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声が出ないこわさ
私は幼稚園から中学まで場面緘黙でした。
声が発することができなかった原因についてよく考えてました。
まずは、不安全般障害にも分類されているように、不安という恐怖感が強いのです。
①恐い→喋れない
②ずっと声が出ない人が喋ったら変に思われるという恐怖感
③もうどうでもいいという絶望感
この3つがあったように思います。
②は恥ずかしいとか変に思われてしまうなど、極度のシャイ+プライドがあった気がします。
③の絶望感は話せない月日が長いほど出ます。
②と③については、前回書いたように環境の変化を試みるといいように思います。
恐さってなんだろう。
問題は①です。
この恐さって、普通の人には分かりにくいのですが、要するに「人の裏が見える」ような感覚が幼稚園の頃からありました。人の醜さ、ずるさ、弱さのようなものが透けて見えるようでした。
また、この人はこうしてほしいんだろうな、こう思ってるんだろうなっていうのも感じていました。
故に、人間は恐いと小さかった私は敏感に感じすぎて、口が貝のように閉じてしまったのかもしれません。
この頃は一番仲の良かったお友達がいたのですが、その特定のお友達とは話せていたのですから、それが不思議です。しかし、家族とその子以外とは絶望的に話せませんでした。
話せる、話せないの境界線
友人は心からの信用できる人であったのでしょうか。
遊戯療法というのがありますが、私は受けてはいないのですが、あまり意味のないものだと思います。
これをすることで声を出してほしいのだろうと、理解しているからです。よって、ストレスなのです。それよりも、信頼を深める方が大事なのです。
では、どいしたら信頼を深めることができるのか?
それは、「愛」を感じるかどうかです。
じゃあ、その愛ってどうやるの?
それはわかりません。
ただ、心に届くかどうかです。
そして、その愛は継続的に必要です。
なんだ、愛かって思うかもしれません。
ですが、愛ほど難しいものはないでしょう。