見出し画像

盲目的な恋と友情:女性作家に一票を投じて

友人は、人生において伴侶以上の「責任」を果たしてくれる存在ですが、「結婚」という名分を得ることは永遠にありません。恋愛や結婚生活が始まると、友人はその場を退かざるを得なくなり、少なくとも他の見知らぬ人が入り込める程度の距離を取ります。
結婚式で「これまで私が楽しい時も、苦しい時も、いつも傍で支えてくれた大好きな親友です。家族同然だと思っています」と紹介することがあっても、それは永遠の別れのためにすぎません。彼女は永遠に家の外に締め出され、再び中に入るには招待が必要になるのです。

最近、日本の作家辻村深月による『盲目的な恋と友情』を読みました。このタイトル自体が物語をよく表しており、女性同士の友情が人生に男性という嵐を巻き起こされたとき、それぞれがどのように盲目的な恋愛や友情を経験するかが描かれています。

この本は2014年に発表されましたが、読んでいる間、私はイタリアの作家エレナ・フェッランテによる『ナポリ四部作』を何度も思い起こしました。この作品は2011年に執筆が始まり、「喪失」をきっかけに、もう一人の少女との半世紀以上にわたる友情が語られます。

地理的にも言語的にも隔たりがあるとはいえ、二人の女性作家はほぼ同じ時代、同じ十年間に似たテーマについて考え、似た結論を文学として形にしました。そして私は2024年という遠い未来に、この微かなつながりを拾い上げました。当然、それは私の想像にすぎないのかもしれません。

もっと言えば、世界のすべての事象にはつながりがあります。私たちは納豆菌の糸のように絡み合った世界で生きており、理論や主義で真空パックされた保存袋の中ではありません。そんな環境では細菌すら生きられないのですから、人間はなおさらです。

ここ数年、私は意識的に女性作家の作品を読むようになりました。それはまるで選挙で一票を投じるようなものです。彼女たちに機会を与えたいのです。読むうちに、遠い世界の女性たちの声がつながっていると感じ始めました。それが私自身の人生の脈絡だからです。逃れることのできないその脈絡は、私が書くものにも、そして私が読み、そこから生き延びた物語にも必ず宿ります。

初めて辻村深月の作品を読んだのは、アニメ映画『かがみの孤城』に心を打たれたからです。そこには多くの登場人物の成長を描いた、大人になる過程と友情の物語がありました。その感動は私を未来へと急がせました。

26歳の今、母はすでに私を産み、家庭を築いていました。それに比べて私はまだ大人になれていないようで、大人という目標に向かって走り続けています。

いいなと思ったら応援しよう!