モキュメンタリー 1
妻であったさおりと出会ったのは大学でだった。文芸サークルで出会い卒業後結婚した。さおりという女性を一言で表すと(ちょっとイタイ人)だった。人との待ち合わせの時、モデルのポージングを真似して待ってたり、偉人の名言を日常会話に入れてきたりする人だった。極め付けは考えていることがすぐに顔に出てしまう人なのに、笑顔を作るのが得意だと思っていた点だ。楽しい時も苦しい時も笑顔で対応していた。ただ苦しい時は明らかに苦笑いではあったけど。最初はそれを愛おしく思った。だから結婚を決めたんだけど、それも15年も経てば変わる。好きだった部分は嫌いになり、愛おしい記憶達は思い出したくない記憶達に変わっていった。離婚しない理由も子供がいるからという理由だけになっていった。そんな日常に変化が訪れた。
さおりが買い物から帰ってこなくなった。
私はその日は仕事が休みで、リビングでTVを見ていた。
「買い物に行ってくる」
とさおりは言うと
「いってらっしゃい。」
と私は言った。その後さおりは自宅から15分くらい歩いた場所にある最寄りのスーパーに買い物に出掛けた。いつもなら1時間くらいで帰ってくるのに2時間経っても3時間経っても帰ってこなかった。私はその日夕方、学校から帰ってきた娘と一緒にさおりを探しに出掛けた。
さおりはすぐに見つかった。自宅と最寄りのスーパーの中間ぐらいに位置する公園にいた。
「お母さんどうしたのこんなところで、帰ってきてもお母さんいないから心配しちゃったよ。」
と娘がすかさず母親であるさおりに声をかける。するとさおりは
「よかった迎えにきてくれて、ここがどこでどうやって帰ればいいのか分からなくなってたのよ。」
と私たちに伝えた。
「何を言ってる?子供じゃあるまいし。どこか分からないって毎日のように近くを通ってる公園じゃないか」
と私はさおりに小言をいった。
「お父さん!もうちょっと言い方を」
と娘が言った。
そういえば娘からは最近よくそう注意される。結婚してその翌年産まれた娘は、現在高校生だ。自分の子とは思えないほどしっかりした子だ。思春期真っ盛りのはずなのだが、父親を嫌悪することなく母親と喧嘩することもなくここまで来ている。最近では母の手伝いをすることも多く、家事や買い物も行ってくれたりする。
「どっちが手伝ってんのか分かんない。」
そういえばさおりがこの間そんなこと言ってたな。
そんな回想をしている間に自宅に着いた。さやかをリビングまで連れていき、テレビのソファの前で休んでもらった。私はさおりが買ってきたものを冷蔵庫に入れはじめた。すると娘がスマホの画面を見せてきた。その画面にはこう書かれていた。
「お母さんを病院に連れて行こう。これ初めてじゃないの。」