知ると区分わけと正解

さびしさを何とかしようとしない。

というのはどういうことかというと
そこに豊かさの源泉があるから。ということらしいが、
私には意味がわからない。豊かさの源泉って何?
でも恐らく、このフェーズに来ている人は、ああそういうことね!と腑に落ちるのだろう。

世の中には意味がわからない言葉が溢れてる。
自分自身がそれを理解できる区分わけに入っていないと意味がわからないのだろう。いや、もしかしたら、私だけが理解できないのかもしれない。
隣の人は、すれ違う人は、あの人やあっちの人はどうなんだろうか。


自分が腑に落ちない言葉を自分の口から出している時って、上滑りする感覚がある。
そんなことを意識してしまう私が変わってるのかもしれない。

言葉を話す生き物で、その言葉で意思を疎通させようとするけれど、そもそも自分の感覚や概念、価値観でしか物事を見れない、捉えられないことが多分にあるのが人だから、実のところは何を話していても、自分の感じているまんまに相手が受け取ることなどない。

花を見て綺麗!と感じたその感覚は、どれだけ気の合う友人やパートナーともまったく同じではないし、愛しているの言葉の感覚も、大切にしたいという思いも、どうしたっても自分と同じではないんですよね。

ああ、そうか。(頭で知ってたことを身体がだよね!っていうこの感覚は面白いと思う。)
意味を、その感覚をわかろうとしても無駄ってことか。
だって、わかりようがないんだもの。

その言葉が持つ意味を自分なりにわかったように思えたことでさえ、また先には「あれ?違うわ」となることもしばしば。
言語の上に生きていると言っても過言ではない私が、じゃあその言語に振り回されないでいるためにどうするのか?

絶対的な正解があると信じないこと。なのかもしれない。

どうしたっても同じがない「人の感覚や概念」とともにある言葉。
きっとどんなに説明されたところで、まったく同じに見える結果が出ても、自分がそこに行きつくまでの経験の感覚は、誰とも同じではないのだから、やっぱり正解はないということ。

そもそも
正解でなければ、、、
意味がわからなければ、、、
いったいどうなってしまうと自分は怯えているのか。そっちに気付くほうが大事だよね。

yuriyumiko


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