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一生懸命何を見ているんだろう
最近は、健康と興味本位でヨガをたまにする。ちょっと検索すれば余るほど動画が出てくるから困らない。やはり、自分の関節が硬くなっている。運動は苦手な方だけど体の柔軟性はある方だと思っていたから、すこしショックだ。
でも、それよりもジャッキーチェンがおじいちゃんになってしまったのをネットニュースで見て、時間の流れを実感する。
何でもすぐに見れる。
当然、わたしが動画を再生しなくても、前からヨガをやっている人は日本中にいっぱいいて、わたしがネットニュースの記事を見なくてもジャッキーは同じスピードで歳を取る。そんなことは当たり前なのはわかっているけど、それがすぐに見れるのはすこし気味が悪くもあることだ。知らなくてもいいことや距離があった世界が、街頭のポスターみたいに貼り出されている。遊園地のミラーハウスが楽しいのは友達とはしゃいでいるときだけで、一人になってもその中にいるのは不気味だ。だから、窓のない部屋の中で情報に溺れる。それも知らないうちに。
でも見たくなってしまうのも分かる。人間は好奇心に多かれ少なかれ逆らえない。しかも、その好奇心をコントロールしてお金が貰える世界が常識化しているのだから、ますますその技術が上がる。そうして、抗うどころか情報が見れないとストレスを感じてしまうだろうから、もっと深く潜るっていくのは時間の問題なのだ。
せっかく興味を持ったヨガや子供の頃に憧れたジャッキーから、一番遠くにいる気がする。
わたしは酔拳2が一番すきだった。子供のわたしはあの映画を見た後は、なぜか必ず腕立て伏せをしたくなった。そして、たいして回数のできない腕立てをした後は必ず少し強くなった気がして、嬉しかったものだ。
でもどうだろ、本当にすこしは強くなっていたのかもしれない。少なくとも今よりはずっと成長していたように感じる。無根拠に湧いてくる衝動に身体を任せることを何時からしなくなったのだろうか。何か興味があれば検索して、予算や日程を考え、可能であれば実行する。もしくは調べるだけで満足して実行しないなんてこともざらにある。いつからこれが正攻法になったのだろう。別に危ないことをしたい訳ではない。フットワークを軽くとか、腰が重いとかそういうことでもなくて、もっと単純なことが分からなくなっているきがする。
今より、未来が上に来すぎている。年齢を取っただけなのだろうか。
今と明日が、もっとワクワクするようになりたい。そうすれば未来なんて眩しくて見えないはずだ。
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