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実験3日目「可愛いはつらいよ」

言われると嬉しい言葉は何か?
自分なら「カッコイイ」なんて言われるとどうにも照れ臭いもんで「そいつはどうも」と、返す。
「サイバーパンクだ」「ハードボイルドだ」「趣味がいい」なんて言われたら、好きなものを一杯奢りたいくらいだ。

逆に、予想外の方向から相手に褒められると、どうにも納得ができないし、複雑な気持ちになる。
相手の評価を受け入れるというのは、難しい。
それは自分の見えない部分を受け入れ、認知するということだからだろう。

「可愛い」という評価、もといその言葉そのものには「魔力」がある。
今では世界のKAWAIIと言える程に浸透した言葉だが、この言葉の持つ包容力と、その肯定感は、ときにドラッグのように人を狂わせる。
「可愛いと言われたい」という欲望と、「可愛いと言い続けてより可愛くさせたい」という願望が渦巻くのは、別に現実世界の恋愛に限った話ではない。
承認欲求の肥大化と暴走に苦しみ、褒められたい一心からSNSで過激な行動に走る者。
相手をコントロールしたいという支配欲求から、軽薄な「可愛い」という言葉を相手に重ねる者。
自分の価値を他人に委ね、自分の好きなものを他人に依存することは、別に間違った行ないではない。
ある種の市場原理がそこにあるが、健全であるかは別問題として、当人間でそういったことは好きにすればいいのだ。

どういったニュアンスの、どんな裏のある、何のための「可愛い」という評価であるかを見定めなくては、本来の自分というものは簡単に殺されてしまう。

そういう意味では既にここVRChatは戦場だ。
油断した奴らから、可愛いの泥沼に堕ちていく。

だが、俺は違う。

現実と仮想、そして創作を漂う男。
自分を解き放ち、自由への勇気を与えてくれたサイバーパンクという世界を1日でも早く迎え、自分の目でそれを見たいと強く望んみ、この現代社会を生きている、1人の男。
可愛いとは、無縁の、男。

その、はずだった。

今の俺は腰をくねらせ、足は内股、重心はつま先寄りで立っていた。
肘先は腰を指し、手のひらをハの字に広げて袖のフリルがよく見えるように揺れていた。

どうしてこうなった。

そして、身に染みて理解したことがある。
いや、可愛いという世界でしのぎを削る者達を誤解していた。

「可愛く在り続けるって、これ、難しすぎる……。」

2020/06/30 20:00 <退勤後>

Twitterを見ると自分のフォロワー数が100人程増えていた。

「ますきゃになっただけなのに……。」

TS効果恐るべし!こんなむさ苦しいマスクの男すら食いモノにできるとは。

日に日にメス堕ちを求める声も増え、可愛いと言われるようになってきた。
正直なところ、執拗に「メス堕ち」などと言われ続けると頭にくる。
普段の自分ならば、すぐに金属バットでそいつをぶん殴るところだ。
「お前で野球をしたくなった。」とか、夏なら「スイカ割りしようぜ…」と、バット片手に言えば、大抵の奴は裸足で逃げ出す。

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しかし、今の自分の姿は戦闘用とはいえそれはそれは可愛いらしい美少女型アンドロイドの量産型のらきゃっと(ますきゃっと)だ。

創作の世界で言えば、戦闘能力は並の人間より遥かに高い。
しかし、このVRChatという仮想の世界において、自分は全くのカスタムをしていない丸腰のますきゃっとを使用している。
つまり、相手を威圧できるような武器も、強面なルックスも無いのだ。

だがそれ以上に、自分にはいつもの粗暴な振る舞いができない理由があった。

先に言うが、これは他の誰にも強要することではない。
あくまでも自分自身に課せたものの話として聞いて欲しい。

自分は、ますきゃっとのアバターを使うことで「のらきゃっと」という世界観の一員となった。
そして「のらきゃっと」という看板を自分は今、間違いなく背負っていると認識していた。

「量産型のらきゃっと義体の男が暴れている!」なんて噂が立ち、それが伝播する内に、悪意に満ちた誇大妄想で増幅されて祭りだ炎上だなんて日には間違いなく「彼女」がその火の粉を被る羽目に合うだろう。
そんなことは絶対に、自分が何より許せないのだ。

この姿である以上、自らの行ないは「彼女」と決して無関係ではない。
故に「相応の振る舞いをしなくては、彼女に顔向けできない。」
と、自らを律した。

幼少の頃から家業の跡継ぎとして厳しく育てられ植え付けられた、おぞましい記憶。その片鱗が、この思想の根底にある。
しかし、この滑稽な自縄自縛は、ある意味で今回ばかりは役に立った。

別に、ますきゃっと義体でこの1週間を無為に過ごしても良かったのだが、それではきっと何も得られないと、これまでの人生経験で理解していた。
必死になったときにこそ自分は、否、人間は輝くのだ。
だから、売られた喧嘩のようなこの実験に、全力で取り組む。
そして、その覚悟ができていた。
「皮肉だな。」と、苦笑いせざるを得ない。

「ますきゃっととして相応しい振る舞いで実験中は過ごすこと」
これが、自分自身に課せたルールだ。

再度言うが、これはあくまでも自分が「彼女」のためにそうしたいから作ったルールだということを、読者には理解して欲しい。

自由を求めて足掻いて生きたから気付けた、ルールの必要性と使いどころ。


事の発端であるノラネコPからの課題は「自分の思う可愛いムーブをし続けること」だ。それを成すには、ちょうどいい追加ルールだろう。

さぁ、今日も可愛いますきゃっとに1日でも早くなれるように頑張ろう。

2020/06/30 22:00 <実験再開>

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この日、何となく行きたくなったのが大正時代のカフェーを模したワールドだった。
大正時代といえば、日本の着物の着こなしが大きく変わった時代だ。
明治に入り西洋文化がなだれ込み、日本人の知的好奇心を爆発させ、新しい時代の自由を民が謳歌し、テクノロジーの恩恵を受けて目の前の風景が次から次へと変化していった時代。

こういった黎明期の空気は好きだ。
自分はニコニコ動画のような動画投稿サイト、TwitterのようなソーシャルSNS等の黎明期をこまれまで体験してきた。
そして現在、VRChatのようなソーシャルVRが黎明期にある。

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本当ならこんな格好でおやおや言いながら来店するつもりだったが、ご存知の通り今の姿はますきゃっとなので、仕方なくのらのらとやってきた。

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帝都の一角のカフェーを思わせる内装と、このワールドを管理するモダンガールな店員が出迎えてくれた。
メニュー表の料金を見ると、価格が大正時代の相場になっているのも芸が細かい。

カフェーの内装を見つつ、自分は意識的に可愛い動きを続けていた。
スカートがゆるやかに揺れるような腰つき、ふわふわとした印象を持つ手の位置、ゲーム的に言えば待機モーションと呼ばれる無意識の状態からまず可愛くしなくてはいけない。
そこで生まれた呼吸とリズムから、決めポーズを繋げて、組み合わせることで、可愛い動きができるようになる。

……と、理屈で分かっていてもなかなか難しいものである。
恥じらいを捨て、精神の乖離を乗り越え、覚悟を決めてもなお解決できない問題がある。

現実の自分の体は、身長180cm体重100kgの大男なのだ。
そして、その体の筋は恐ろしく硬い。とにかく、柔軟さがまるで足りない。

一方で美少女要素、ネコ要素に共通するものは何か?
のらきゃっとチャンネルの動画をご覧になった方ならお分かりだろうが
「柔らかな動き」と「軽やかな動き」この2つの要素は欠かせないだろう。

しかし、これは明らかに先ほど述べた自分の身体的特徴と相反する。

果たして自分はこの1週間で、自分の体の慣性を感じさせず、しなやかで、さながら身長150cmの体重40kg代の美少女型アンドロイドに見える振る舞いをすることができるようになるのだろうか……?


店内に人が増えてきた。
顔見知りとは気まずい感じで挨拶をする。
そして、初めて会うはずの人もニタニタしながら「あぁ、噂の…」といった様子である。

「くっ、覚えてろよ……。」
と、思っていたら、ぬっと自分を見下ろす影があった。

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「うわっ、怖っ!?」

見知ったはずの獣人の姿の友人と、量産型の自分の姿を見上げる自分がそこにいた。なんでこんなのに一瞬でもビビらなくてはならないんだ、実に情けないぞ俺!

言い訳になるが、このVRの世界では身長が小さくなると、見える全ての物は大きく見えるようになっているのだ。
さながら、成人してから訪れた幼少期を過ごした場所が、当時よりも小さく見えるように、その逆がVR世界では簡単に発生する。

いつもなら彼らの目線が自分の目線と同じ高さにあるはずなのに、自分が小さくなると無力感があって、少しばかり怖かった……。
自分が恵まれた体格であることを自覚させられつつ、今後は背の低いアバターの人と話すときはしゃがんであげようと思った。
怖く見えるというのもあるが、常に相手を見上げるのは首が痛い。
特にVRゴーグルを被って上を見続けるのは、もはや首に良くない気がした。

自分が"否応なしにやらされている(重要)"この実験で、可愛い動きを練習しているという話に、特に反応する人物が居た。

「そんなんじゃダメ、全然ダメ!」

ナヨっとした女々しい喋り方をする高い男の声は、自分の姿から聞こえてきた。地獄か?
先程までは可愛らしい少女の格好をしていた彼は、量産型DJ-09の姿で、プリプリと怒っていた。助けて。

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「はい、これやって!」
ペタンと、床に膝をつき、続いて尻をつき、足先を外に向けて彼は座った。

……!?

下肢用外骨格の開発をしていた自分は知っている。
成人男性向けの設計で、使って良い可動域というものがある。
その設定の根拠は、男性と女性の骨格の違いからきており、特に股関節の可動域は、女性よりも狭いという特徴がある。

しかし、目の前の自分、いや量産型DJ-09アバターの男性は、完璧な女の子座りをしていた!
なんて柔軟な関節、実は本当は女の子ではないのか?

それにしても、体が柔らかい自分の姿というものは……あまりにフェミニン過ぎて、違和感が酷い。脚を見ているだけで筋の硬い自分には痛々しい。

しかし、自分(の姿)が女の子座りを実現している眼前の事実からなのか、不思議と「意外とやってみたらできるんじゃね……?」という妙な気がしてきた。
男は度胸、何でも……

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「お あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
美少女型アンドロイドから出てはいけないタイプの激痛に伴う絶叫。

「痛い!無理!!裂けちゃう!!!」

若干勢いをつけて女の子座りを初挑戦してしまったことに後悔した。
いや、普通にこれは自分が浅はか、実にバカだった。

傍から見ると、土下座の姿勢で絶叫する美少女型アンドロイドと、女の子座りをするサイボーグ野郎に見えるが、こんなサイバーパンクがあってたまるか!というカオス空間になっていた。


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「いや、ちょっと休ませて……。」

現実世界で椅子に座る。仮想の世界では体をトラッキングした結果の反映として、ますきゃっとが空気椅子の状態になっていた。

「そんな座り方したらダメ!」

すかさず、姿勢を指摘される。
足を閉じ、背筋を伸ばし、何なら足を揃えて横に流す座り方も勧められた。

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女の子座り以外にも、様々なことを試してみた。
可愛いを表現するために必要な身体技能がどれだけ自分にとってハードルの高いものなのかを、この数時間で身をもって知ることができた。
あと、可愛いポーズを1つ教えてもらった。
ちょっとあざとい感じのポーズ、ますきゃっとのいたずらな表情となかなかにマッチした。

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今回、体感したからこそ分かったことがある。
VRの世界の可愛いを志す者は全て、ただクネクネしている訳じゃない。
可愛いを作らんとする者全ては、日々研鑽を積んでいる。

そして、毎週火曜日と日曜日の夜8時から配信をしている「彼女」が、いかに高性能であるかを、身をもって知ることができた。

「彼女」のことを更に深く知ることができたことと、可愛いムーブの練習に役立つ情報を手に入れることができたことで、今日の収穫は十分だった。


時系列は前後するが、可愛いに励む自分のところには、日本のVRChatユーザーでは希少種である現実と仮想世界どちらも男性アバターを利用している人達も来ていた。

「いい恰好だなぁ!お似合いだぜ!!!」
「信じていたのになぁ……」
「そのままずっとその恰好で居ろよ!」
「本当に、元に戻りたいって思ってる?」

勿論、この言葉は野郎同士の煽り合い特有のノリや、友人であるからこそ剛速球でぶつけられるモノである。
メンタルの弱っている方には全くおススメできないが、自分にはこれくらいが丁度いいのだ。
実験の終わった今も彼らとは仲は良い。
こういうところが、男に生まれて良かったと思うところだ。

だが、仮面の無い今の自分には、この言葉の僅かな毒の部分が、まるで日焼けした肌を流れる汗とよく似たチリチリした刺激で心に届いた。
それは、自分を失ったという不安、自己と言う器が不確かになった恐怖、自分をこの仮想世界で定義できない現状が招いた弱さだった。

この実験を始めてから、ここぞとばかりに量産型DJ-09になる人が増えた。
自分の目の前で、自分の姿が次々とクローンされていく風景を、自分ではない肉体から、ただ眺めていた。

いつもなら何の気も無しに混じることができた男同士の集まりにも、入りづらさをこの姿では感じるという変化が自分にはあった。
この姿で野郎特有の馬鹿話なんてできないし、そんな気分にもなれないし、すべきでないと自分に課せたルールで動けなかった。

そして、私に話しかけているつもりが、近くの量産型に目線を向けて素で自分と間違えている人が、1日に少なくとも2、3人はいた。
笑って見ていたが、実のところ、この切なさは言葉にできないものだった。

肉体は器でしかないとはよく言うが、その器というものは他人が視認した際に誰かを判断する最初の部分だ。

特に、自分の姿はこの仮想世界でも、現実においても「DJ-09である」と、外部から記号的に認識できるようにと考えてデザインしている節がある。
そんな肉体を失った自分が、果たしてこの仮想世界で自分を自分であると証明できるものがネームタグやID以外にあるのか?と、ますきゃっとになって混乱する頭が落ち着いてからは、日に日に不安になっていた。

自分が、ますきゃっとであることは、もう受け入れざるを得ない事実だ。

では、自分がDJ-09であると証明できる確たる証拠は今、存在するのか?

創作のサイバーパンク世界ではIDも、声も、動きやクセも、肉体ですらコピーできる技術の描写が、いくらでもある。
自我の証明ができるか?という問いは、サイバーパンク作品の定番だ。
それに伴う苦悩は、主人公や、ときには敵キャラクターも輝かせる。

今の自分は、酷く弱気になっていた。
リアルアバターの長期利用によって、無意識的に妄信していた仮想世界における自己存在が揺らいだ現在、自分を自分たらしめるものは何だ?

ゴーグルを外し、シャワーを浴びる間、投げかけられた様々な言葉が頭の中をループする。
鏡を見る。
何とも言えない、違和感が一瞬あった。

「……今の自分は、本当に自分なのか?」

次回、実験4日目「黒猫襲来」

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