9月下旬〜"悪魔"の所以②
アミの一件は、荒波の社会において青二才だった僕の心に、大きな傷となった。
泣いて許しを請う世間知らずの若い女性を冷徹に食い物にしたのだ。
と同時に、付け入る甘さを見せた彼女が悪くもあるのだ。そもそも、大迫が僕に言わせた法的措置など、根拠はどこにもないのだ。
手慣れた女性が相手だったら、大迫もそんな手は使わなかっただろう。
弱肉強食
嫌な思いを抱えながら、また一つ学んだと思い、時間を掛けて頭を切り替えようとしていた。
そんな矢先、アミ・ショックの尾を引いたまま、9月最終週に入り、オープンまであと5日となったところで、異変が起きた。
暑さが落ち着き、Tシャツ1枚ではもはや過ごせなかなってきた9月最後の日曜日、事務処理のため出社していた僕に、例によって大迫からヘルプ要請があった。
17時以降は予定を空けていたので、仕方なく引き受けたのが運の尽きだった。
この時の依頼は、新宿のシティホテルでの男性客からの料金回収だった。
所用約45分程度で終わる簡単なものだったが、手際よく30分で終わらせたからか、大迫から立て続けに手伝いをさせられる羽目になり、結局回収とおじさん客と売り子のマッチング同席をハシゴさせられ、22時まで搬送する事になった。
この頃、もはや3時間も寝られれば良いような状況で、眠くなるのが嫌で忙しく動き回っていた。
その為、少し咳が出たり熱っぽいなど気付く暇もなかったが、この夜はこれまでと異なっていた。
オフィスで残務処理を行い、日付が変わってから帰宅し、コンビニで買った弁当で軽い夕飯を済ませると、いつもより激しめの咳にダルさを感じつつ、一先ず睡眠を取ることにした。
翌朝ー…
これまで感じた事のない程に強い頭痛に激しい咳に襲われ、朝5時に目覚めた。
この時点では、普段より1時間以上寝れた、キツいけどラッキー、位に思っていたが、明らかに体調が優れないため念のため熱を測った。
ピピピッー、、、
39.5℃➕(病院マークみたいなやつ)
「げっ……」
元々風邪など引かないし、熱など測っても大抵36.2℃くらいしか無い自分が、そこから3℃以上も高い熱を出している。
これはヤバいな…
ただ、仕事もヤバい状況であり、あと5日でオープンするタイミングで抜ける事は出来ない。
ただ、インフルエンザだったりしたら、周囲に多大な迷惑を掛けてしまう…止むを得ず、大迫に報告し、相談することにした。
まだ大迫も寝ているだろう、7時になるまで一先ず様子を見ようと思い横になったが、咳が邪魔をし寝付けず、頭痛が眠気に勝り、1分も休まる事は出来なかった。
苦痛の2時間を乗り越え、大迫に一報を入れた。電話に出た大迫は、大迫も昨日は遅くまで接待をしていたらしく、起きたての低い声で応対した。
「早朝から申し訳ありません。昨夜帰宅してから体調を崩してしまい、39.5℃の熱があり動けません。」
「へぇ」
1mmも気に掛けていないような軽い返事だけが返ってきた。
「今週はオープン前でどうしても抜けられない状況ですが、他スタッフに移ってしまったら元も子もありません…今の自分が出る訳には行かないので、替わりに対応お願いできませんか。」
いくら経過報告を逐次していたとは言え、大迫に替わりができるとは思っていなかった。しかし、この状況では、他に頼れる者はいない。何をどう依頼するかは、算段を立てていた。
しかし、大迫は非情だった。
「知らねえよ。こっちはやる事があるから、自分で何とかしろ。」
だが、こちらも引くわけにはいかないので必死に食い下がった。
「分かるんですが、こちらは今1番大事な時なんです。せめて、病院に行く間、半日だけでもお願いします。」
今1番大事な時…この言葉は大迫の逆鱗に触れた。
「俺はなあ、常に一分一秒が大事なんだよ!てめえがやるっていった仕事だろうが。責任持ってやりやがれ!」
スピーカーファンにしていなくても、部屋中に響く怒号だった。
「おめえが休むってことは、その分機会損失になるんだよ!この言葉の意味が、分かるか!?」
僕は正直、この時はこの言葉の重みや意味は分からなかった。
ただ分かったのは、大迫にこれ以上頼んでも無駄だ、という事だった。理解されない苛立ちを僕も隠さず、分かりました、大迫さんには頼みません、と言い終話した。
本社のメンバーに頼む事も頭によぎったが、事情や流れをイチから説明するのがかえって工数を取られると思い、自分でやり切ることに決めた。
シャワーを浴びて汗を流し切り、家にあった薬をかき集め、僅かにある食欲を絞り出して必死に朝食を済ませ、日中乗り切れるよう最大限の努力をした。
午前中は、少しフラフラするもの、買い溜めたポカリを飲み何とか持ち堪えた。その間も、スタッフに移ってはいけないので、マスクは勿論、事務所のものは、ドアノブ以外には触れないようにした。
スタッフや業者からもかなり心配をされたが、大事な時期だから休めないし、みんなには何も起こらないように一時が万事、と話し、不安を煽らないようにした。
結局、この調子でオープンの日まで突っ走ることになった。赤坂に行く事はできなかったため、大迫には朝の電話っきり、オープン当日まで会う事はおろか話す事はなかった。
体調はオープンの日まで変わる事はなく、熱も一切下がることはなかった。
正直、2日目の夜に帰宅した際は、玄関に辿り着いた所で"死ぬ"と思い気絶し、翌朝の段階で救急車を呼ぼうと思ったくらいだった。
だが、この時も、使命感だけで何とか立ち上がった。
オープン当日は朝7時からやる事だらけで、最も"何か"あってはいけない日だった。
10時オープンで、9時半に簡易ながら、関係者だけで式典をやることになっており、本社からは東田を初めとする幹部が数名と、名古屋でお世話になっている佐伯ら外部関係者、雇用決定しているスタッフ全員、そして大迫が顔を揃えた。
対面的には、大迫は新事業として分離した会社の社長としていたので、大迫は外部関係者達に挨拶をしていた。報告は都度入れていたので、各々との話は問題なくこなせているようだった。
本来のセレモニーも、いくら簡素とはいえ本来なら思い出深いものになるはずだったが、僕は高熱のあまり、何も覚えていない。立場上、スピーチも大迫が行ったため僕は基本的に出番はなかったのだ。
ただ覚えているのは、あまりにフラフラしている僕が気になったのか、イベント終わりに東田が「少し彼を休ませたらどうだ?」と大迫に提案してくれていた光景だった。
不満そうな大迫が、スタート3日間乗り切ったら病院に行っていい、と僕に告げた。
この段階では、もはや有難いとも何とも感じなかったし、むしろ行くことに意味があるのかとさえ感じていた。
しかし、
「タクさん病院行かないとダメよ、あなたに何かあったら、私たち何もできないヨ」
とラケルさん、チョナさんが言ってくれたので、希望を持って乗り切り、前向きな気持ちを取り戻した。
そのため、かえってそこからの3日間はしんどかったが、あと少しあと少し、と業務をこなせた。
(介護対象の高齢者の方達には、当然ながら接しないようにしていた)
そして3日間が終わり、漸く、解放されたように病院へ向かい伝えられた診断はー
「マイコプラズマだよ、あなた。もちょい遅かったら死ぬとこだよ。何で病院来なかったの」
続く…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?