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書いてみる

以前、お話を書いているという話をした。

この頃書いていた話は無事書き上がった。
書き上がって、ほんの出来心で、小説の添削講座に出してみた。

実は、最初に書いたお話を、「読みたい読みたい」と言ってくれた友達に原稿を送ったところ、割と真面目なトーンで、「本気でプロを目指してみたら?」「公募には出さないの?」と言われ。

編集者をしている人間がそう言うなら、箸にも棒にもまるきり引っかからないという訳ではなさそうだ。
これまで読むばかりだった文芸誌の世界に、公募というかたちで参加してみるのも、中々面白いかもしれない。
そういえば小学校の頃、将来の夢が思い付かなさすぎて、「小説家」と書いたこともあったっけ(ちなみにその前は「サッカー選手」、「ジョッキー」などと書いていた。運動神経が絶望的に悪いにも関わらず……)。

そんなことを色々と考えてみて、うん、これは割に楽しそうな思いつきだ、と、公募に出してみることを決めた。

とはいえただ応募してみても、ひよっこのわたしは「ダメだったなぁ」という結果を前に、何がよくて何がダメだったのか、さっぱりわからず首を傾げて終わるに違いない。
せっかく人に読んでもらうなら、ちゃんと改善点とかも知って、その後の文字書きにも活かしたいぞ。
等々。
根が真面目なので(と自分でいうあたり、どれくらい当てになるのか怪しいものだが)、一度あれこれ考え出すと簡単には収まらない。

そんなところに、ひょい、と目に飛び込んできたのが、世の中には小説の添削講座なるものがあるのだよ、という情報だった。
調べてみると、わたしが書いているような純文学風のお話も、実際に作家をしている人に読んでもらえるらしい。
え、何それ。すごいやん。

というわけで、お金はかかるけれど、申し込んでみた。
そしてその結果が先日、返ってきた。

結論から言うと、よかった。
添削してくれた先生が、想像していたよりうんとうんと親身になってくれていることにまず、めちゃくちゃ驚いた。
原稿の書き込みでも講評でも、予想の五倍くらい褒めてもらったし、構成については、予想の十倍くらい踏み込んだアドバイスをしてくださった。
なんていうか、「え、そこまで前のめりに提案してくれるの?」とちょっとびっくりしたくらい。

受賞のために必要なものはAとBです。Aはあるので、問題はBをどう出すかです。
そこでこんな提案をしたいのですがどうでしょう。

的な感じで、どうしたらこの作品が賞を獲れるか、とても誠実に真剣に向き合って意見を述べてくれている。
原稿に入っている赤は決して多くはなかったけれど、自分の中で物語のキーだと思っていたセリフを、
「この物語の肝はここでしょう」
と言い抜いてくださったのには、「汲み取ってくださってありがとうございます」とお礼を言いたくなった。
というか、原稿の前でお礼を言った。

これがプロの仕事か、すごいなぁ。
そう、素直に感服した。
この人は、どれだけの原稿にこうやって向き合っているのだろう。
考えるだけで、頭が下がった。

そんなわけで、いただいた提案は決して簡単なものではなかったのだけれど、ちょっとがんばってみよう、とやる気が出た。
誰かに評価されるのは、どんなことでも嬉しいものだけれど、わたしにとって、言葉はとりわけ大切なもので。
だから、自分から出た言葉を褒めてもらえるのは、たぶん、何を評価されるよりも一等うれしい。
そのうれしさがまた、言葉を磨き上げるよすがになる。
考えてみればこれまでも、そんなふうにして言葉と向き合ってきた。

とはいえあまり調子に乗ると、それと入れ違いにまた大きな鬱が襲ってくることはわかっているので、まぁ、ゆるりゆるりと。
仕事をするかたわら、無理はせず、なるべく楽しく悩んでみようと思う。

ここ一年ほど、試験からも学会からも遠ざかっていたから、これからは久々の、締切のある日々だ。
うん、こういう張り合いがあるのも、悪くない。

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