おしごと考
今月の書くことコースの課題、お仕事なんだよねえ、とYちゃんに話したところ「オシゴト?」と聞き返され、お仕事だよ、ジョブだよ、ワークだよ、と補足したら「あ、アキコさんのことだから〝推しごと〟のほうかと思った」と言われた。いま自分が推してるものごとのことを〝推しごと〟っていうんだよ、と教えてもらう。へええ。
推し。わたしがこの世の中でもっとも理解できない感情。わたしの周りには、強固な推しがおり熱量高く活動している人も多々いらっしゃるけれども、わたしにはその心境は想像したところでもうカーテンの向こうのシルエットでしかなく実体をまったく掴めない。ただ自分の中には推しという感情はない、ということだけがくっきりとわかっている。今日これから綴るのは、わからないものについて語るという試みである。
推し、わからん、好きなものはたくさんあるけど推しという感情はわからない、と、Yちゃんと話を続ける。過去に遡ってみてもいないの?推しといえるものは、とYちゃんがブレインストーミングを仕掛けてくる。Yちゃんは、わたしは中学生のとき錦戸亮が好きすぎて錦戸亮のブロマイドを超集めてて、ある日急に冷めてそのブロマイドを全部捨てて、ああこれに費やしたお金、なんてもったいないんだ、と思ったんだよねえ、という。それまで心から求めていたはずだったのに、冷めてしまうと一気にその価値は塵となる。悲しいことだ。
自分が中学生のときに夢中だったもの……なんだろうか。強烈に印象に残っているのは、ある日の夕方、暇だったのでテレビをつけて無為に過ごしていたところその日の2時間ドラマの予告が流れてきて、どうやら年下のジゴロのような男が人妻と不倫関係にあるみたいな話なんだけど、そのジゴロは佐藤浩市が演じていてハイライトのシーンが上半身裸になった佐藤浩市が人妻に向かい合って自分の胸板にバシ、バシ、と一万円札を何枚も貼りつける様を見せつけ、あんたはおれに本気になっちまったかもしれないけどおれの体は金で買われてるんだぜ!!ヒャハー!!みたいなことを示している映像だった。それがどういうわけだか14歳のわたしのハートに深々と突き刺さってしまい、しばらくのあいだ拭い去ることのできない感情がわたしを支配し、熱に浮かされたように佐藤浩市のヒャハーシーンがひとりでに脳内再生されるようになった。今になって言葉に変換してみれば、かなり直截に集約すると「え、やば!えっろ!佐藤浩市エロすぎん!?」ということなのだが、まだわたしにはその感情を分析して自分のものとして処理するには人生経験がとうてい足りていなかった。だいたい万札を自分の胸板に貼りつけている男になぜ劣情を抱くのかについては、今になっても合理的な説明はつかない。
そしてここまでの衝撃を受け、その後わたしが佐藤浩市をめちゃくちゃ追いかけるに至ったかというとまったくそんなことはない。予告された2時間ドラマの本編を観ることすらしなかったのである。わたしにとっては、その刹那に生じた意味のわからない感情こそが至上のものであり、その前後左右に付随する情報はたいして必要ないのだ。
推察するに、対象については生体、情報含めてできる限り多くの接触機会をもちたい、取りこぼしたくない、あますところなく見つめたいという熱情を持続して抱きつづけるのが推しという営みなのではないか。そうして摂取した情報を自分の中で複雑に組み合わせて自分だけの世界を構築するのがたまらなく楽しいのではないだろうか。わたしはそこまでの根気はなくて、そのとき生じた快楽をソリッドに、反芻して味わいたいという欲求のほうが大きいのだろう。複雑で高度なことをしている〝推しごと〟のある人々に比して、わたしはちょっと未熟なのかもしれない。