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人間不信な自分の観察日記となりつつある毎日10枚メモ

こんばんは。昼夜逆転傾向の猫暮です。
ゼロ秒思考、相変わらず続けています。

「書こうと思うよりも先に書く」ってゼロ秒思考が手始めに実践できていて非常に気持ちがいい。ぼーっとする時間が減ったかな。考えるより先に手が出るタイプになった。まって。この言い方語弊があるな。違いますよ?ペンを手にもって紙にババっと書き出すのを先にやっちゃうってことだよ。一昔前の亭主関白なアレじゃないから。誤解しないでぇ。

1日10枚のメモをそれぞれ1分の制限時間内に書くゼロ秒思考プロセス。

書籍も読み終わり、全体的な概要は把握できたけれど、読んだそばから詳細が抜け落ちてしまうのはご愛敬。これは繰り返しじっくりと読む「遅読」がケッコウ刺さるホンかもしれない。

よくあるポストイットでべたべたにしながら読み込むの面白そうだけど、猫暮はアウトプットで脳に定着させていくタイプ。基本的に(愚者は経験に学び、天才は歴史にうんたらかんたらでいうところの)もろに愚者なので、インプット媒体の書籍とかに赤線ひいたり変化を加えても、身にならないことがおおい。いわゆる「やっているフリ」で終わってしまう。


ところが、アウトプット、ゼロ秒思考でいうところのメモ書きとなると、スピード感と記憶力が求められる。調べている時間はないから頭の中のものだけで勝負。素材の味で勝負みたいなもの。ステラおばさんのクリームシチューである。

いい素材を一杯とりいれてお料理していく。そいで満足いく料理が作れるまで何度も書き続ける。このプロセスをつき詰めれるのが楽しい。楽しいって感覚があるから、結構自分に向いているなって思う。

猫暮が書く時は基本ノンストップだ。あんまり熟考しながら書いてるって自覚はない。自然と頭の中に浮かぶイメージを紙だったりキーボードにばばっと打ち込む。

文章がはねることもあるんだけど、落ちるときもある。思考の袋小路的なものに閉じ込められる。悩んでいたり、辛いことがあるとそうなりやすい。

あと、話題がよく飛ぶ。関連性のなさそうなトピックが頭の中に溢れかえっていて、その上を反復横跳びしながら日々をすごしている。まさに考えが全然まとまっていない。ってことに気付く。

ゼロ秒思考の面白いところは、こういった「自分の頭の中」を構造化して観察できる点にあると思った。

「ああ、なるほど、自分はこんな風に考えているのね」
じゃなくて
「ああ、自分はこんなことを考えているんだ」という一個上のメタ視点から自分を紐解くことができる。

具体化したり実体化したりすると、漠然としたイメージを取り扱いやすくなる。見て、声に出して、インクをたらした紙の上をさらさらとなぞることができる。すると次の問題に移れる。

書き出した文章の中にも深堀できていなかったりモヤモヤしていたりな事柄がたくさんあらわれる。情報が整理されていない証拠であり、深く考えてこなかった証拠でもある。ふわふわもそもそした思考群たちが紙の上でポツンとしている。先のない道みたいなもので、じゃあこのふわふわもそもそを一人前にしてやるにはどうしたらいいか。

先に道を作るしかない。そう決意することで初めて物事の先を考えられるようになるんだけど、あらためて自分にはキッカケがなかったと思い知らされる。

人間不信な猫暮は基本的に独りで考えることが多い。でも答えがでるってことはなかった。ひとりうんうん唸って朝、なんてことは日常茶飯事。さらに人間不信だからアドバイスを素直に聞き入れることができない。

これ、結構ツんでる構造だと思うんだけど「人間不信を治すにはどうすればいいですか?」って質問にベストアンサー出せる人0人説ない?

仮にこの問題が解決できたとしても、そもそも「人間を信じれる人だった」って前提がないと成立しない気がする。一時的に人間不信に陥ったけどなんとか復帰した。ってエピソードがキレイに成り立っているだけで「もともと人間不信」な人間に対するアプローチって絶無な気がした。

人間不信っていっても、人間全般のいうことに対して不信感を覚えるってわけじゃないのよね。猫暮けっこうオタクなんだけど、人々の生み出すコンテンツは大好きなの。漫画も小説も映画もYoutubeも大好き。そこに対する熱意は純粋。

だけど、人間関係の中に「自分」が取り込まれた時、イッキにダメになる。
なんか、ちゃんとふるまわないとこのコミュニティからつまはじきにされる!って恐怖心が心を覆う。

だから、追い出されるくらいなら先に自分から出て行ってやる!と意固地になって旅ガラスになるのが私の日常であるわけで。この特性に関して言えば、正直不利に働くことのほうが圧倒的多数だ。信頼関係の構築が難しいし、結果的に安心できる場所が着々と減っていく。

ただ、これが自分の責任かといわれると難しいところだ。努力でどうにもならない部分が大きい。「こういう人間に生まれてきちゃったからしょうがないじゃないか」って諦めだ。そしてこの感覚を人に伝えることも諦めた結果、人間不信になっている。というか人間不信に見えるって感じ。周囲の環境と自分の特性を鑑みた結果、なるべくして人間不信になっている。

努力不足とか、本当に変わりたい気持ちがあれば変われるとか、そういった問題のずっと手前でなんかピタッと固定されちゃってる感じ。

正直、じぶんはずぼらな人間だし、視覚も聴力も嗅覚も弱い。ぜんぶ何かしらの問題を抱えている。ついでに体も弱い。いまエアコン掃除のときに吸い込んだ黒カビとかハウスダストに体を蝕まれているまっさいちゅうだしね。ゴホゴホ。

ただ、なるべくかくして過ごしている。隠しきれてないかもしれないけど、100ある弱みの内、95くらいは隠している。隠すから生きづらいんだと思う。隠してるってことが人間不信の現れなんだと思う。今書いてるこの文章だってそう。

自分の本当にだしちゃいけない部分はうまくコントロールしながら書いている。天衣無縫の逆である。そんな四字熟語あるのかな?慇懃無礼?なんか違うか。

もちろん、書いている内容は本当のことだし、嘘は書いていない。ただ、自分の言葉で書くともっと過激になる。○○が悪いんだ!私は悪くないんだ!とか、漫画や小説で出てくるクズキャラに憧れるときもある。ああ~~そんな風に自分を出しきれたらどんな気持ちいいんだろうか…!そんなセリフを言ったが最後、自己嫌悪で自壊してしまうから言えないんだけどね。



と、こんな感じで最近は内省ばかりメモに書いている。これでいいと思う。最初の内はメモに慣れるためにも、まず自分の棚卸から始めるといい。ここから外部のトピックにだんだんと移っていければ、それがいいのかな?

とにかく、人間不信の観察日記となっているこのメモたち。
いずれ「人間をちょっとでも信じれるようになったらいいね?」なんて謎の保護者目線で、今日もメモをポイポイとケースに投げて入れている。

(所要時間:20分)

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