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ごっきげんよー!高品雄基です!

劇団5454に所属することになりました。
高品雄基34歳です。

渾身の1枚

千葉県袖ケ浦市で育ち、180cmまで伸びました健やかに育ててくれた親に感謝です。

ハローな幼少期ティ

5454に所属するにあたり、僕のこれまでとこれからを少しだけお話させていただきます。

2011年21歳、大学3年生。就職活動のひとつとして俳優を検討。
「芸能界ってどんなところなんだろう」なんていう誰もが一度は持つ、ありきたりな好奇心が始まりです。

その頃、肺気胸で入院しました。(出来事はいつだって急展開)
病室の窓から外を眺めている時。何を思ったのか、芸能事務所にメールしました。

退院後、事務所にて面接?オーディション?になり
スーツにビジネスバッグという姿で挑み、
笑われながらもなんとか所属にいたりました。

舞台も観たことがない高品少年。
もちろんお芝居の仕事はなく

「某バラエティ番組の再現写真」が最初の仕事でした。

再現VTRですらなく、写真でした!
カメラが苦手だったのでガチガチに緊張したのを覚えています。(正確にいうと対して覚えていません)

それから、ブライダルモデルやストックフォト。
お芝居とは遠い道筋で俳優に近づいていった。のか、どうなのか。

そしてその頃、初めて観た舞台が
「ロイヤルホスト」六行会ホール
(事務所の先輩でもあり、事務所に入るキッカケとなった兄貴、伊﨑央登さんが出演していた舞台)

観劇後、「おれも舞台やる!」
となるわけです。

(因みに、ロイヤルホ☆トには春陽青年(春陽さん)も出演していたので、ここで出会っていた事になります。)


そうやって演劇への道に足を踏み入れたのでした。


芸能に限らずではありますが、
いただくお仕事は楽しい事ばかりではなく、正直やりたくない事もたくさんありました。

過去、辞めようかと本気で考えた事も何回かあります。

それでも、たくさんの出逢いに支えてもらい今日までやってこれました。

家族や仲間、応援してくださる皆様に支えられ、ここまで俳優を続けられた、続けさせてもらえた、と声を大にして言えます。

ありがとございます!!転職しなくて良かった!(大声)


仲間たち/石巻シアターキネマティカにて



気づけば現在13年目となります。
今は映画やドラマなど、映像作品に参加しながら
自分へのご褒美も兼ねて演劇を年に1〜3回ほどやっていくのが目標です。

役者として生きていく為には、
芸能に身を置くことも大事ですが、その芸能の世界に苦しむことも多々あります。

そんな中で、舞台芸術の楽しさ、尊さは僕にとって「ご褒美」です。

何ヶ月も準備をして、1〜2週間の公演をする儚さ、楽しさは、僕にとって大切な宝物なのです。

画素粗めな劇団5454(ランドリー)



そんな宝物を、もっと磨き上げたい。
その想いから入団に至りました。
5454のみんなと、たくさんのお客様に出会いたい。

色んな土地、色んな劇場に行きたいと思っています。


個性を尊重して、みんなで創作を楽しむ。
自分たちとお客様のワクワクを求めて演劇を創る。
そんな5454が僕に艶を与えてくれます。

どんどんつやっつやになっちゃうのでお楽しみに!

つやっつや。


あ、ちなみにですが、劇団5454との出会いは2013年まで遡ります。
当時、5454に所属していた工藤佑樹丸という俳優に出会い、しつこく観にきてと誘ってきたのです。

くそう、金もないけど行くか……と、『ト音』を観ました。

面白すぎて、口が開いたまま自転車に乗り、中野を後にしました。

佑樹丸、ありがとう。
あの日が今日に繋がってるよ。

当時の写真
(若き頃のバースデーイベント)




そのあと、僕は5454のオーディションに応募しました!
そして落ちました!書類で!

「許さねえぞゴシゴシ!」憎しみを抱きました!笑


そこから、8年越しに再びオーディションに応募し、『ビギナー♀』に出演が決まりました。

「ビギナーめす!ありがとう!」憎しみが愛に変わった瞬間です。

稽古が始まった頃、急に坊主にするという僕の都合も快く受け止めていただき、無事、楠健が産まれました。


楠健スチール撮影時




楠健本番ドライブ




無事、相思相愛になれた劇団5454と
自分の夢や目標
5454の夢や目標
両方大事にして、支え合っていけたら幸せです。

(札幌)生活支援型文化施設コンカリーニョにて


それでは、改めまして、これからどうぞしくお願いします!

稚拙な文章ではありますがお許しを。

高品雄基

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