泣く泣くやめるしかありませんでした。
店長さんにも何で辞めるのか聞かれても、このような状態になっているからなんて、恥ずかしくて、とてもとても言えませんでした。
2つ目のバイト先でも、やはり同じような現象が起こりました。またしても、数ヶ月でここもやめます。
学校へ進学するため、18歳で上京しました。
ここで始めたバイトは不思議なことに、突発的に声が出なくなるような状態にはなりませんでした。
何故かはわかりません。
しかし、上京が関係あるような気もしますし、バイトをやり続けた結果が、リハビリとなっていたのではないかと思います。
緘黙は「今いる環境から変える」とよいと、ネットを漁っていたときに見つけました。
私の経験上、環境を変えるということは、一度生まれ変わって死ぬような、とてもとても、勇気のいる行動でした。
最初は、環境変えちゃったけど、どうしよう。でもこんなチャンスは二度と来ない。えーい、飛び込んじゃえ。死んだっていいもん。って、このような感じで、心臓が毎日バクバクでした。毎日が戦場に行くようでした。
私は、高校進学時、上京時と10代に2回も環境を変えています。
しかし、なんとなく、直感で、住むところを変えたい!と思って後先考えずに行動に突っ走っていました。
母は私の思いをどこまでくんでいたのかわかりませんが、一切の反対もなく、自由にやらせてくれました。
そのおかげで、今、命があり、繋がっているのだと思います。
ところで、私は今30代後半になりました!!笑
後遺症はあるのか??
それは、あります!
声が小さい、声が若いと言われます。
声帯を使ってこなかったせいでしょうか。
人からアニメ声とよく言われます。
もう、貶されているのかよくわからないので、気にしないことにしています。
一番の恐怖であった、声が出なくなることがなくなったので、そこは恐怖に怯える心配もなく生活ができています。
あとは、図太い声を鍛えるのみです!
会話ができるようになった今では、一つ一つの何気ない会話も大切にしていきたいですね。



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