見出し画像

起き抜け一杯

昼夜逆転傾向の私。おはようございます。

もはや仮眠と本眠の時間が同じくらいになりつつあります。たいへん。寿命削れちゃう。でもドはまりしているフリーゲームがあるからしょうがない!身を削って楽しみつつ、でも読書もしたいから本を読む時間も割いて…と、やってると不思議な生活リズムに。朝の散歩を習慣として取り入れれば元に戻ってくれる気がする。朝起きれるかな。朝は苦手。

とりあえず、からっからに乾いた喉を潤すことから始める。駆けつけ一杯、ならぬ起き抜け一杯。飲むのはただの水。でもこの水が人生で一番おいしいかもしれない。

その昔、数量限定のウィスキーのボトルを買ったり、濃縮還元じゃないフルーツジュースをありがたく飲んだりしていた。どれも家族や友人とわけあってみた。安いウィスキーと並べて利き酒したり、濃縮還元のジュースと並べて格付けランキングまがいの遊びをしたりもしたっけ。結構盛り上がった記憶がある。ちなみに私の選んだほうに浜田はこなかった。味音痴確定の瞬間。

でも、飲み続けていれば、本来の味が分かってくる。なんとなく、これは高そうだな、とか、これは美味しいやつなんだな、とか。本当になんとなく、酸いも甘いも?味わってきた気がする。

そんな経験の累積の中で分かってきたことがひとつある。
やっぱり水がサイキョウなのだ。この際、水道水でいい。カルキ臭なんてなんのその。

水って、不思議だ。
原点にして最強なのに、無味無臭でとっても謙虚。
上善如水って本当だったんだなぁ、って日々思う。

高級なお酒やジュースと比べられることすらない。なんか比較対象にも選ばれない。でも、同じ土俵に並べたら無意識に「水のほうが下」って思ってしまう。

物腰がものすごく柔らかいのだ。いつでも自分を下にしていいとほほ笑んでいるけど、実際には最高の善に近いのだ。慌ただしい世の情勢にも柔軟で、それでも変わらずに私たちの生活を支えてくれている。

水のような人になりたい、と思う心もすごく理解できる。
私もそんな水を目指したいと思う。

水は濁りやすくもある。底に沈められるものによって、いくらでも性質が変わってしまう。でも、水は濾過できる。それに濁りのない水域にはサカナは増えない。まるっきり澄んだ水っていうのも、それはそれで不健全な部分があるのかも。

人は仏になれない、とか、精神の不完全さこそ人たる証、とか、多少の濁っていたほうがよっぽどありがたい。

「上善如水!」とかいいながら、起き抜け一杯。
今日も感謝しながら、恋しいカルキ味の水道水をゴクリと飲んでいる。

いいなと思ったら応援しよう!