見出し画像

『遺言は死者の口から』その1



何もない山間部の小路を、3人連れ添って歩いた。
姉と母。
会話はない。
ただただ黙って、歩いた。

木漏れ日がジグゾーパズルのような影絵を砂利道に映し出している。
陰鬱に顔を覗かせる太陽が、裾から露出した肌をジリジリ焦がす。
左右の雑木林から、セミの声がひっきりなしに響く。

そんな光景を30分ほど続くと、やがて変化が起こる。
黒色の雲が立ち登った。
遥か眼前にまとまって、煤けた綿菓子のようだった。
ちょうど富士山の山頂あたりで、似た光景を見た。
雲に触れる、なんて経験にわくわくした記憶が、にわかに立ち昇った。

煙は、道の脇にある小さな木製の小屋から漏れ出ていた。
電話ボックスくらいの背丈で、竹を組み合わせたスカスカな扉はサイズがああっていない。上下に大きな隙間が空いている。
上の隙間からはもくもくと黒い綿菓子が押し出されるように量産され、下の隙間からは控えめな火の朱がチラチラと姿を見せている。

何かを中で燻製しているらしい。
小屋の横合いに不揃いな薪が積まれている。
扉の裏に潜む正体を探ろうと少しだけ寄ってみたが、ねっとりと付きまとう刺激臭が鼻腔を貫き、思わずせき込んだ。

小屋から視線を外して正面を見ると、目当ての家へたどり着いた。
正面に仁王立ちしている。同時に、小路も終わりを告げていた。
民家というより神社の佇まいだった。

かやぶき屋根が開いた本のように被さり、伸びすぎた前髪みたいになっている。底上げされた縁側はまばらな無垢材で、ぐるりと家の周囲を囲っている。

足元の砂利道が石畳に変わり、妙に突き出したかやぶき屋根のたもとに入ると、一切を陰に変えた。うだるような暑さが一気に引き、肌寒いほどに冷えた空気がまとわりついた。

同時に、縁側の奥の開け放たれた部屋の様子がうかがえる。玄関というより、ただ障子で区切られていただけの空間だった。

暗がりの中、何名か喪服の人影が見える。7人ほど。誰もがこの民家に似つかわしい年配者だった。うつむいたり、崩して座ったり、表情はうかがい知れない。

気付けば、私自身も喪に服を着ている。
姉も母も、さきほどの燻製綿菓子を全身に受けたみたいに真っ黒だった。

先に、母が靴を脱いで縁側に乗り上げ、かがんで靴を揃える。
姉も私も、それに習う。

そのまま屋内に進み、自身も暗がりの住人となった。
セミの声が嘘のように消え去っている。

母が、ひとりの頑固そうな老人へ頭を下げる。それを皮切りに、シンとした空間にしゃがれた声が響き渡る。

「村の有権者が、死んだぁ。あんたの親父さんだ。遺言は、本人から聞く」

最後、キッと母をにらんだ気がした。
遺言は、本人から聞く?
どういうことだろうか。

暗がりの住人たちは、相変わらずピクリとも動かず、じっとうつむいたり、部屋の奥を見つめているだけだった。
いつの間にか姉も荒れた畳の上に座り、ジッと奥を見つめていた。

横合いから視線の先を追う。

官能開きの箱があった。
白布に包まれた祭壇の上に置かれている。
周りには、焼香も、花束も、僧侶も、木魚も、なかった。
以前からそこに在ったかのように、おさまっていた。

箱は木製で、取っ手の部分に漆黒の輪がぶら下がっている。
座ったヒト一人分くらい、すっぽりと収まってしまいそうな大きさだった。

「そこにいるぅは、あんたのじいちゃんだ」

いつの間にか、母と会話していたはずの老人が私に視線を向けている。
目が合う。
怒られる、と警戒したが、次の言葉は何もなかった。
老人はただただ柔和な表情を浮かべている。
母に向けたものとは異なり、私を受け入れ、私を悟ったみたいな表情だった。
母も、いつの間にか暗がりの住人と同じように茫然自失としていた。
正座から足を横に崩して、黙ったまま箱を見つめている。

「今夜は、泊まれぃ。本番は、明日からだ」

老人はそれだけ言い残すと、また暗がりの住人に戻った。
私は、居ても立っても居られず、姉に一声かけて外に飛び出した。

暗がりを抜け出すと、蒸した空気が全身を包む。
静寂の世界にセミの喧しい声が戻り、黒い綿菓子が刺激臭をまき散らしていた。

信じられない寒暖差が身体を蝕み、汗が噴き出す。
しかし、未だに冷たい汗が背中を這ったままだった。

周囲を見渡すと、来た道とは別の小路が伸びている。
村へ続く道だろうか。
行く当てもないまま、私は歩を進めた。


ー続ー



いいなと思ったら応援しよう!