私を変えてくれたたった1つの修行法①
皆さんは子どもからこんなことを言われた経験はあるだろうか。
「先生の声を聞くと頭痛がする。学校に行きたくない。」
初任の時、保護者から電話越しでそう言われた。
その子は書字が苦手で、算数や国語の際、両手で頭を抱えていた。
私は懇切丁寧に教えた。
しかし、その思いは彼には届かなかった。
職員室で泣いた。
後悔で満ち溢れた。
しかし、今は違う。
覚悟が違う。技量が違う。
なぜ変化できたのか。それは1つの修業法と出会ったからだ。
そのストーリーを綴っていく。
1.自己満足
初任の頃から私は絵に描いたような「真面目」であった。
試験に合格したその日から高い料金を払いセミナーに出かける日々を送った。
現場に出てからも休日は本を読み、セミナーに出かけ、時折レポートも書いた。
当時の私の心境である。
自分よりも頑張っている教師なんていない。授業力も学級経営力も伸びてきている。成長している。
今思えば、自分に満足していた。いわゆる自己満だ。
しかし、それは認められた自己満足ではなかった。
結果に伴う代物とは違う。空っぽの満足感だった。
そんな私に悲劇が襲う。
2.バスの中で
ある社会科見学の帰り、私は自分のクラスで備え付けのマイクをもち子どもたちと帰り道を楽しんでいた。
すると、座席中央の方からこんな声が聞こえてきた。
「〇〇菌!〇○菌!」
男子複数人の声だ。
言われているのは1人の女の子。
遊びの範疇かな?
私はそう思い止めなかった。
当時HIKAKINが流行っていたのだ。
バスを降り、子どもたちを返す。
新卒初任で社会科見学の全てを任され、3クラスを無事に家に帰せた。
そう安堵したのも束の間、私はみんなが校門を出た後、先ほどの女の子を呼び止めた。
今でも思い出す。あの光景を。
鮮明に、だ。
私は聞く。
「何かバスの中で遊んでたね。」
その子は頷く。「うん。」
「なにして遊んでたの?」
「えっとね…。」
「何か嫌な気持ちになること言われた?」
「う〜ん。わかんない!」
その子は笑っていた。涙目だ。今にも泣きそうであった。
「先生ね。あなたのことを〇〇菌ってあの子たちが呼んでいた気がするんだけど…。」
続きを言おうとすると、その子は泣き崩れた。
我慢していたのだ。その時なんと言えば良いかわからなかったそうだ。
実は4月に全く同じケースでいじめがあった。
対象は同じ女の子。
辛く苦しいのは当然その子だった。
私は涙を堪え、
「また電話するね。」と言いその子を帰した。
職員室のドアを開ける。
「お疲れ様〜!今日は本当によく頑張ったね!」
ともに組んでいた元気溌剌ベテラン先生にそう言われた。
「ほら!足元さんのためにケーキを買ってきたんだ。みんなで食べよ!」
私は意を決して先ほどの件を伝えようと口火を切った。
「あの…実は…。」
この瞬間に涙がでた。教師になって初めてだった。
こんなにも人間は涙が出るのか。そう思いながら立っていられなかった。
その場で蹲り、私は号泣した。
教師である自分に初めて絶望した。
3.教師であり続けたい
2度も同じことを起こし、2度も1人の子どもを傷つけた。
教師失格だ。心の底からその思いが沸き起こっていた。
渦巻いていた。
辞める
この3文字が浮かんだのもこの時だった。
しかし、それでも諦めきれなかった。
子どもが好きでこの業界に入った。
自分を救ってくれたのが教師だった。
教師となり教師として過ごし恩返しがしたかった。
誰よりも頑張ってきた自分。その姿は嘘だった。
もう一度原点に戻ろう。
私は発起し、まず何から変えていくべきかを考えた。
そしてたどり着いた答えがこれだった。
そう、授業である。
つづく…。