透明なルールに従う。
スモークフィルムを貼ったみたいに凍った車のフロントガラス。外は、今朝も寒い。
いそいそと車内に身体をすべり込ませて、すぐにエンジンをかける。それから、暖房を「FRONT」に合わせてから助手席に放り投げてある雑誌をパラパラとめくった。
週末の予定を決めようかと思ったが、気になる記事無く、ページをめくる自分の指先がざらついている事のほうが余程気になった。
ダッシュボードにあるハンドクリームは、「ピーチティー」と書いてある。本当にそんな匂いがするかは分からないけど、嫌いな匂いじゃない。だけど、使い切ったら次は他のものを買うだろう。
ハンドクリームを塗ることと、好きな匂いのクリームを探し出すには数年かかること、それから、どうしてあんなに小さいサイズのチューブのクリームが売っているのかを理解したのは、つい最近だ。
そんなハンドクリーム初心者のわたしは指先の爪をあたりを擦りながら、「このシワの間に綺麗に入るからスベスベに感じるのかな」と、想像した。見た目にも乾燥した皮膚の細かい線が消えたような気がするから、余計にそんな風に感じてしまう。たぶん、そんな仕組みでは無いはずだ。
でも、世界はそんな感じで廻っている。
「ハンド」クリームと書いてあれば手に塗るし、「リップ」クリームと書いてあれば唇に塗るのだ。英語の授業をいくらサボろうと、ドラックストアでこのくらいの買い物はできる。なんてことはないのだ。
いつの間にか、フロントガラスの氷は溶けている。
晴れている空を見て、「これが放射冷却化か」と知ったような顔をして車を走らせた。
会社までのいつもの道。
いつも見るような気がする、誰だか知らない人たちの間を抜けていく。
昔、小学生の頃、「お化けは信じないけど、透明人間はいる」ってムキになってる子がいた。名字は覚えているけど、顔は思い出せない。
たしか、転校したんだっけな? どうしたんだっけ。
そうこう考えていると、覚えているはずの名字も怪しくなる。
あの子に会うことは、もう二度とないんだろうな。
「二度と」なんて考えると、何十年も忘れていたくせに寂しいような気になった。いい加減な人間だ。
それでも、車は進み、なにかしらの一日が過ぎる。
あの子が、透明人間になる。……顔を見れば思い出せるのに。