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忍耐の弱い役者的生活|文章デトックス

人と話をする、というのが極端に苦手。
今も苦手だと思っている。

正確には、コミュニケーションの目的が違っていると分かった瞬間、嫌気がさしてしまう。言うべき言葉が見つからなくなる。

私は相手方の想像しているシチュエーションに合わせるのがどうにも不得意。想像力を働かせれば、目の前の対話で相手が何を求めていて、どうなると予想し、どういった既定路線を走りたがっているのか、ってのは分かる。理解は示せる。

ただそんな場面に出くわすたび、私に圧倒的に足りていないのは、忍耐強さ、そして”役者力”なんだと、気づかされてしまう。


欲望に忠実で心が感情で埋め尽くされやすい人間(私)は、とにかく我慢が得意じゃない。単純に、せっかち、ってわけじゃない。せわしなく活動したい時にはキビキビ動いていたいし、のんびりだら~っとしたい時には液体みたいに縁側で溶けていたい。そういうマイペースさの維持が好きなのだ。

時には修行や苦行をみずから進んで選択することもあるけど、そういう「我慢したい」という欲望を「我慢」しなきゃいけないケースなんかもあって、そのたびドヨンとした気持ちになる。特に、複数人の関係からなる共同生活の中ではワガママをいってられない。

働いている時間や、会合とかで一緒に移動していたり、会食を楽しんだり、自分のペースだけ律儀に守っていたら到底成立しない状況なんかは、グッと欲望にフタをして、理性的に押さえつけようとする。その瞬間はすごく社会的なイキモノだって自覚を全開にして、群れからはぐれないよう必死で食らいついていく。

でもその変貌っぷりが見るに堪えないんだって自負もある。我慢、してるようで全然できてない。表面にじゃんじゃんばりばりでちゃってる。頑張って白無地の仮面かぶってるのに、その上からプロジェクターで本人のフェイシャルをリアルタイムに投影しちゃってるみたい。どうやっても「猫暮役:猫暮」から逸脱できない。役者としては、三流どころかZ級の出来栄えなのだ。

もちろん環境に適用しようとする気持ちは大事だと思っているし、いたずらに周囲の環境を乱したいわけじゃないから努力はするんだけど、いちいち極端にやっちゃうもんだから、その分やってくる反動もすごい。日常生活で発生する負のエネルギーは消化されないまま体内にためこまれて、私のHPを蝕んでくる。過剰適応って概念に近いのかもしれない。

猫暮は、お酒もたばこもギャンブルもやらない(たしなむ程度の)つまらない人間だから、たまったままの毒素を分解できるキッカケが少ない。だから体の中の毒素が自然に寛解していくのをボーっと待っていたら、一日とか二日くらい虚無デイズを過ごしてしまうことも。

ストレス発散の仕方がへたくそだと思われるかもしれないが、酒もたばこも自分を癒してくれることがないし、人にひたすら愚痴ったところで己に自責の念が返ってくる系のヒューマンなので、たぶんヘタクソというよりそもそもストレスを低減できる手段が限られている系のヒューマン、って解釈のほうが正確なのだと思う。

友人から「不器用なんじゃない?」といわれ続けてきたけど、どちらかといえばそつのない器用貧乏タイプで、レジャーや遊びなんかのルール把握は早いほう。運動神経は皆無だけど。

なんとなくタバコや酒に頼る人間の心理に近しいモノを感じて試してみるけど、巷で騒がれている高度な依存性がなぜか自分には発揮されなくて、何がいいのか分からないまま終えてしまう。

幼年期の酒タバコギャンブルに関するトラウマ的な要素もあるにはあるし、古今東西アルコールやたばこ、ギャンブルによって人生を破滅的に送ってきた人のエピソードは耳にしてきてるけど、完全にマイナスなイメージはない。

むしろ人間の不完全な精神性を象徴する文化とさえ思ってるからちょっぴり肯定的なのだ。エグイ価値観だけど猫暮的には”死”や”心中”に対してさえ好奇心をもってる。たまに布団の内側でタナトスってる日もちらほら。タナトスデイズ。

だけど錯綜するほど没頭はできない。理性のブレーキや意思の力をつかわないまま立ち消えてしまう破滅的文化たちに、内心ですごくがっかりしている。と、同時に、向いていないと気付いて無駄に長生きするかもしれないな自分、なんて失望すら感じちゃうくらいである。生きるの不向きなのに長生きせよとは、これまた酷い原罪をなすりつけられたモノである。

冒頭に記した『人と話をする、というのが極端に苦手。』について、私が苦手なのは「人と話をすること自体」というよりも「特定の環境でその場の空気を守らなきゃいけない状態で話をする」ほうが根本的な苦手の原因だと思う。もしくは、相手の信じる世界観を守り通すこと。

大抵の場合、私の世界観と相手の世界観はまったく違う。微妙な差異であればいいけど正反対なケースもそこそこ。だから、仮面はより分厚くせざるをえない。

どんなに分厚くしたとしても結局役者ができてないから同じことなんだけど、違いがあるとすれば、心の中にムダにダメージが蓄積しちゃってることぐらい。

無理をするつもりもないが、目的がある以上は続けなきゃならない。もっと面倒臭いことになるくらいならと、忍耐の道を選んでしまう哀れなイキモノなのである。

ちなみに、そんな哀れなイキモノの大好きなことは散歩。
酒タバコギャンブルゲームよりも、効果的に私を支えてくれる一つの習慣。今日も忍耐弱い役者がマイペースに街を練り歩いている。







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