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ピアノをやめる、とは

息子がピアノを習い始めてふと心によぎったことを。

思い返してみると、幼稚園からピアノを習い始めた私は本当に練習が嫌いだった。練習しないからもちろん遅々として教本が進まず、7年ほど習ってブルグミュラーを終わった小6でさっさとやめた。

小3の時に音楽の先生から「4年生が全校集会で歌うのに伴奏がいないから、3日でなんとか練習してみてほしい」と言われたことがある。
(4年生が歌う歌の伴奏をなぜ3年生の私が…?)
なぜ私なのかも疑問だったし、当時の私には難しすぎて到底無理だと思ったけれど、先生は熱心だった。
毎日放課後に音楽室に行って、譜面を読んでいると間に合わないので先生のお手本を見ながら真似をして弾き、家で練習し、必死で頑張ったけれどついに本番までに伴奏できるレベルに至らなかった。
結局集会では先生が弾いた。

その時の悔しさは相当のもので、それからずっと練習し続けて高学年になる頃にはその曲を弾きこなせるようになった。
そして中学に入るときにピアノをやめた…はずだった。

でもそこでまさかの出来事が起こってしまう。
中学入学早々に、ピアノ経験者が集められ、最初の学年集会で弾く曲として配られた譜面がまさにその曲だった。1週間後にオーディションをして伴奏者を決めるという。
これはヤバい。絶対にここにいる誰よりも「その曲だけは」上手に弾けてしまう。何しろ練習してきた年月が違う。折に触れて弾き続けてきた因縁の十八番だ。楽譜をもらったその時すでにほぼ完ぺきなのだから、オーディションで選ばれないわけがない。

そして一週間後、完璧な演奏を披露して選ばれてしまい、その後ずっと中学校では伴奏者として過ごすことに…。
「あの曲が奇跡なだけで、本当に下手なんです。今はもう習ってもいないんです。もう勘弁してほしい。やめたい」と言っても、先生の中では入学当初に披露したあの曲のインパクトが強すぎて、やめさせてくれない。いじめっ子たちには間違うたびに罵倒され、半泣きで伴奏したりしてた。

でも、半泣きでも続けてきたことに意味があったんだと、この年になって気が付いた。

中学校では伴奏の傍ら、兄の買ってた歌謡曲の本でコードを独学して好きな歌謡曲を引く楽しさを知った。好きな曲を自分で伴奏つけながら歌える楽しさ。
高校では友達と文化祭でボーカルとピアノのデュオでステージに立つことができた。高校でも人前で弾けるレベルでいられたのは、結局ずっとピアノを触り続けてきたからだ。
今でもあの曲は手が覚えてる。楽譜があればきっとちゃんと弾ける。

子どものために買った電子ピアノに、弾いたことのあるクラシックが何曲も入っていて、それを聞きながら、音を探していくうちに何十年も弾いてなかった曲を指が思い出す。まだ少し弾けるんだ。

私はずっと「小6でピアノやめたよ。下手だったしね~」と人にも言ってきたし自分でもそう思っていた。
でも知り合いが「昔習っていたけど、今は全く弾けない。全然意味ない(笑)」と言ってるのを聞いて、何年も習ってて全く弾けなくなることがあるのかとびっくりした。何しろ私はたいていの人より下手だったから、なおのこと。

でもきっと違うんだ。そうか。
私は小6でピアノ教室はやめたけれど、何とも言えない因縁の曲による偶然のめぐりあわせのおかげでピアノそのものはやめなかった。やめられなかった、というのが正しいけれど。

私は高校までずっとピアノを弾いていたんだなぁ。
だからこそ、今も少しは弾けるのかもしれない。

懐かしいクラシックを指で探して、全然動かない指に笑いつつも、息子そっちのけで電子ピアノを弾き続けながら私は幸せだった。すごく楽しかった。

私にピアノを続けさせてくれたいろいろ全ての出来事にありがとうという気持ち。

今はちょっと、ブルグミュラーの本を買おうかと思ったりしている。

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