世界文学と日本文学の関係性
世界文学=大きな(超国民的な)コンテクスト
小説家ミラン・クンデラは『カーテン』において、次のように語っている。
ある芸術作品を位置づけることができる、二つの基本的なコンテクストがある。自国民の歴史(これを小さなコンテクストと呼ぼう)か、その芸術の超国民的な歴史(これを大きなコンテクストと呼ぼう)かの、どちらかだ。
「世界文学」とは、この「大きなコンテクスト」に位置づけられる文学作品の一群を指す。作品の重要度は如何なる文脈(コンテクスト)において眺めるかによって、異なってくる。
秋草俊一郎は、1994年から2012年にアメリカで出版された8種類のアンソロジー(改版含む)における近現代の主要な日本人作家の登場回数を調査している(「「世界文学」はつくられる」)。登場回数の上位から挙げると、樋口一葉(7回)川端康成(6回)谷崎潤一郎(4回)与謝野晶子(3回)芥川龍之介(3回)村上春樹(3回)三島由紀夫(2回)大江健三郎(2回)となる。そこには夏目漱石もいなければ、森鴎外もいない。却って、日本国内ではさほど言及されない樋口一葉の異彩ぶりが際立つ。
このことは、「世界文学」といっても誰が・どの文脈から・いつ・どのような手段で眺めるかで、個々の文学作品の重要度は大きく異なることを示している。
こうした話をすると、「夏目漱石を評価しないなどけしからん!」と腹を立てる人もいるが、そうした人々は、この世の中には「正しい文学観」が一意に存在して、その正しい文学観との参照関係から個々の作家の評価が規定されることを前提しているように思える。「夏目漱石を評価しないのは、教養のなさの表れだ」というわけだ。
作品の質は「創作」だけで決定されるわけではなく、読者の「読み」によって如何ようにも変化する。そうした「読み」、つまりどの視点から眺めるかで、作品の評価は大きく変わってしまう。その意味では、夏目漱石が評価されないことが問題なのではない。夏目漱石が評価されないことに憤ってしまうその視点こそが、問題なのだ。
近代文学の起源
私は何かにつけランキングを眺めるのが好きだ。さまざまな文学ランキングをみてきたが、中でも興味深いのはノルウェイ・ブック・クラブが発表した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)。これは世界54カ国の作家100人によって選考された世界文学のマスターピースの一覧となっている。
このランキングは奇妙なことに第一位のみ公表されており、それ以外には順位がついていない(もはやこれはランキングと呼べるのだろうか?)。この栄えある一位はミゲル・デ・セルバンテス「ドン・キホーテ」。なぜこの作品だけが、これほど特権的な評価を得ているのだろうか。
残念ながら、順位の理由についてノルウェイ・ブック・クラブは明らかにしていないように思われる(下記のサイトによると、他のどの本よりも50%多い得票があったため、とされているが、ソースがwikipediaである上に、現在ではその記述はwikipediaにはないようだ)。
再びクンデラを参照しよう。
オクタピオ・パスは言う、「ホメーロスもヴェルギリウスも、ユーモアを知らなかった。アリストテレスは予感していたらしいが、ユーモアがはっきりした形を取るのは、セルバンテスの登場以降でしかない。(・・・)ユーモアは、とパスはつづける、近代精神の発明なのだ」〔『弓と竪琴』〕。これはきわめて重要な考えだと言うべきであって、ユーモアは人間の大昔からの慣行ではなく、小説の誕生と結びついている発明なのである。(中略)これについてパスは(そしてこれがユーモアの本質を理解する鍵なのだが)、ユーモアは「それが触れるいっさいのものを多義的にしてしまう」のだという。(『裏切られた遺言』)
クンデラによれば、近代文学の誕生とユーモアの発明は結びついており、その始祖こそが『ドン・キホーテ』なのだ。こうした考察は、カルロス・フエンテスにおいて更に詳細に分析されている。フエンテス『セルバンテスまたは読みの批判』によれば、「中世の叙事詩は、単に言葉と事実が符合するだけでなく、あらゆる読みが、つまるところ神の言葉の読みとりであるような、一つの秩序の中にくみこまれて」おり、キリスト教的に正当な一元的解釈を迫るものであった。それに対して、「ドン・キホーテ」が切り開いたのは、多義的解釈の可能性(読みの多様性)である。(余談ではあるが、ボルヘス「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」は、まさにこの読みの多様性をテーマにした作品だ。)
文学は神話的秩序による一元的世界観(古代)からキリスト教的秩序による一元的世界観(中世)、そして多元的世界観(近代)へと発展していき、「ドン・キホーテ」によって開拓されたこの多義性(近代精神)こそがユーモアを可能とする基盤であるとともに、多様な読みの可能性を準備する土壌となった。
先のノルウェイ・ブック・クラブ「世界最高の文学100冊」の選考者100人の作家の中には、クンデラ・フエンテスいずれも含まれていることも、ここで言及しておこう。
日本における近代文学
ユーモアは近代文学の誕生と結びついている? この考えは日本では馴染みがないものだ。日本において、文学はどちらかといえば「くそ真面目」なものだった。なぜか? その原因はやはり日本の近代文学の出発点にあるように思う。
中村光夫は、日本の芸術の特色として、一方では日本文化の伝統な芸術と西洋近代的形式に基づく芸術(絵画では日本画/洋画、音楽は邦楽/洋楽、演劇は歌舞伎/新劇、詩は短歌・俳句/西洋的詩)が併存していること、他方では小説の領域において、こうした併存・対立構造が不在であることを指摘している。
坪内逍遥の「小説神髄」が、近代の西洋における「小説」の理念の最初の真面目な移植の試みであり、自然主義が、この理念の作品への一応の実現であったとすれば、ここで観念的ながら作家に所有された「近代」は決してあとにもどらなかったので、このように小説においてだけ西洋の影響によって形成された「近代」が在来の芸術の理念を滅ぼし、これに完全にとって代ったことは、必然にその特殊な発達をうながらずにはおきませんでした。(『日本の近代小説』)
この滅ぼされた「在来の芸術の理念」とは、皮肉と滑稽で世相風俗を描く戯作・戯文のことだ。
わが国の近代小説には滑稽や風刺の要素が乏しいといわれています。しかしこれは明治二十年以降、とくに自然主義以降については妥当しますが、それ以前の、ことに明治の十年以前にはまったくあてはまらぬことは今見た通りです。逆にこの時代の散文作品は、「識者」むきの戯文も、「不識者」を相手にした戯作も、みな風刺と滑稽をこととしたので、この原因は(後にそれが失われた理由とともに)考えて見るに価する問題です(『日本の近代小説』)
こうして日本文学は西洋文学に同化するとともに、それ以前の文学の潮流(戯作・戯文=”ユーモア”)を抑圧・忘却した。ここには倒錯がある。西洋文学の起源こそがユーモアであるにもかかわらず、西洋文学への同化を果たしたことで、却ってユーモアを喪失しているのだ。
明治期以降の近代文学は、世界文学の当時の潮流に接ぎ木される形で発展した。当時、自然主義文学や社会主義リアリズムが全盛であった(エミール・ゾラ『居酒屋』が1876年、ゴーリキ『母』が1907年)。そして明治期以降から現代に至るまで、日本の純文学者によって長年唱えられたモットーが「人間を描く」ことだった。「これは人間を描けていない」という批判によって、多くの作品がこき下ろされた(感覚的には、石原慎太郎が芥川賞の選考委員だった頃までは、こうした批判のあり方は往々にしてあったように思う)。ここで徴候的に表れていることは、西洋近代への同化を目指した文学運動が、単なる芸術ではなく、「真実の生き方」を求める求道的な手段へと転化されていることだ。
小島政二郎の「眼中の人」は、芥川龍之介や菊池寛と同時代の著者が、互いに文学論を戦わせながら文学修行に励む過程が描かれた自伝小説となっているが、当時の文学に対する日本作家の眼差しが生き生きと描かれていて面白い。作中、主人公の文学修行がいつしか人生修行へと転化されていく。主人公は、佐藤春夫の打ち出した「芸術即人間(詩人は、真の詩人、よりよき詩人たることの努力によってのみ、いい人間になり得る)」という価値観に啓発され、優れた芸術を物することと人間の完成を目指すことが一致する。
ただこの場合、私を救う道は、善かれ悪しかれ、いや、善悪を込めて、自分の性格に徹し切ることだった。徹し切るには、まず自分の性格を知り尽くすことだった。自分で自分に裸になることだった。裸になるには、自分の小説のモデルにして四方八方からリアリズムの光りを浴びせて観察し解剖することだった。そうして小説に書いて世間に発表して、江戸時代の罪人を日本橋の橋の袂で三日間晒し者にしたように、我と我が手で自分の醜態を天下の晒し者にすることだった。これが私に残されたただ一つの鍛錬の道だった。(『眼中の人』)
「人間を描く(優れた芸術作品の創造)」ためには、「真実の生き方」に徹して、それを実地の下に理解しなければならない。こうして芸術=人生への転化した芸術論が、鑑賞者の眼へと再帰したとき、芸術は真面目なものでなければならず、軽佻浮薄なユーモアは評価されにくくなってしまう。
ちなみに、小島政二郎が文壇に認められるようになった短篇『一枚看板』が発表された1922年には、賀川豊彦『空中征服』が出版されていたことは、注目に値する。
『空中征服』は、工場のばい煙による大気汚染問題を皮肉ったユーモア小説なのだが、歴史上の人物(豊臣秀吉、大塩平八郎など)や神話(アダムとエバなど)を喜劇的に登場させたり、自分の生首を売って歩く失業者を描いたり、涙が洪水となって大阪を覆ってしまったりと、さながら高橋源一郎のようなポストモダン文学なのだが、恐らく多くの方々はこの著作のことはご存じないだろう。(著者の賀川豊彦がノーベル文学賞候補に挙がったことすら、初耳の方が多いはずだ)
不真面目なユーモア小説が、純文学として評価されるためには、ポストモダニズムによって識者(読者)の文学観自体が更新されるのを待たなければならなかった。
日本の近代文学にユーモア小説がなかったわけではない。読者がそれを「真面目」な文学の実践とはみなさず、忘却してきたのだ。
第一に、近代以前の文学に「深さ」がないように感じられるのは、たんにそれを感じさせる配置をもっていないということであり、第二に、しかし、そのような遠近法的配置は、なんら文学的価値を決定しないということである。まるで「内面的深化」とその表現が文学的価値を決するかのような考えが、「文学史」を支配している。しかし、文学は、そのようなものである「必然」をすこしももっていない。(柄谷行人『日本近代文学の起源』)
「深さ(=人間を描くこと)」と文学史上の評価を結びつける我々読者の視点こそが、ここでは問い直されなければならない。
世界文学としての日本文学
世界的に評価されている近代以降の日本文学には、大きく分けて二通りあるように思う。一つは、川端康成・谷崎潤一郎・三島由紀夫といった「民族衣装を着た作家たち」で、彼らはフランス文学の素養を持ちながら、「源氏物語」に代表される中世の宮廷文化(官能的・耽美的)の日本的意匠を引き継いでいる。「日本的なもの(=ローカルなもの)」こそが世界に通用する価値に繋がるという戦略がここにはある。「世界文学への詩論」において、フランコ・モレッティは世界文学とは「外国(西洋)の形式+現地の素材」と論じたが、その論理でいえば、「フランス文学の形式+日本的意匠」の作家たちということになる。(あえて付言すれば、川端康成においては、形式においても「日本的なもの」を創造しえたからこそ、「世界最高の文学100冊」に選出されるほど、評価されているのだと思う。川端康成の独創性については、いずれ別の記事で分析してみたい)
二つ目は、安部公房・大江健三郎・村上春樹といった「無国籍的な作家たち」で、彼らは日本的意匠を武器にしない。彼らは世界文学のコンテクストにそのまま連なるかたちで、実存主義やマジックリアリズムといった技法を発展させ、「小説の自立した歴史」に参画する作家たちだ。
ちなみに、樋口一葉は、秋草によると「外国の影響を受けていない日本的な作家」として海外で評価されているらしい。これは上記のいずれの分類にも属さない例外といえるだろう。女性作家であること、日本というローカルな地域で独自に発達した語り口に基づいて作品が描かれていること、こうした「周辺的存在による独自性」もまた、世界文学の多様性を拡大する試みとして、評価されるポイントといえる。
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