「あなたの文章が読まれるために」with ~ハードコアな後書きを添えて~
こんにちは。Webライターの猫暮です。
みなさま、連日の記事投稿、お疲れ様でございます!
ところで、最近「どうにも自分の記事読まれないな~」とお困りの方はいらっしゃいませんか?
――もしかしたら、あなたの記事は「重すぎる」可能性があります!
物理的な文字数が多かったり、そもそも伝えたいポイントが多すぎて絞れていなかったり。読みやすさという「軽さ」が欠けてしまっているかもしれません、
読者はシンプルに惹かれる
得てして、人は複雑な事柄から目をそらしたくなるものです。
例えば、ひらがなと漢字のバランスも大事なんていわれていたりしますね。試しに、漢字成分マシマシにした「分かりやすい文章の説明」を紹介してみましょう。下に例文をドンッ(読み飛ばし可)
―――どうでしょうか。
うーん、書いてあることは理解できるけれど、なんだか頭に入ってこない文章…。思わず目をそらしたり、読み飛ばしたくなったり…。非常に重いのです。単語一つ一つが油っこいもので形成された総菜弁当のような独特の感じ…漢字が付きまとう。
こういったシンプルな理由から、漢字だらけの文章は避けられガチです。
文章というより「情報そのものを叩きこまれている」ような気分になってしまうのでしょう。
これを軽くするためにも、文章を「拓く」ことが大切。読まれるための第一歩。文章術というより、デザイン分野の基本の「キ」。「拓く」というのは日本語特有のライティングといってもよいでしょう。英語圏であればアルファベットのみですからね。
日本語のライティングは、実は英訳よりもよっぽど気を遣うのです。内容に関わらず、漢字とひらがなのバランスはそのまま評価につながることもあります。
どんな文章を書くにせよ、日本語で構成する以上は、まず視覚的に「軽い」か「重い」か意識しましょう。たくさんの人に読まれたいと思うなら、文章はよりシンプルに削っていくテクニックや経験が必須となります。
下記の記事がタイヘン参考になりますので一読推奨です!
その「テーマ」、役に立つだろうか?
先ほどは「どんなふうに書けばいいのか」について、拓くという例題をひとつあげて解説してみました。
ここからは「どんなテーマを書けばいいのか」についてです。
大半のライターさんはここで頭を悩ますことも多い。
書くこと自体が目的であれば、深く考える必要ありません。
思いのままに書けると、気持ちがよいものです。
でも、それ以外に志があるならば、もっともっとシンプルに考えてみることも出来るはず。
さて、なぜ人は記事を読むのでしょうか。
――「役に立つこと」を探しているからでしょう。
最初にテーマを決めるとき、簡単なフローチャートをご紹介しましょう。
「え、最初に自分のことを書かないとはじまらないのでは?」と思った方も多数いらっしゃるかと思います。しかし、現代は跳梁跋扈する不特定多数の個人が発信力を持つようになったアテンション・エコノミーの時代なのです。
これは誰もが口を酸っぱく言っていることですが、いきなり自分の日常を書いても、どこの誰だかも分からない人の日記は読まれません。
最初に書くテーマは「自分という主体」を書くのではなく、より「身近で役立つ内容」がベターな選択でしょう。
新商品のレビュー。
役に立つビジネステクニックや心理学。
日常でささっとつかえるライフハック。
最新ニュースの再翻訳など。
これらについて書くのがよい、とされています。普遍的で万人が知りたい!と思っていることを書き出してくれるライターさんの記事は、よく読まれます。難しいかもしれませんが「信頼できる発信元」という評価が得られれば、自分にとっても読者にとっても心強い要素となるでしょう。
だんだん「ブランドの根っこ」が知りたくなる
モノカキの世界では「書き手が文章を決めるのではなく、文章が書き手を決める」という不思議な逆転現象が起こります。書き手のことに注目してもらうためにも、書き手自身が徐々に認知される過程が必要なのです。
これらがいわゆるブランド力に繋がります。
わかりやすくフォロワー数などで試算することもできますが、一貫した記事には一定のファンがつくものです。
もちろん、普遍的に世の中の関心毎を書いていくのもよいのですが、ここにプラスウルトラで「個性」を交えていくとなおよしでしょう!
例えば、
「実際にワインソムリエがテイスティングしてみた」
「全国津々浦々のラーメン巡ってみました」
「年間100回以上美術館を訪問する著者オススメの展覧会」
「え、よんでみたい!」と興味関心を持たせられるパンチラインが大事です。その人にしか書けないという希少性は、大いに読書欲を刺激します。
…しかし、このままでは少々軽すぎる気もしますね。
こういったベースを元にさらに「一要素」加えることで唯一無二の個性が完成します。
「家庭の余り物で作る"自然派ワイン"をソムリエが本気で考えてみる」
「日本史の教員が江戸時代から令和まで、時代を越えて日本のラーメン進化を巡る」
「生粋の学芸員が、人間とAIの作品が混在する謎の美術館で100日間生活してみる」
こんな感じにしてみました。
割と適当ですが、不思議と魅力的な響きがあるような気がしますね。組み合わせの妙、というやつです。詳細には語りませんが付加価値を掛け算することで個性は磨かれていくのです。足し算ではなく、掛け算ってところがポイントでしょう。
こうして完成したコンテンツを継続的に発信していく中で、はじめて「自分の日記」にアテンション・エコノミーな価値がつきます。この段階ではじめて、人々の関心毎が記事を書いた人そのものにリーチするのです。
「この記事を書いている人って、普段どんな生活をしているのだろう?」
すると「実はこんな話が…」「昔はこんなことやっていて…」といった裏話が「読者の知りたい情報」に進化していくわけですね。
もしも、文章に触れたばかりで何を書いたらいいのか分からないよ、って方がいらっしゃいましたら、このルートを意識してみるとよいかもしれません。
もしも「人の役に立つこと」が、あなたの書きはじめた理由であるならば、これほどぴったりの動機は他にないでしょう。
終わりに
以上、書くについてあれやこれやとダラダラ書き綴ってまいりました。
書くためにも、自分にできる領域を考えていくことが大事ですね。
自分に何が書けるか。
自分は何を書きたいか。
人は何を読みたいか。
ちょうど光の三原色の要領です。
領域が重なる点を狙って「考えて」書く。
おそらく闇雲に書くだけでは、人の関心毎へのアクセスは難しいでしょう。
意外かもしれませんが、モノカキさんたちが「書く」ことにそれほど時間を割いていません。せいぜい全体の2割程度とされています。
たとえば、一つの記事を完成させるのに「6時間」かかったとします。
とあるライターさんの内訳を聞いてみたところ、次の通りでした。
実際の執筆時間は、全体の1/6程度。さらに編集や校閲といったチェックを除けば、たった1/18しか書く時間に割り当てていません。
書くよりも考える時間のほうが、はるかに「重い」のです。
「ライターさん」という名前に反して、書く時間は短い。
どちらかといえば考えたり、裏どりをキチンとすることに労力を割きます。
個人的には、ライターでなく「シンカー(thinker)」と名付けたほうがしっくりくるほどです。
もしも、自分に書きたいものがないのであれば、ぜひともこの「シンカー」を目指してみてはいかがでしょうか?
この記事がお役にたてば幸いです!
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
・・・
後書きという名の本編
はい。ということで心にもない記事を書きました猫暮です。
ぐへへ。アイロニー猫暮がひょっこり顔を出したぞべらぼーめ!
私自身、さっきの記事の中で「~~が大事でしょう」とか「~~が大切でしょう」とか文言をぶちこみまくってみましたが、この頭にはすべて(世間一般では)という枕詞が巧妙に隠されています。
何が言いたいかと申しますと、、、
猫暮は今日書いた内容一切に興味がないのです!!!
「書きたいなら書けばいいじゃん」という過激派思想を持っている社会不適合者なのです!
実際、猫暮のnoteの執筆内訳はこんな感じ。
もちろん、お仕事での内訳とはだいぶ違います。もっと真面目です。さっきも書いた通り、お仕事では裏どりや調査にはるかに時間をかけています。
でもね。一つ思うんですけど、noteと仕事一緒にしちゃうの勿体なくない?と思い始めたわけなのです。
ここは解放された場所。チラシの裏みたいな場所。心のままに書き綴って本心さらけ出したほうが気楽なのです。
器用にアカウントを使い分ける現代人に習って、猫暮もインターネット匿名者として名を馳せている現状ではあるけれど、作り物のシンクタンクこさえて「猫暮さんの記事はいいよね!」なんて言われることに、まったく興味が湧かない!!!すごい、これっぽっちも湧かない困ったちゃん!
たまに刺さることもある、くらいでちょうどよくないです?書く記事が全部刺さったら逆に怖いって。そんな人いたらホワイト社会にチューニングされた全身サイボーグ人間がまた世に排出されちゃったんだな~って感じで猫暮見ちゃいます。
猫暮はいつも面白いことを探しています。
熱しやすく冷めやすい。次から次へと興味が移り変わり、変化のない日常にすぐさま飽きてしまう。かといって冒険家の如くフットワークが軽いわけでもない。
とにかく、普通じゃない猫暮は常に普通じゃないことを求めています。こんな記事を書いておきながら自己矛盾の嵐です。
本編で、
とか書きましたが、猫暮、そういう日記こそ本当に面白いと思っています。
誰にもリーチされない、自分のことを病気のように書き綴っている妄執的な日記が大好きなのです。そこに「ひずみ」があってはいけないとすら思っています。
「ひずみ」ってなんのことかって?
今日書いた内容が全部まるっきり「ひずみ」です。このひずみを微塵も考えずに心のままに書き綴った日記が、私にとって本当に面白い読み物なのです!!
ノンフィクションなのが本当に良いの!!!
あれよ。「イシナガキクエを探しています」で有名なディレクターさんが作るモキュメンタリーとかそういうのじゃないのよ。行方不明展とかも好きだけど、本物のノンフィクションからは取れる栄養が違いすぎる。まるで体の中で生成できない必須アミノ酸を摂取している気分。
たとえ多少脚色されていたって、そこには「読ませる気がない」のよ。読ませるための努力よりも「自分の気持ちに正直である」ほうがよっぽど強い。その気持ちは間違いなく本物で「読まれたらいいな、、、」って希望的観測が多少スパイスとして加わっているならなおよし!!!!!とにかく添加物モリモリな余計な脚色はしないでちょうだい!そんなものは全部AIにお任せしなさい!
「真実のドキュメンタリー」に他ならないから面白いのよ!ビバ!ノンフィクション!
――私から言えることは一つ。
イイ子ちゃんな記事を書くのは結構。
だけど猫暮は、ありのままのあなたが書く文章が読みたいの。
だから、テクニックやら文章術やらバカみたいに飽和したコンテンツを過剰に摂取する前によ。
あなたの中にある、本物をまず吐き出してちょうだいな。
それ、吐き出しきってから吸収しても遅くないと思うの。
noteでくらい、本物をみせたっていいじゃない!