性同一性障害 何それ、治るんでしょ?(母へのカミングアウト~理解まで1)
こんばんは、縁(エン)と言います。
簡単な自己紹介👇
僕は性同一性障害(現在は性別違和)を抱えて生きてきました。
現在は既に戸籍変更を終え、生活や仕事は、完全に男として生きています。
僕は現在一人で社長業をしていますが、完全に埋没して生活をしています。
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現在は、FTM向けのCHANGEというサイトで主に手術情報を公開していますので、是非ご覧ください!
今日は僕が母親にカミングアウトした16歳の話を書いていきます。
僕は10年以上前の、高校1年生の16歳のときに、母親と妹に自身が性同一性障害であることを伝えました。
「性同一性障害だと思う。いつか注射したり、手術して将来は男として生きていきます。そして今付き合っている彼女が居ます」と。
母親はずっと俺のことをボーイッシュな女の子という認識だったようで、女のままで生きていけると信じて疑いませんでした。
カミングアウトした日については、何を冗談言ってるの~治る治る!というか、女の子と付き合ってるから、そういう思考になるんだから別れて直しなさいよ!と。
僕もその日、治りません。彼女がいる、いないは関係ありません。
と伝えました。
そのあと、この話をするたびに治るでしょ、治るでしょ攻撃。(笑)
もうね、うちの母親も頑固なので、笑えて来るくらい、治るでしょ、の話(笑)そして俺も、治りません、すいません。の話。
これは、この時は、本当にこう思っていたみたいですね。
妹は、理解も早く、まあそうだろうねーみたいな感じでした。
これだけが本当に救いだったな~
父親は、おー俺の会社にもおるぞーって感じ。ただそれだけ(笑)
あまりに、母親と僕がこの件で、言い合いがおかしな方向に行ったり、僕の生活も少し荒れていきます。
俺が学校も行かなくなったり、
たまに行ったら学ランで行ったり、
彼女の家に泊まりっぱなしになったり、
バイトの男友だちと遊んで家に帰らなかったりと、
まあ高校生にしたら、やりたい放題してたんです。
そんな俺に母親は常に激怒!!会えば喧嘩です・・・
俺には 門限をなしにしたい、自由にしたいから男になるって言ってるんだろーって、怒ったり、、その時は大真面目でこんな言い合いでした。
そして裏では母親は、妹に毎日毎日、俺への不満!
妹は俺のことを、かばってくれていたようです。
「性別はいいじゃん、いいとこもあるし、優しいところもあるんだから、
もうそれだけでいいじゃん、生きてればいいじゃない」と。
この頃は俺を中心に家族がいつも以上に喧嘩しまくっていましたね!!
本当に妹には悪かったな。ありがとね。感謝です。
そんな感じで、高校は卒業まで過ぎていきました。
高校は何とか、ギリギリ卒業。あと1日休んだら留学でしたけど。
本当に何とか卒業をしました。
高校時代は性同一性障害を知り、自覚したからこそ、自分を偽ることに本当にしんどかった時期でした。
ただ、高校ではかなりオープンに生活していた上で、
友だちも仲良くしてくれていたので、今でもよき理解者だし、
これに救われましたね。
そして、高校卒業した後の19歳から、僕は大学病院へ行きました。
とりあえず今日はここまでにします。
「治るの?」発言はまだ続きますが、、
今日はここまでとします。
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続きは、また書きますね。
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