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東京国際フォーラムの最前列でオザケンの足首を見上げていた話。

ある日友人たちとちょっと遠出のお出かけをしたその帰り道、電車の中でそれぞれがどんな土地で生まれ育ってきたかという話になった。わたしが東京生まれ東京育ちであることを話すと、大阪出身の子がなるほどと言う。

イロコさんって小沢健二が好きですよね。オザケンの歌詞って、原宿とかいちょう並木とか公園通りとか、とても具体的な東京の地名がたくさん出てきて、大阪で過ごしてきたわたしにはあんまりぴんとこないんです。イロコさんは東京の人だから、オザケンの書く詞もしっくりくるんだなって思いました。

こんどはわたしがなるほどと思った。そういうものか、とも思ったが、正直なところわたしはオザケンの曲の歌詞に自分を重ねて考えることはなかった。たしかに好きな男の子とは渋谷から原宿まで明治通りを散歩してデートしたし、待ち合わせはいつも原宿の喫茶店だったけれど、かといって別にダッフルコートを着たかわいい彼女なんかじゃないし東京タワーに続く道を車で飛ばしてはしゃいだりしないし、遠くまで旅立つからと恋人に手を振って別れたりもしない。東京にいたところで、泥沼からあがってきたばかりのような冴えない風貌と心持ちのわたしは、そんなにキラキラとした世界に同調などしていなかった。

とはいえ20代になったばかりの柔らかな感性とどこまでも暇な時間にまかせて、わたしはオザケンの歌を何度もなんども聴いた。そのうちにオザケンは、それまでのファンとも少し違う層にまで人気が広がりはじめ、ちょっとおかしな狂騒ぶりに嫌気がさしたのか、ジャズとかなんとかよくわからないところに向かいだしてしまう。わたしはそれ以上アルバムを追いかけるのをやめ、やがてオザケン自身が日本を離れ音楽活動はしばらく途絶えてしまった。

オザケンに再会したのは、およそ20年後のことだ。その間にわたしは恋人と別れまた別の恋人ができ、結婚してふたりの子どもを産んで、あんまりじょうずに結婚生活を営むことができずに夫とは別々に暮らすようになっていた。日本に帰ってきたオザケンはずいぶん精力的に活動をはじめ、あいかわらずちょっとエキセントリックな行動発言をしながらも新しく生み出された曲はどれもオザケンがしっかりと人生を踏みしめてきた痕が刻まれているかのような、穏やかな重みを感じさせるものだった。

活動再開して何回目のライブだったろうか。妙に運の強い友人がなんと東京国際フォーラムの最前列ど真ん中の席を当ててくれた。今まで観た中でいちばん近いオザケン。あいかわらずのサラサラヘアーがまさにサラサラと流れるさまも、ほっそいグレーのデニムからのぞく足首もスニーカーがニューバランスであることも間近に見て取れる。表情だってよく見える。オザケン歌の練習したのかな、昔よりずいぶんうまくなった気がするな、なんて思いながら楽しんでいたのだがその瞬間は突然訪れた。

2枚目のソロアルバム『LIFE』の中でもいちばん好きな曲がはじまり、観客全員大合唱のなか最前列からオザケンを見上げていたら、なんの前触れもなく涙が大量に流れはじめたのだ。感極まって涙ぐんでしまうオザケンファンの女の子はたくさんいるんだけど、そういうのでもない、とくに感情が大きく動いたわけでもないのにとめどなく涙が流れつづけるものだから自分でもびっくりしてしまった。そうして、ああ、わたしはあれからずっとがんばって生きてきたんだな、オザケンの歌はそんなわたしの人生をぜんぶ、ぜんぶ肯定してるんだということが、やっぱり突然にわかったのである。

そして毎日は続いてく。丘を越え僕たちは歩く。

陽気なメロディとのテンション高めの歌詞に引っ張られてポジティブな楽曲群と思う人もいるかもしれないが、オザケンの歌詞には大きな時間と、生きていく深い悲しみと、いつかなくなってしまう大切だったものが何度もモチーフとして登場する。でもそれ全部わかってるけど、ずっとずっと僕たちは歩いていくんだよ。オザケンはそんな言葉を歌に乗せてるんだと思う。

あれからわたしはずいぶん歳を重ねてきてしまって、感性もにぶくなり昔の曲ばっかり聴いていてどうなんだろうと思うときもあるけれど、時間が経ってもなお、時間が経ったぶんだけ、あちこちを旅して行き先シールをたくさん貼り付けられたスーツケースのようになって、なんとも愛おしい姿になってこうして帰ってきてくれる。ことばだけでもこうはいかなくて、空気や時間も内包して届く音楽だからこその力なのではないかと思う。あの日からわたしの中には「わたしはちゃんと歩いてきた。これからもわたしは大丈夫」という小さいけれど確かな思いが根づいてくれたように感じている。わけもわからずあふれ出た涙は、それまで飲み込んできた寂しさや悲しみが解放された合図だったのだろう。いつも不器用に落ち着かない気持ちのまま大人になり、20年も過ごしてきてしまったわたしにとって、それは救済だったのだ。

※号泣した曲はこれ「ぼくらが旅に出る理由」



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