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「授業を考える」その根っこ
教科書を使うにしても、コンテンツを作成するにしてもどちらも「授業」に変わりはない。
私がよくやってしまう間違い、それは“自己満足”に終わる授業作成だ。
完成したら、「やっと完成した!」と悦に浸ってしまう。
何時間もかけて作った1つの授業はその時だけ輝いて見える。
皆さんはそんな経験があるだろうか?
私は本日の校内研修で授業を考える上での「根っこ」の存在に気づかされた。
今日はそれについて綴っていく。
授業を考案する上での根っことはいかなるものか。
少し考えてみていただきたい。
私はその時は、流れがスムーズであるとか子どもに寄り添った展開などと思っていた。
しかし、その考えは講師の言葉によって崩された。
講師はこうおっしゃっていた。
「授業を考える上で最も大切なのは
先生方のクラスの中で最もできない子ができるかどうか
です。」
私は久しくこの言葉を聞いた気がした。
様々なセミナーにいく中で授業が上手い方、そのほとんどの方がおっしゃっていた言葉だった。
クラスの中で1番にできない子に合わせた授業とは違う。
その子も“できる”授業が大切なのだ。
授業作りのスタートラインは「1番困っている子ども」を思い浮かべることだ。
まずはそこから頭を働かせ、それを通して授業で扱う教材、発問・指示などの細かな部分を考えていく。
クラスの子は私の授業で学習できているだろうか。
その子もできる授業となっているだろうか。
自閉症スペクトラムの女の子はページを探すのですら、時間がかかり、時にはどこのページを見て良いかわからずにパニックになってしまう。
字をほとんど書けない男の子は鉛筆を持つ力がないから、満足のいく漢字が書けずにいる。
字が読めないから1年生へのメッセージが書けずに止まってしまう男の子もいる。
そんな子たちが「できた!」と満足できるだろうか。授業を創作できているだろうか。
1つの授業を作る際、「1番困っている子」をまず想定する。
その視点を忘れずにこれからの授業を思考していく。