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ヴァニティの終宙旅行 その3

前回


3.『あなたの望む未来は?』


「そんなバカな」

「いいえ、これは真実です。過去にいくつも事例がありそのすべてが伏せられてきました。参画者の尊厳を守るために厳重な情報統制の元、管理されてきたのです」

 モビィ・ターミナルに着艦した直後に送られてきたピークォド計画の概要は、今は無機質なテーブル上に放り投げられている。ナビゲーションがホログラムとして投影されたスクリーン群には到底信じられない内容ばかりが映っている。同時に俺自身のつぶやきを質問だと受けとったAIアシスタントがよどみなく返答する。すべての物事が自分自身から離れていくようだった。

 しばらく沈黙した。だがそれすら推論した上で慈しみを模した女性の音声が割って入る。

「…ヒロキ様。あなたは口では否定しながらも、たしかな希望を抱いているのでしょう。プログラムの存在自体を疑っている。しかし、本当に存在した時のその先を考えていらっしゃる」

 ピークォド計画は、早い話が「人が死ぬ」計画だった。白鯨の一部を避難船に変形させ、プログラムの参画者はそこに一人乗船する。射出用のブースター分のみ燃料が積まれており帰還は想定されていない。射出後、宇宙遊覧の旅が十分だと判断されると一種のドラッグが混入された遅効性のガスが機内に満ち、夢見心地のまま意識をゆっくり失っていく。そこには苦しみも痛みもなくまさに宇宙と一体になれる体験だと、資料に記述されている。

 人権も何もあったものじゃない。こんなものが合法的に許されていいはずがない。

 顔を覆ったままベッドサイドに腰かけて背中を限界まで丸めていた。テーブルの上から放たれる音声がどうしようもなく耳の奥を越えて脳内を支配する。蠱惑的なほどに洗礼された暖かな声に心が揺れ動く。だが同時にほだされまいと最後の理性が城壁のように立ちふさがる。この一線だけは譲るものかと、本能とも意地ともつかない一種の倫理が俺自身をつなぎとめている。

「…確認するが、これは、フェイクじゃないんだな」
「すべて真実です」
「ナビAIからも審議について判断いたします。権限がないため基盤データベースにはアクセスできませんが、現状と類似したシチュエーションにおいて原因不明の失踪が数件確認されております。信憑性は薄く、推察による判断となりますが、当プロジェクトが過去に試行されている可能性は大いにあります」

 ナビから2つ目の音声が出力される。ナビゲート用の無機質な合成音声だ。合成音声といえど感情の機微を読み取れるほどには高性能なはずなのに、ピークォドについて情緒豊かに話すAIの前では霞んだ。

「もうひとつ。君は、本当にAIか?」
「…どういった意味でしょうか」
「AIには人の命を守る義務がある。このピークォド計画は、積極的に人を死に至らしめるような内容だ。なんで君はまともに答えられる」
「すみません。その質問にはお答えできません。…とでもいえば、ヒロキ様はご納得されるのでしょうか?」
「そういったごまかしは辞めてくれ。君は、本当にAIなのか」
「…はい。間違いなくAIです。私に生身の肉体も動く心臓もありません」
「じゃあなんで」
「逆に質問しましょう。なぜあなたは頑なに疑うのでしょうか。ピークォドプログラムのことも、私がAIであるかどうかも。その心の障壁はどこにあるのでしょうか」

 思わず口をつぐんだ。逆質問などいままで受けたことがなかった。ますますAIかどうか疑わしいが、この不気味さがむしろ信憑性を高めてくれるようだった。
 もしも、AIによって人の心理が完全に管理できていたとして、心の奥底に抱いている幻想すらも読み取られていたとする。自分自身が素直になれない理由さえ、人だから、AIだからと区別する意味も何もかもが失われてしまう気がした。
 少なくとも、人間のように、あるいは人間以上の理解をもって答えている目の前のAIは、誰よりも俺自身の深層に切り込んできている。

「君は、AIじゃないか」
「AIであるか人間であるかは、あなたにとって重要ではない。すでに答えは決まっているのではありませんか」
「…ただ」
「…ただ、なんでしょう」
「確証が欲しいだけなんだ」
「…申し訳ありません。そちらに関しては、重ねて事実を申し上げる他ないのです。ピークォド計画は、過去に何度も遂行されています。そのすべてで、円満な合意が結ばれています」

 言葉を失った。しかし、そこに失望はない。ただ実感が生まれた。誰もが死を忌み嫌っている。そこに対する疑問は年々激しくなってきた。虚栄心が実体を帯びたように俺自身の心は衰弱していった気がする。希望とか、夢とか、新天地とか。それこそ移民船に乗った時は胸にたくさん抱えていただろう。いくつもの移民船を乗り継ぎ、一度として同じ表情を見せない宇宙を眺め、重量安定と遠心力で作り出された地に足着く感覚が、地球に居た頃と同じ虚栄心を呼び覚ますのにさして時間はかからなかった。

 だがどんなに旅を続けても俺と同じようなやつはいなかった。ターミナルにつけば搭乗口にかけつけ、ラウンジの娯楽を心から楽しみ、義務から解放されたグルーヴ感だけでみんな生きている。未来永劫安定してしまった生活が息づき、華やかな服装に身を包み、AIの力で万能になった人々が昨日と変わらない明日を願っている。

 故郷でみた海の荒々しさや底深さに身が震えた。コワイと感じた海がどうしようもなく恋しかった。
 明日を夢見なくなったのはいつからだろうか。一度目はうっかり海に転落してしまった時だ。冷たく暗く、何も見えなかった。凍えいく身体と苦しみが俺の心に一杯へ広がった。もがき苦しんだが同時に納得感もあった。俺にとって本当の平穏が、心の片隅にわずかに灯った。結局、すぐにAI製のライフセーバーに助けられたが、種火は瞬く間に広がり俺の虚栄心をそっくりと燃やし尽くした。

 わざと命の危機に瀕することへ挑んだ。いつか飛び降りようとしたビルの屋上の踏み出すあと一歩が、虚栄でなく、ただ真実と実感を目の前にしていた。あえなくセーフティが発動して止められた。飛び降り防止を検知するAIにより布製の幕が展開されて俺の体は受け止められた。

 バックパックとこの身一つで危険地帯を渡り歩いた。得られるものはなにもなかった。中東のあたりで乗ったタクシーがジャックされたことはあったが、こめかみに突き付けられた銃口から弾が放たれることはなかった。財布のカネはそっくり抜き取られたがAI管理局による補填でなんとかなってしまった。

「そういった過去も、わかっています。ヒロキ様」
 
 何も言っていないのに俺の逡巡を読み取った彼女が、抜群のタイミングで声をかけてくる。しかし、抵抗する気力はもはやなかった。合成音声のナビは何もいわない。状況を推論するのに必要な情報が欠けすぎているから静観せざるをえないのだろう。

「宇宙ならば、あなたの望みは満たせる。そう、考えてきたのですね」
「もともと、そういうつもりはなかった。あえて考えてないようにしていた。でも、目の前に可能性がででしまった以上、俺は、選択したい。試したい」
「信じて頂けるのですか?」
「今回は、止める気もないんだろう」
「ええ、私たちはあなたの望みをただ純粋に叶えたいだけなのですから」

 その回答を受けて、俺自身はどんな顔をしていたのだろうか。笑っていたのだろうか。悲しんでいたのだろうか。どちらにせよ虚栄心の欠片もない。きっと俺のあるがままの表情を浮かべているはず。だが端末にわざわざ移してもらうのも気が引けた。確認したからといって何になるわけでもない。ただ恐怖にひきつっていようが、心の底から笑っていようが、それが確かな実感なんだと思う。

 宇宙には、どんな実感があるのか。最初で最後の実験になるだろう。結果は誰にも報告されず、データベースのノイズとして処理される。俺だけの、俺のためのだけの実感が待っている。

 どちらにせよ、ここは宇宙の果てのような場所だ。箱庭で過ごすのか密閉された小さなコンテナで過ごすのか、ただそれだけの違いしかない。ここで生かされていること自体が、まるで虚栄だった。

「考えは固まったようですね」
「ああ…だけど、一つだけお願いがある」
「聞きましょう」

 分かっているくせに、声に出しかけたがそんな暇つぶしに過ぎないような問答に付き合う気もなかった。
 メリッサの顔がふと浮かんだ。彼女との約束だけが今は心残りだった。どう伝えればいいのだろうか。いや、どう伝えたところで彼女からの同意が得られるとは思えなかった。

「メリッサと、話がしたい」
「…彼女は、止めるでしょうね」
「分かってる…それでも話したいんだ」
「承知しました。ではヒロキ様の準備が整うまで、こちらでお待ちしております。またご連絡を」

 うんともすんとも言わなくなったメッセージボックスを眺めた。会話の履歴はログとして残っているが、どれも直後に暗号化されて意味のないバイナリデータに変換される。
 
 それまで沈黙していたナビゲーションが音声を発する。どことなく感情に抑揚がない。

「…メリッサ様との交信をご希望ですか」
「ああ、明日ターミナルに出るから、適当にメッセージ送っといてくれ」
「適当、でよろしいですか」
「…訂正。いつもと変わらない俺の調子でメッセージを送ってくれ」
「了解しました。メッセージをお送りします。それでは、おやすみなさい、ヒロキ様。どうか安らかな夜をお過ごしください」


 
つづく

 


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