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現実を知り自分を変化させよ
子どもを褒めよ。
読書をしても、セミナーを受けても、そして職場でも反芻されるこの言葉。
今日は電車の中で、自分の算数の授業を聴いていた。
百玉そろばんの場面だ。
褒められた、そう感じる子どもは皆無であろう。
そんな印象を耳から受けた。
その時の授業場面を思い出しても、子どもたちの嬉しそうな表情や声は鮮明には出てこない。
スマートに知的な姿で授業をしていきたい。
その想いが前のめりになりすぎている感じがする。
なんとなく子どもたちを“上から”見下ろしている。
それが言葉の節々からわかるのだ。
“よろしい”
この言葉を何度も使う自分がいる。
2年生に、だ。
子どもたちが言われて嬉しいのが、褒めである。
きっと余裕感が、ゆとりが足りないのだろう。
強くありたい。
賢く見られたい。
あの先生のようにスマートに授業を流したい。
なんと自分本位なのだろう。
子どもたちにとってその教室で、その空間で褒めてほしいのはまず“私から”ではないのか。
意識が足りない。
下手でもいい。
まずは褒めないといけない。
変わらなければいけないのは、子どもからではなく、“私から”。
子どもたちはそれをなによりも望んでいるのだから。