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青の記録(第七章)
春が来て高校二年生へと進学した。
新一年生が入学し、バンド研究会にも後輩が入部してきた。
しかしこの部活は基本的に学年を跨いだ交流は皆無に等しく、結局卒業まで後輩とは話をする機会はなかった。
高校二年生になり、クラスメイトも変わったので、また色んな人をバンドに誘ってみたが誰からも色良い返事はもらえなかった。
それもそのはず。
先日の『卒業生を送る会』でのミスが悪いイメージとして植え付けられていた。
二年生になって部室のスタジオを使える時間が増えたが、同期の部員は皆、幽霊部員となり、結局僕の個人練習スタジオと化していた。
誰に聴かせるでもないギターを弾いたり、ドラムを叩いてみたり、時にはベースを弾いてみたり。まさに八方塞がりだった。
一年前の夏にトラウマとなるバイトを経験したが、結局、欲しい機材なんかを買う為に、今度は知り合いの紹介でコンビニのバイトを始めた。
コンビニのバイトは思ったより順調で楽しかった。
機材費はすぐに貯まったが、バイトは辞めること無くずっと続けた。
音楽活動がうまくいかない中、エネルギーを発散させる場を求めていたのかもしれない。
結局、週5くらいでバイトに入り、バイトが中心の生活になっていった。
当然、成績はガタ落ちだった。
今思えばこのエネルギーを勉強に振り向ければ良かったのだろうけど、
「こんなクソみたいな高校に行ってる意味なんか無い」とか思っていた。
成績は落ちるところまで落ち、親の呼び出しを食らうようになった。
当時のクラス分けは成績順で決まっていたので、もっとレベルが低いクラスに編入させるとかそんな話だった。
いい加減バイトを辞めろと親にも言われたが、結局シフトを少し減らしただけで辞めることは無かった。
そんな中、あまりにも荒んだ生活振りをみかねたバンド研究会の顧問から「コンテストに出てみないか」との打診があった。
「TEEN’S MUSIC FESTIVAL」
今でいう「閃光ライオット」の様な、10代限定の音楽コンテストである。
どうやらバンド研究会は毎年、誰かしらがこのコンテストに出場しているようだった。
最初はバンドは組めてないから、という理由で断ろうとしたが、顧問から言われた言葉が少し響いた。
「ソロの弾き語りで出ればいい。君はどう思ってるか知らないけど、あの『卒業生を送る会』、随分と評判良かった。確かに一番目立つところでミスしたけど、そこ以外はかなり良かった。」
マジか。
まだ続ける価値はあるのかもしれない。
何ヶ月も放置していたアコギを引っ張り出し、申し込み用紙に必要事項を書いて提出した。