ボーっとしている中で突然うまれた軟骨の話
今日はいつにも増して頭がぼーっとしている。
熱がある?
いんや、いたって平熱。通常運転。
私の脳内工場は相変わらずアイドリング状態。
クールジャパンの名に恥じぬ稼働状況である!
だけど、こうのんびりと過ごしてしまった日は、不思議と罪悪感で満ちてしまう。
猫暮、そんなに「成長!成長!」と躍起になるタイプじゃないんだけれど、どうにも一日立ち止まってしまったなぁっていう気持ちが、二律背反気味に訪れる。何やってんねん私。
低糖のコーヒーが好きな猫暮は子ども舌&猫舌。
アロマ薫るコーヒーを十分冷やしたタンブラーに注いでワクワクしながら、「あ~あ、まったりしちゃったなぁ」と後悔も同時襲い掛かってくるタイプの変な人間なのだ。
この罪悪感についてちょっと考える。
どこから君はやってきたんだい?
なんのためにやってきたんだい?
サイトシーング?
ビーフオアチキン?
おそらくだけど、なんとなく頭の中の偏見さんが猛威を振るっている気がする。
「おい、そんなまったりしてちゃあ立派な大人になれないぞ!」
「おい、今日一日でどれだけのことができたと思っているんだ!」
とか、そうやって鏡の前で毎日自問自答するスティーブ・ジョブズのありがたいルーティンに想いを馳せている感じがするのだ。
なるほど、ずいぶんと上昇志向が強い猫暮がいたもんだ。
だが、残念だったな。
本来の私は超絶マイペース人間なのだ。
流行とか全然気にしないし、自分の気に入ったものは20年前だろうが30年前だろうが遡って楽しみ尽くす。みんなと同じなんてまっぴら逆張り人間なのだ。
いや、逆張りですらない。多分ねじれの位置みたいなコンテンツに心惹かれてフラフラ~っとどっかいってしまう感じ。
偶然、私の興味をもったコンテンツが現代の主流だったら、特に違和感なく迎え入れるだろうけど、それも「私が面白いと思った」って価値観に従って摂取しているのだ。
たぶん、流行ってるとか、みんながやっているからとか、そういった属性に興味はないと覆う。
私の中では「推しの子」も「魍魎の匣」も「ファイナルファンタジー14」も「老荘思考」も、完全に同列。めっちゃ等しい。どれもらびゅらびゅ。ただ自分の好きなものに正直なだけなのだ!
だからかな、多分もう一人の社会的な視座を大切にしてる私は、そういうものが「余計」だって考えているのかもしれない。
困ったちゃんだね。自分で自分のメンタリティを痛めつけてちゃお話にならない気がする。
でも、そういう自罰的な機構がわたしの心と頭の中では作用しているみたい。本当に無意識レベル。私の意思とは関係なくスリップダメージが常時発生してる。
酷使するとすり減るナンコツと一緒で、ゴリゴリと音もたてずに亡くなっていく精神性。ヤゲンナンコツ食べたい。情緒どうなっとん。
たぶん、どっかで表層化して歯止めを聞かせてやらないと、なくなっちゃうまで続けちゃうんだろうな。
ナンコツなくなったら大変だよ~?
動くたびに痛いだろうし、そもそもナンコツって自己修復機能を持ってないから手術するしかなくなっちゃう。
関節部の骨組みって、表層、中間層、深層、石灰化層の4層構造。最深層の石灰化層の下には軟骨下骨と呼ばれる骨組があるんだけど、そこ付近にはあんまり血が通ってない。なので肉体の源である血の恩恵が受けられなくて回復できないって感じらしい。
筋肉とは根本的に違うかもしれないけれど、思考だっていくつかの層に分かれていると思う。きっと根元のクオリア的な発想から、幾重にもフィルターがかけられて表層化したのが共通言語。わたしたちが社会で生きるために必要な能力や素養のカタチ。
じゃあそのクオリアに一番近い思考ってのが軟骨でいうところの石灰化層にあたるんじゃないかなぁって。
これが削られたら思考がギシギシになる。共通言語がガタガタになる。
曲がらなくなった関節みたいに、柔軟性がなくなって、日々の生活に適応していくってことができなくなっちゃうんじゃないかな。いうなれば抑鬱傾向。
そしたら生きるの、ってしんどくなっちゃうよね、っていう謎の発想である。
ひ~~~。ナンコツ大事にしなきゃあね…ポリポリ。