「どうやったら」を考える
アドラー心理学のクラス経営③
「〇〇さん、全員がこちらを向いたら教えてください。」
そう言い放ち、黒板の前で教科書を見始めた。
音楽の授業。
鍵盤ハーモニカを勝手にピープー吹き鳴らす児童が2人。
全くやろうとしない児童が1人。(その子も同じように勝手に吹き鳴らす場面があった)
いつもの私なら、堪忍袋の緒が切れていただろう。
「立て!」
「鳴らすんじゃない!」
怒鳴り声を上げていただろう。
しかし、アドラー心理学のクラス経営を行なっていくと覚悟した私はそのような声はしなかった。
落ち着いて、冷静に子どもたちを見つめ上のように言ったのだ。
子どもたちは困惑していた。
任せられた子は一生懸命に後ろを見て全体を見渡していた。
しかし、だ。
うまくはいかなかった。
勝手な行動をする児童が横行し始めたのだ。
よしゃ!先生は見てないから喋れるぜ!
そう心の中の声が聞こえるかのように…。
あの時の選択はあれでよかったのか。
疑問が残った。
裁判にすることもできた。
それでは彼らが辱められる。
だから、その選択はしなかった。
では、どうしたらよかったのか?
この「どうしたら」が大切だと本書でも述べられている。
見解を述べると、
①音楽のシステムをそのまま変える。
歌→鍵盤ハーモニカ
②吹いている子のハーモニカを閉じさせる
③立たせて吹かせなくさせる
④個別に選択をさせる
⑤みんなに今の気持ちを聞く
⑥意見をしっかり聞かせた上でどうするかを尋ねる
②と③は対処であり、⑤と⑥は一つの協力である。
彼らはみんなにアイデアを求めてもそもそも困ってないので、募っても聞かない。
再度同じことを繰り返すだろう。
もう一度言う「どうしたら」彼らを活動に参加させられるのか。
考え、実践していく。
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