わがまま(硬貨の使い道追加エピソード)

「面会が認められている時間は原則として30分です。それでは開始してください。」
刑務官の指示とともにある殺人者との面会はスタートした。その殺人者の名前はZ。彼は宮部さんの恋人だったはずの人だ。僕はインドに旅行に行っていた宮部さんと合流し数日共に過ごした。そして帰り際の空港で僕は宮部さんとある約束をしたのだった。
「僕も一緒に行くので、事件を起こしたあの男の人に会いに行きませんか?もちろん日本に戻って来てからの話です。」
僕はそういうと宮部さんは首を縦に振ってくれた。僕は宮部さんからのプロポーズを受けた。外国の硬貨を人づてに渡されるという変わったプロポーズだったけど、すごく嬉しかった。でも僕の心には引っかかりがあった。事件を起こしたあの男の人のことは無視したままで良いのだろうかと。だからこの提案をした。そして今日ついにあの男Zと面会をする日が来たのだった。
面会がスタートして数分間は、面会室にいた刑務官を含めた全員は口を閉ざしたままだった。刑務官は当然として、僕たちもなんとなく言葉を発しづらかった。でもこのままではらちがあかないと思った。だから僕は思い切ってZさんに話しかけてみた。
「Zさん初めまして夏目と申します。現在宮部さんと仲良くさせていただいています。本日伺った理由はですね、宮部さんとすこし話をしていただきたいなと思ってきました。事件の詳細とかなんで殺したのかは、お話しいただかなくても良いです。ただその代わりにZさんの幼なじみであり恋人だったはずの宮部さんとなんでも良いので言葉を交わしていただけませんでしょうか?」
僕もすごくわがままな申し出であることは分かっていたが、上手い言い訳が思いつかなかった。そしてこの言葉はZさんに対しての言葉でもあったが、宮部さんはに対しての言葉でもあった。どちらもあの事件以来まともに言葉を交わしてないはずだった。例え言葉を交わして、悩みが解決できなくても、せめて折り合いがつけれるようになってほしかった。それが宮部さんのためだとは思わない。この件に関してはどこまでいっても僕の我儘でしかないのだから。それから少し間をおいてZさんは話し始めた。
「そういうことなら少し話をしようか。ただあまり期待しないでほしい。大した話ではない。今から話すのは何もドラマチックじゃないありきたりな昔話だ。」

「産まれた時の記憶なんて当然ないから物心ついた頃からの話をするね。今も昔も僕には両親もいて弟もいて親戚も大勢いたんだ。その人たちが借金取りに追われてたわけでもないし、罪を犯している人がいたわけでもない。はっきり言って恵まれてる環境に産まれたと思うよ。でもねなぜか分からないけどその人達からの愛情を感じないんだ。私は拾われた子ではなく、両親と血の繋がった子供だ。愛情自体は本当は受けてるはずなんだ、でも感じなかった。私の周りにはいつも誰もいなかったし、私の声を聞く人はいつも周りにいなかった。恵まれた環境にいるはずなのに、僕の手にはいつも何も握られていなかった。そんな中で生活していたせいか、いつも死について考えていたよ。当たり前に貰えると思ってた愛情を何も感じることはできなかった私は、いなくてもいいんじゃないか?地獄が本当にあるのなら、死んで地獄に行ったほうが、何か手に入れられるんじゃないかなってね。そんな時間を無限に過ごした後、宮部に出会ったんだ。彼女いつでも明るくて、いつでもみんなの注目の的だった。そしてなによりみんな宮部のことが好きだった。まるで私と正反対だと思ったよ。当たり前のよう宮部の周りには人がいて、宮部の言葉に耳を傾けていた。そしてなによりみんな宮部そのものを愛していた。両親からの愛情を感じなかったせいか、愛情というものの形を僕はよくわかっていなかった。だけどもしかしたら僕は宮部を愛しているのではと思ったから、ある日告白してみたんだ。そして付き合った。それから暫くして何度も体を重ねたよ。ネットや本の知識を使って、できる限りより良い成果を得ようと思ってね。だけど何も感じなかった。まだまだ僕の手には何も握られていなかった。だけど転機が訪れたんだ。それは宮部と付き合っていた最中に始めたマッチングアプリで出会った女性が運んできてくれたんだ。」

「その女性の見た目や性格にははっきり言って全く興味がなかった。お金も身体も好きではなかった。ただ興味をそそられたのは少しマゾヒストの気質があったんだ。特に行為の最中軽く首を絞めるプレイが好きだった。そしてそのプレイは私も好きだったよ。その女性の首に軽く手を添えた時の興奮はいつも凄いものだったよ。初めての時なんかはそれだけで果てたからね。あの瞬間は初めて自分の手に何かが握られてる気がしたよ。私がずっと欲しかったものがここにある。そう思って回数を重ねるごとに手の力は強くなっていった。そして死んだ。締めすぎたんだ。でも私は満足だよ。かなり満たされている。私はようやく人間になれたんだ、今はそう思ってる。そして人間になれた今だからこそ、分かることがある。私は宮部のことを愛していたみたいだ、初めて会った時からずっと今この瞬間もね。だから宮部の首は絞めなかったんだ、あの快感を知った後もずっと。そして彼女でなかったことにもした。僕ができる愛情表現はこれくらいしかなかったからね。君、夏目って言ったっけ宮部のことよろしくね。君なら解っていると思うけど、明るくて純粋なすごく素敵な女性なんだ。幸せにしてやってほしい。僕なんかが言っても仕方ないんだけどね。でも頼むよ。」
こうしてZさんの吐露は終わった。Zさんはこれ以降なんの言葉も吐かなかった。僕は
「任せて下さい。」
と言うと宮部さんはぼくの服の裾を掴んだ。そして宮部さんはここにきて初めてZさんへの言葉を吐き出した。
「今までありがとうございました」
とても震えた声だった。とてもか弱い声だった。でも新たなスタートをきる為に必要な覚悟は感じることはできた。面会時間はそこで終了した。僕らは促されるままに面会室を後にしそのまま外に出た。そして雲ひとつない青空の下で僕らは初めて唇を合わせた。