漁師町のできごと〔ショートショート〕
これは子供の頃の話です。夏休みも半分過ぎ、日の長くなった夕方の過ごし方に退屈してきた頃でした。友人は家族旅行にいっており遊び相手の居ないわたしは、夕食までの時間を海で過ごすことにしました。
裏庭で植木に水やりをしている祖父にそのことを告げると、
「そんげんとこいくなて」
と、大人でもほとんど使わなくなった言い方でわたしを諭します。
「うん、ちょっとだけー」
と言ってわたしは振り返りもせずに近くの海に向かいました。
わたしの家はとても海に近く、風の強い日は家の前まで潮の匂いがはきっりとする漁師町です。子供の足でも5分も歩けば海水浴場として利用される浜辺に行くことができるのですが、さすがにもう少しで夕食の時間になるのに海で泳ごうとするほど馬鹿ではなかったので、港の方に向かいました。
その日、港には釣り人はいませんでした。
みんな夏休みかな? と思う程度には馬鹿だったわたしは気にすることも無く、港の淵の方に向かいました。夕日が沈もうとしています。その夕日はどうして海が沸騰してしまわないのだろうと思うほどに真っ赤な色をしています。
わたしは持ってきた懐中電灯をつけました。今思えば、海に行きたかったというよりもその懐中電灯を付けたかったんだと思います。買ってもらったものではなく、家の壁に取り付けてあった非常用の懐中電灯をこっそり持ち出して使っているという悪戯心を刺激する遊びに夢中になっていたのだと思います。
あたりには誰もいません。さっきまで生ぬるかった海風は、もう涼しくと感じます。懐中電灯の光が円形にくり抜いたように地面を照らしていました。まるで太陽と月が交代する間を自分が繋いでいるかのように思え、わたしは自由にその丸い光をうごかし、それを目で追いかけました。自分の足元を照らし、次は港に括り付けられた無数の漁師船へ。その次はさらに奥の方にある営業を終えた汽船の壁に光を当てていきました。汽船の大きな影が港の岸壁に太いロープで固定されているように見えました。その奥には「立ち入り禁止」の文字が赤く塗られたゲート。その文字にもなぞるように光を当てました。丸い光はわたしの意思とは関係なく小刻みに揺れて、そのことで自分が生きている動物なんだと確認できたような高揚感がありました。
そのゲートの先には行きませんでした。地元の人間なら、その先に出入りして釣りをするような人たちを迷惑だと思っているのは当たり前のことで、さらにそこで海に落ちて死んでしまう人が度々いることにも悲観的になる人などいません。子供のわたしですら馬鹿だなと思っていたのですから。
すっかり辺りは暗くなっていました。道路に近いところに街灯はありますが、わたしの周りにはありません。
——ぺちっ。
ぺちっ。
……ぺちっ。
音がしました。
それがどこでかはわからないけど、音がしました。同じような音が何度か繰り返して聞こえていました。でもそれが何の音にせよ、そのときはそれほど怖いといった気持ちになりませんでした。持っていた懐中電灯が単一電池4本も入れる大きなものだったからか、少年特有の好奇心をわたしもしっかり持っていたからなのか、はたまた家が近かったからか。どうしてかわかりませんが、そのときは凄く冷静にその音の正体を知ろうと行動していました。
わたしは浅めに息をして耳を澄ませました。まだ、音はしている。
もっと海のほうだ。岸壁に近いほうから聞こえる気がして地面を掬い上げるように懐中電灯を向けました。コンクリートの地面は長くは続かず、その先にあるのは月を飲み込んだように暗い海だけでした。日は沈みきり夕方は終わっていた。波の少ない一見穏やかに見える海は、夜空と同化して境界線が分からない。こんな時間に海に落ちたら助からないだろう。それは分かります。それでは馬鹿にしている釣り人と同じようなものだから慎重に足元を照らしてから、ゆっくり岸壁に向かって歩いていきました。
立ち止まり、一呼吸おいて、懐中電灯を海に向ける。
黒い海を波が押している。日中でも濁って見えるそのようすは懐中電灯の光ぐらいでは覆らず、むしろより粘着質のある塊に見えた。その海面の動きはわたしを吸い込むように錯覚させ、海に浮かぶ発泡スチロールの上にでも立っているかのような浮遊感を押し付けてくるものでした。
わたしは慌てて我に返り、また音のする方に顔を向けました。
岸壁にこびり付く緑色の藻を波が滑らせ、トプンッ、と反り返っている。そのあと己の体を海面に叩きつける音が、ぺちっ、と鳴っていた。
なんだ、波の音か。そう思うと、岸壁についた変色した藻がいっそう汚く思えた。流れ着いたゴミもあぶくを纏っている。
ふと、視界の隅に何か見えた気がしました。
さか……な?
薄く広がる月光が、懐中電灯の明かりを中和している。わたしは目を凝らすように細めて海を見ました。
海中に無数の魚が立っている。それは立ち泳ぎでもしているように波間に身体を直立させています。気味の良いものではありません。瞬きもせずにそこに整列するようにならんで上を向き、みんな揃って海の外を見ていました。空を見上げるように。どうしてそんなことをしているか、そもそも一度にこんなに魚が一か所に集まのが普通じゃないように思えました。
ぺちっ。
そのとき、”なにか背中に当たった”と感じて後ろを振り向きました。
魚でした。
どこから来たのか分からない。周りに誰かいるのかと思い、懐中電灯で辺りを探る。誰もいない。そこには、わたしの背中に当たったであろう魚がコンクリートの上でただ動いているだけでした。でも妙なことにその魚は、少しずつわたしの方に向かってきているように思えました。
どうしてそう見えたのかは分かりません。なにかそんな”意志”のようなものを感じてしまい、それが確かなことのように思えたというのが他ならない気持ちでした。後ろには生臭い海とそこに整列する魚達が待っている。そう、待っている。だた上を見ているのではなく、彼らは待っている。なにを? わたしが落ちてくるのを待っているのではないかとそこで思いました。テーブルで夕食を待つみたいに当然のことのようにして。それは人間が教えたのことではないか。餌は海の上から垂れてくる。それを時間をかけて待っていればいいのだ、釣りをするみたいに。
ぺちっ。
次に脹脛の辺りを魚の尾ひれに押されたような気がしたとき、わたしはその場を離れました。早歩きで動きました。そこで走るのは間違いのような気がしていたからです。
砂を踏む音が聞かれる。
息を乱すのが聞かれる。
ぼくが見ていたのを知られる。
道路に並んだ街灯はちっとも安心感などはなく、握った懐中電灯もどこを照らしているのか分からない。それでも自宅に続く道を早足で進みました。そして、そのまま一気に自宅の玄関の中に身体を滑り込ませ扉を閉め、鍵をかけました。
ガチャッという音がして、さっきまで聞いていた嫌な音を終わらせた安心から息を吸い、息を吐きました。わたしはただ誰に言う訳でもなく、「カギ閉めといたから」と訳の分からない気をまわしたような宣言をして靴を脱いだ気がします。
肩で息をするわたしを見て祖父が、「おかえりぃ」と声をかける。
わたしは「ただいま」と言って祖父の後についていきました。
その日からわたしは魚が、夜になにを見ているのか気になって仕方がないです。