ヴァニティの終宙旅行 その1|ファンタジー小説部門
1.『あなたのユーザビリティ指数は…』
「あなたのユーザビリティ指数は、Dと想定されました。…ご気持ち、お察しします。…もし内容に不服も申し立て等ある場合、管理委員会までメッセージを送信できますが、いかがされ―――」
目の前の端末のシャットダウンボタンに手を掛ける。ナビゲータホログラムを上部に投影していた電子端末はただの四角く薄いだけのガラクタになり果てた。継ぎ目を隠すことのない寄木細工のような造りをしたテーブルの上に放ると、材質同士がぶつかる乾いた音を響かせたあとサーと滑っていった。
4畳ほどの四角い個室の中、溜息を吐く。そのまま後ろに倒れ込むと、背中にベッドの柔らかい感触が伝わる。見上げた天井はいつかアーカイヴでみたアニメの光景そのままだった。違いがあるとすれば、どこもかしこも寄木細工だらけだった。
そうしていると軽快なジングルの音が聞こえてくる。艦内放送の合図だった。
「恒星間移民船『白鯨』にご乗船の皆様にお知らせいたします。まもなく当艦の休眠エリアはコールドスリープに入ります。前項説明を申し上げました通り、このまま遊覧をご希望の方、また、その他のご要望がおありでしたら、規定時刻までに該当エリアより離れることをオススメいたします。お手元のナビゲーションを参考に、該当エリアのご確認をどうぞよろしくお願いいたします。引き続き、快適な宇宙の旅を、お楽しみください。」
女性の朗らかな声色を模したナビゲーションが響き渡る。無機質とは無縁の情緒に溢れた案内は、艦内でスタッフとして働いているAIロボットによるものだ。
彼女、といって差支えがあるかはわからないが、実際に声の主たる存在は艦内を巡り歩けば目にすることができる。服を着ていて、歩いていて、表情も朗らかで、人間とみてくれもほとんど差がない。あるとすれば首元のAI認証デバイスの有無くらいが、人間と彼らを隔てる唯一の判断基準だった。とっくに人類は不気味の谷を克服している。
そして、俺はたったいまそんなAIから死刑宣告を受けたようなものだった。意気消沈してベッドから起きる気力も、天井のまぶしく光るランプから目を覆い隠す気力もなく、手足をただ大の字に広げていた。そんな状態のまましばらく動けずにいたが、ドア越しにくぐもった声が聞こえてくる。
「ヒロキ。入ってもいい?」
聞きなれた声とともに、テーブルのナビゲーション端末から許諾の是非を問うメッセージがホログラムとして投影される。「扉の開閉許可、いかがなさいますか?」と漫画の吹き出しみたいに表示されたそれを横目でチラリとみてからぶっきらぼうに返事をした。
「ああ、いいよ」
発声と同時に灰色の扉がスライドし、驚いた様子の彼女、メリッサの姿が扉の奥に現れた。腰まで伸びた金色のロングヘアー、エメラルドの瞳。顔立ちは、西洋と東洋を混ぜ合わせたような印象で、どこか妖精を連想させる。見慣れていた。
「わっ、どうしたのさ、そんな大の字になって」
「あー、なんだっていいだろ。大の字になりたいときもあんだよ」
「どんなときよそれ…。で、いまのアナウンス聞いたよね。もちろんそのまま眠る気はないんでしょ?」
「ああ…そうだな」
大の字からごろんと転がって、彼女の姿を視界から消す。壁をただただ見つめて自問自答してもみたが、なんの感慨も湧いてこなかった。
「なによそれー。このままいたら1か月が一瞬で過ぎちゃうよ?勿体ないでしょそんなの!せっかく再会できたんだから、ちょっとお話しようよ」
「つい3か月前にも話したばっかだろ、別の恒星艦で。お前との腐れ縁もここまでくると怖いわ」
「腐れ縁って、ひどいな~。せめて幼馴染って言ってよ」
そういってベッドの大きくたわんだ感触が伝わってくる。メリッサがすぐ横に腰かけていると気づいていながら、俺はかたくなにそちらを向かなかった。
「どれどれ、ヒロキは何を見てたのかなっと」
ベッドの軋みが和らいだのを合図に、メリッサがテーブルの上にあるナビゲーション端末を触ろうしていると見当がつく。どうせ本人認証がパスできないからどうということもない。
「おい、勝手に触わるなよ」
そう口では抵抗しながらも体は相変わらず壁を向けたままだった。口以外動かす気にはなれなかった。
「あ、開いた」
「…はいはい」
どうせそれも俺を振り向かせたいがための嘘っぱちだろうと、昔からカマをかけ続けてきたメリッサの手には乗ってやらない。だが思いがけない言葉が続いた。
「そっか、ヒロキ、ユーザビリティ指数が…」
そこで初めて全身に気力がみなぎった。緊急で予備バッテリーが急遽作動したみたいな勢いで体勢を変えると、神妙な面持ちでナビゲーションを目にするメリッサの姿があった。たしかにさっきまで俺の権限で動いていたはずなのに。そういってベッドから立ち上がり、メリッサの手からナビゲーションをひったくった。確かにロックを突破し、ユーザビリティの結果を示す画面が表示されていた。
「お、おい。何で見れてるんだよ」
「え?わかんない。ヒロキ、ファイルひらきっぱなしだったっぽくて、結果が映ってたから…。え、てかごめん」
「…謝るくらいなら見るなよ」
最低限の機能を残して端末はシャットダウンしたはずだ。それこそ、扉の開閉制御とか光量の調整だとか緊急アナウンスの再生機能だとか根幹的な部分は全部停止していたはずなのに。俺のユーザビリティ指数に限って表示され続けていたなんて、それこそありえないだろうと思った。
ひったくった端末を抱えたまま、ベッドの隅にひきこもる。今度は一面の壁だけじゃなく二面の壁の境目が視界を支配していた。
「ねぇ、なんでユーザビリティなんて調べたの」
「なんでって…、気になっちまったから…つい」
「そういうのもう気にしないって、この前しゃべったばっかじゃん」
無機質に表示されているユーザビリティ指数と判定結果の『D』。このアルファベットの意味するところは、メリッサの反応通りまったく芳しくないものだ。
ユーザビリティ指数とは、簡単にいってしまえば、AIがシステム的に自分という人間を統合的に判断した結果、社会やコミュニティにどれだけ重宝されるかを指数化したもの。さらに個人的なチューニングにより、俺の端末ではゲームによくあるようなランク付けで表示されている。
「別に、あんときは人がいたし、話を合わせただけだよ」
「なんでよ、話合わせなくていいじゃん。素直に喋れば」
「んなことしたら空気が凍るだろ。やなんだよ。そういうの」
「そういうのって…。じゃあこの移民船乗ってる意味なくなっちゃうじゃん。理想の星探すために私たち色んな船乗り継いでるんじゃないの?ありのままで生きられる星をさ!」
メリッサが声を張り上げた。あわててナビゲーションから防音機能の拡張を指示する。壁がほんのわずかに突き出し、家具やベッドの位置も合わせて調整される。
「3か月前と、事情が変わったんだよ」
「なに。じゃあ話して」
「そんなのすぐ話せることじゃねぇよ」
「起きてとりあえずラウンジ行こう。このままじゃヒロキ寝ちゃいそう。ゆっくり話せなくなる」
「…強引だな」
「強引も何も、そういうしがらみとか周りの目とか気にしたくない人達がここに乗ってるんだから、したいようにしていいんだよ」
「このままここで大の字なってるつったら?」
「客室AIに怪我人だーって騒いで連れてかせる」
「そりゃひでぇ」
やっぱり強引じゃないかと少しだけ笑いがこぼれた。部屋の角に反射してメリッサにも伝わったかもしれない。振り返ってみれば案の定いい顔をした彼女が二へっとした口元を添えて俺を見つめていた。
「じゃあ、いこ」
彼女が先導して扉に向かう。開閉された扉の奥にその姿を見届ける。それからベッドサイドで大きく溜息を吐いて、観念したように後を追った。
廊下にでて、しばらく進むと大広間に出る。
メリッサはテラスのように突き出したスペースで待っていた。転落防止と無重力時のナビゲーションの役割を果たすスロープに寄り添い、発艦したあの頃と変わらず前方に広がる巨大な窓を眺めている。俺も、メリッサの横に立ってスロープに体重を預けた。
区画の一面を覆いつくす窓の向こうに、深海の底のような宇宙が広がっている。無数の星々が夜光虫のように静かに瞬き、遠くの星雲は海中に漂う淡い絹のベールのように見える。初めて目の当たりにしたときは、不思議な親密さを感じたし、まるで故郷の海をいつまでも眺めているかのような安らぎが胸の奥に広がっていた。
といっても、そんな宇宙の海に心酔できたのは、最初の1か月程度。今ではすっかりと艦内の人工的な空気に身が染まった。データに管理された安心安全の環境、AIによる完全な制御下における不安の欠片もない航行に次ぐ航行。コールドスリープの時間も含めれば、もう10年も旅をし続けている。様々な移民船を乗り継ぎ、自分の理想とする惑星に至るための長い長い移民生活。いつからか、宇宙のほの暗さに不安を感じるようになっていた。
ここから窓まで物理的に1km以上は距離がある。どの階層からでも前方の巨大な湾曲した窓を通して宇宙を見通すことができた。湾曲した窓を追って見上げれば、頭上まで窓が続いている。ちょうど真上を見上げたあたりから、光源がちりばめられた寄木細工のような天井に変わっている
スロープから下を覗き込んでみれば、吹き抜けのように最下層を見渡すことができる。最下層にはパラソルがいくつも展開されたカフェテリアや、繁華街を象徴するようなカラフルな屋根群が見える。その一つ一つが居住区であったりレストランやショップなどの役割を担っていたり、人々の生活と娯楽を支える人工的な街、通称「ラウンジ」が眼下に広がっている。
「おまえも飽きないもんだな」
「飽きないよ」
星空を眺めたまま、メリッサはいった。
「なに、ヒロキは飽きちゃったの?」
「さぁ、見ようと思えば見てられるんじゃね」
「なにそれ、じゃあもう見ようとも思わないってことー?」
「あー、故郷の海みたいなもんだよ。気持ちがアレな時は、こう、感傷に浸れるけど、そうでもないときは別になんとも思わないっつうか…」
これを聞いてメリッサは笑った。「アレって何よ、ボキャブラリーなさすぎ!」と若干お腹を抱えていた。「バカにしすぎだろ」と冗談交じりにポーズをとってみたが、途端にそんな自分自身に嫌気がさした。おちゃらけて、取り繕って、幼馴染の前でもてんで素直になれなかった。部屋での不貞腐れた態度だって、本気なんかじゃない。本気で素直になってたら扉すら開けない。
「いまどうなのよ?」
「あー、べつに…かな」
「そうなんだ」
メリッサに見られたユーザビリティのD判定が頭にこびりつく。俺はどうしたいんだろう。どうすればいいんだろう。彼女はどう思ったんだろうか。疑念が頭を渦巻く。しかしそんなモヤモヤした気持ちで眺める星空は、不思議と落ち着いた。冷たく無機質な真空に見えていた宇宙が、今日はほのかな熱を帯びている。
そうしているとアナウンスが再び響く。
「現在、コールドスリープ区画の整備を行っております。該当のエリアをご利用中のお客様には、大変ご不便ご迷惑をおかけしております。何かお困りのことがありましたら、お近くの乗務員AIにお申し付けください。――。ただいま当艦は目的地であるモビィ・ターミナルに向けて順調に航行中です。先刻より惑星エイハブの陰に入っておりますが、よろしければ窓の外をご覧ください。エイバブの外縁が明るくなっていくのがお分かりになるかと思います。いましばらく、神秘的な夜明けの光景をお楽しみくださいませ」
俺の気持ちを読んだかのように案内が入った。接近していた惑星エイハブの一角からアスタリスクのような輝きが広がり、宇宙に輝かしい半円のリングが生成された。青とも紫ともつかない自然の織りなすグラデーションの光が艦内を突き刺す。陰から光源が露出するにつれ、いずれの色もまばゆいばかりの白に収束していく。光彩がリングのそのまた周りに七色の虹を作り出し、黒ばかりであった宇宙の一部に朝が訪れていた。
横目でちらっとみたメリッサの横顔は変わらず窓の外に張り付けられていたまま、その光景に目を奪われているようだった。まるで俺との約束を忘れてしまったみたいに没頭している。
それを邪魔できるだけの勇気も、憤慨も、自分自身の主張も、何一つ持ち合わせていなかった。
彼女が正気に戻ったようにこちらへ目を向けると「ごめん、じゃ、いこっか」といって俺の手を引っ張った。そうして、ラウンジに二人で向かった。
その時、メリッサの手が驚くほどに冷たかったことだけ、やけに印象に残っている。
つづく