6歳の娘が時折、僕を追い越して
娘は、昨年末に6歳になりました
そして、 #スイス生活 をはじめて、丸1年も過ぎました
つい先日に催した娘の誕生日会には学校のクラスメイト13人を招待し、彼女のひとつ増えた歳を祝うだけでなく、新しい友達をつくり、慣れない海外生活というチャレンジを1年やり遂げたという逞しい成長を見届ける機会でもありました
初めてであろう、人生の壁
娘は一言でいうと天真爛漫です
自分の意見を包み隠さず伝えられ、Yes_Noがはっきりしており、楽しい時は腹の底からおもいっきり笑い、悲しい時は全力で叫び、泣いています
日本を出発する前、彼女は家族の中で一番 #スイス に来ることを楽しみにしていました。しかし、いざスイスの生活を始めると、障がいのある長男以上に新しい環境に馴染むのが大変でした
日本食が恋しくなったり、日本の友達に会いたくなったりしては、実現不可能なことばかり要求して、毎晩泣きながら僕や妻を困らせていました
というのも、スイスでは5歳から小学校に通い始めますので、日本の同級生よりも早く学校に通い始めたのです。日本にいた頃は、誰よりも早く学校に行けるからと自慢して待ち遠しそうにしていたのですが、いざ学校が決まって通い始めた次の週には、行っても友達ができないし、言葉_フランス語も理解できないから学校に行きたくないと、毎朝登校前に泣いていました。特に先生やクラスメイトとの会話についていけなくて、孤独を感じてしまった時、娘は学校に行きたくないと言っていたようです
妻はもともと都内の私立中学校で教鞭を執っていたことがあり、また帰国子女で海外の学校で学ぶ大変さを身を以て知っているので、登校拒否をする娘の気持ちが痛いほど理解できるといいます。僕はその頃、大学院の内容がどんどんボリュームアップしていき、毎日の授業についていくのが必死でしたので、家庭のこと、特に娘のことは妻に任せっきりにしていました
娘があまりにも難しい状態の時、妻は娘の気持ちを尊重し、遅刻したり、一日休ませたりして、負担をかけないようにゆっくり新しい環境に慣らせていくようにしていました
とはいっても、そうやって学校を休んだりしていたのは、はじまって3ヶ月程度の期間だけで、それ以降は弱音も吐かず、今では自分で服も着替えるようになり、「早く行こうよ」と僕を急かすくらい積極的に学校に通うようになりました。長男同様、スイスという異文化の中で成長する娘の姿は本当に頼もしく、誇りに想っています
余談ですが、長男はスイスの学校に通い始めてから、今のところ一度も学校を休んだことがありません。朝の決まった時間に声をかけると、自分からスクールバスの迎えのポイントまで移動するのです。学校に行くことについては、日本にいた頃より積極的になった気がします
子供の絆は言葉を越える
娘はスイスの公立学校に通っており、 #ローザンヌ はフランス語圏ですので、授業はフランス語で受けています。また、我が家の暮らす地域は、EPFL_スイス連邦工科大学ローザンヌ校に近いことも影響して、そこに通う_働く外国籍の人が多く居住している地域でもあるので、ほとんどの保護者とは英語でもコミュニケーションが可能です。なので娘は、学校では #フランス語 、学校外では #英語 、家では日本語という、3言語に毎日触れています。その所為か、フランス語も英語もなかなか上達しません。これは僕の想定外で、子供の言語習得はもっと早いものと期待していたのですが、娘の場合アルファベット_文字の理解や、英語とフランス語の会話の聞き分けも同時に実践しているので、自発的にフランス語あるいは英語を話すことは今も難しいのです
パパ友や大学院のクラスメイトにこの件を話すと、日本語自体がヨーロッパ言語と文字も音声も大きく異なるのだから、そんなに焦ったり心配する必要はないと励ましてくれます。やさしくありがたい言葉に救われながらも、娘と同世代の子供たちは、すでに両親の母国語_たとえば、イタリア語_と、学校で学ぶフランス語を理解して、使い分けて会話しています。こういう現状を見ると、ますます発展していくグローバリゼーションの中で、僕以上に娘の世代はもっと言葉の壁を乗り越えて競争していかなければいけないのだろうと想像すると、日本の弱さを痛感するばかりです
フランス語や英語を自分から積極的に発しないにも関わらず、娘の周りには不思議と友達が多いのです。下校時に迎えに行くと、男の子と激しく走り回って遊んでいたり、学校全体での交流イベントがきっかけで仲良くなった年上のお姉さんと手を繋ぎながら帰ったりしています。また、この1年の間に、誕生日会に5回以上誘われており、いつも楽しそうに会での出来事を話してくれます。フランス語を話せないにも関わらず、こうして友達や学校の人たちにやさしく接してもらっていることは親としてもありがたいですし、なにより娘のとりあえず日本語でなんでも言ってみよう精神もかなり役に立っているように感じます。 #海外で働く 場面では、さすがに日本語を押し通すことはできませんが、子供同士のコミュニケーションでは、言葉の壁を超えて、お互いの気持ちを分かり合えているようです
最近は、住んでいる集合住宅の地域で、同じ学校に通う子供同士で遊ぶ機会が多くなり、毎日のように娘は夕方になると外へ遊びに出かけていきます。少し前だったら、パパとママと一緒じゃなきゃ行かないと言っていたのに、今はひとりで笑顔で走っていきます
本当に娘の成長には毎日驚かされますし、言葉というツールが使いこなせなくても、ハートで通じ合うことができるということを娘や子供たちから教えられています
君のおかげで、きっと、未来は明るい
前回記事でお伝えしました通り、長男の息子は #知的障がい と #自閉症 があります。よく妻と話題にするのですが、娘はこれまで一度たりとも、長男の障がいのことや、彼が話すことができないことについて、僕たち夫婦に「なんで」と尋ねてきたことがありません。生まれた時から障がいのある兄がそばにいる所為か、娘の中で障がいのある人_ない人のカテゴライゼーションがないようで、どんな人とも等しく接しているようにみえます
娘は長男をファーストネームで呼びかけ、友達の前でぎゅっと抱きしめたり、「大好きだよ」と言ったり、長男の気持ちを察して、僕たちに「お兄ちゃんは〇〇に思ってるみたい」と伝えてくることもあります。長男はそんな妹がかわいいようで、彼女のすること_言うことについて、いつもニコニコ笑っています。そんなふたりのやりとりを見ていると、本当に心が和みます。娘の長男に対する包容力や理解力には、親バカ発言ですが、心から尊敬しています
そして、ふたりの関係のように、次世代の子供たちにとって、 #ダイバーシティ だとか #インクルーシブ という概念が、昨今の理想的なものとして叫ばれるのではなく、未来のスタンダードになるのであれば、 #障がい児の親 としてもこの上ない喜びです
先日、娘の誕生日会を開催しました。娘のリクエストで、一度招待された会で訪れた子供向けスポーツ施設でのパーティーが楽しかったので、そこで自分もやりたいというのです。そして、これまで誕生日会に誘ってくれた友達や、新年度に新しくクラスに入ってきた年下の友達を、長男と一緒に迎えて、最初から最後まで全力で楽しんでいました
僕は写真担当として、子供だけのエリアへの入場が特別に認められ、写真を撮りながら終始、娘の様子に注視していました。長男や年下の子達が列から逸れたりすると、手を差し伸べて輪の中に入れてあげる姿は、ホストとしての役割を全うしており、とても誇らしかったです。また、インストラクターによる遊びのルール説明などについてはフランス語が難しかったようで首を傾げていましたが、友達が見本になってくれるとすぐに理解したようで、「Oui_はい」と返したり、親指を立てて笑顔で交流しているやりとりを見て、改めて彼女の頼もしさに感心しました。みんなで"コオリオニ"のような遊びをした時は、日本語で「早く」とか「助けて」とか興奮しながら叫んでいましたが、そんな言葉の壁を越えて、全員が振り切って遊んでいる光景にも、なんだかほのぼのしてしまいました
あんなに泣いてばかりいた娘ですが、今では僕のキャパシティを越えて楽しそうに学校生活を送っています。時折、急に泣き出して、フランス語が理解できないから、もう友達と遊びたくないと言い出すこともあります。そんな泣いている娘を慰めながら、掛けた言葉がふと自分に言い聞かせているような感覚になるのです
「もう少しだけあきらめずに、がんばってみよう」
別の日、落ち込んでいる僕に娘はこんな言葉を掛けてくれるのです
「あきらめたら終わりだよ。だから一緒にがんばろう」
恥ずかしながら、6歳の娘に僕は支えられて、なんとか今日までやってきているのです。娘を見ていると、この世界の未来も、そして彼女自身の将来も、きっと明るいのだろうと想えてくるのです。子供たちの未来のために僕は何ができるのか、毎日が暗中模索です
スイスに来て、僕も娘も悲喜交交ではありますが、娘のペースで構わないので、いろんなことを学んで、吸収して、このスイスでの生活を一緒に楽しみ、そして一緒に成長できたらと心から願っています