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Photo by
soeji
うんちの造形
きれいに作られたものよりも、小学1年生が描いた絵に心を奪われる。
美大生の作品は、どれも同じように見える。
確かに、彼らのデッサン力や構図の切り取りは美しい。
しかし、どこか「汚い」。
それは、受験という競争に揉まれ、番号をつけられ、称賛を得るために作られた作品だからだ。
その称賛は、いったい誰が与えるのだろうか?
いつも決まって、権力者の手の中にある。
だからこそ、その賞は薄汚れて見える。
そんな賞を拒んだ人物がいる。
ジャン=ポール・サルトルだ。
しかし、彼は死後にその賞を受けることになった。
なんとも皮肉な話だ。
人間とは、どこか「汚い」ものなのだ。
だからこそ、私はあの小学1年生が描いた「うんち」の絵を称賛したい。
彼らは、汚いものの中に純粋な探究心を見出している。
天才にスカトロジーに傾倒する者が多いのは、うんちに対する探求心が強いからだろう。
うんちは確かに汚い。
肉を食べた後のうんちは、処理が大変だ。
あの強烈な臭いは、まるで体内で戦争が起きているかのようだ。
一方、野菜ばかり食べると、臭いはほとんど消える。
現代の食事は、保存と安全、資本主義を基盤としているため、化学物質が多く含まれている。
その結果、うんちからは医薬品のような臭いがする。
おお、お腹の中からは悲鳴とも歓喜ともつかない声が聞こえてくるようだ。
母乳だけを飲んでいる赤ちゃんのうんちは、ほとんど臭いがない。
しかし、離乳食が始まると、途端に激臭を放つようになる。
母の体は、フィルターとしての役割を完璧に果たしているのだ。
母は偉大だ。
あの小学1年生が描いたうんちの絵は、いつの日か称賛されるのだろうか?
それとも、うんちを消し去るように、誤魔化し続けるのだろうか?
私は、うんちを愛でるように、腹の中から感謝と歓喜の声を奏でたい。
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