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青の記録(序章)

毎年のことだが、この時期になるとギター(ベースかも)を背負った学生をよく見かけるようになる。

文化祭のイベントは、今思い返すと、一番音楽が楽しかった時かもしれない。

ちなみに僕が通っていた高校は、愛知県名古屋市にある高校で、そこでは今で言う軽音楽部があり、僕はそこに在籍していた。

ちなみにこの部からは、あの有名なバンド、緑黄色社会が生まれている。

今で言う、と変な意味に聞こえるかもしれないが、当時は「軽音楽部」ではなく「バンド研究会」という名前だった。

この名前だけ見ると、好きなバンドについて語り合う様な部活みたいな感じだけど、実際にはただの軽音楽部で、部室にはラック式のドラムセットとフェンダーだかのアンプが2,3個置いてあり、普通の音楽スタジオみたいな感じだった。

ただ、部室棟みたいな校舎の一室がそうなっているだけで、しかも周りには囲碁部だとかの文化系の部活の部室も普通に並んでいたのだが、僕達の部室には特に防音設備などは無く、爆音がダダ漏れの状態で練習していた。
なぜ苦情が来なかったのか未だに謎である。

ちなみにいつ頃かはわからないが、後に改名されて今は「軽音楽部」という名前になっているらしい。

そんな我らが軽音楽部もとい、バンド研究会であるが、当時は幽霊部員ばかりの零細部活で、僕が卒業する頃には正式に在籍としてカウントされている部員は僕一人だけというレベルであり、よくあんなところから、今や紅白にも出演するメジャーなバンドが誕生したなと同窓会のネタになる始末だ。

ちなみに人生で唯一、「部長」という存在になったのもここである。一人部員兼一人部長というマルチプレイヤーぶりである。

前置きが長くなったが、こんな中で僕の音楽活動は第一歩を踏み出したのだった。

いつものsnsでの発信に加えて、このnoteを読んでくれているあなたには、とてもありがたく思っている。せっかくなので今までのルーツを読み物として面白く読んでもらえたら、と思う。

その為、今に至るまでの記録シリーズをこれから何回かに渡ってお届けをしていくので、暇な時の読み物になればと思う。

お楽しみに!

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