『あれ?今日はなんかしっくり書けない』デー!
日記を書いたり。
物語を書いたり。
文章を書いたり。
そんな感じで今日は過ごしてみた。
でもどれも、しっくりこない。
こんな時、文章と対話するだけじゃダメなのかしら。
書いては下書き送り。
書いては下書き送り。
書いては、やっぱり下書き送り。
うーむ…。
どうにも今日の文章はイマイチ締まらない?
あれかな、完成度を求めてるのかな?
それとも、自分の書きたいように書けていない?
どれもピンとこない。
どうしちゃったんでしょう今日は。
…確かに、書くことに対して意識は上がりつつある。
だんだんと文章を磨き上げるってプロセスの大切さが身に染みてきた。
そう、つい最近だけど、ライターとしてのお仕事のほかに「編集・校閲作業」のようなご依頼も頂けるようになりました。
これが結構楽しい。
まず他の方が書いた記事を、堂々とした理由で読み込めるのが大きい。普段だったら不遜と言っても差し支えないような大小さまざまなチェック事項を通して、編集作業に打ち込める。
そういった立場から文章を読むと、書き手の癖がハッキリと見えてくる。
お気に入りの慣用句が頻出したり、めちゃめちゃクリシェってたり。
表現が重ならないよう適宜言い換ええたり、語尾を変化させたり。
とにかく、書き手の苦労がそこかしこに垣間見れる。
私個人としては「そこに痺れる憧れるゥ!」とハートが震えるような表現を見かけたりする。
けれど、あくまで文章を提供する視点としては見過ごせないので、泣く泣く修正を入れたり。いわゆるSEO対策です。世知辛いね。でもありがたい話です。
バッチリその弊害なのかな。
noteを始めたあの頃のように伸び伸びとは書けなくなってしまった気がする。
そういえば、文章を読む人には2種類のパターンがあるって話も。
リズムで読むか。
イメージで読むか。
私はどうにもイメージで読む、というのがしっくりこない。創造力ナッシング猫暮。
なので基本的には、脳内で音を再生しながら文章をなぞっている。
ずばり「心地よいリズムがキープできているか否か」
そんなふわ~っとしたニュアンスで文脈を決めている。
でも、じっさいそうやって書いた文章が映像でも再現可能かと言われれば、そうじゃない。あれだね、文章は文章のままに気持ちの良いポイントを探っている感じなので、イメージや映像には起こしづらい。
あと、シンプルに絵心がないので、想像力に乏しい。悲しい。
でも絵がかけないって、想像力というか観察力とか空間認識力がすこぶる弱いかららしいよね…。
はい。私もよく腕とかスネとかに記憶にまったくないアザ残すタイプですし、風呂掃除終わったはずなのに浴槽に髪の毛落ちまくってるタイプです。辛い。
そうして文章を音でなぞってる私だけど、これが話し言葉となると途端に機能しなくなるんだよなぁ…。
ホントに、不思議なくらい話せない。
話すときって、リズムとか音符を飛び石に見立てて、五線譜の上をSASUKEみたいに跳んでいく感じなんだけど、気付いたらすぐ先にあったはずの飛び石が消えてんねん。
で、なんとか時間制限ギリギリまで粘って新しく飛び石が生成されるのを待ってはみるんだけど、一向に生まれないもんだから「で~~~~~、あの~~~~~、その~~~………なんのはなしですか(だっけ?)」と、何故か人に尋ねる始末。
どうしてスラスラっと話が生まれてくれないの?!
会話はリズムが大事っていうじゃない!
文章ならいつも出来てるでしょーがアンタは!
一体何だっていうのよ…次回までになんとかしなきゃ…!
って感じで、決まって会話の後は『ソロアングリー劇場』と『後悔真っ只中劇場』と『内省劇場』の豪華三本立て公演が繰り広げられている私の脳内。
話したい事がまとまっていない、ってのも要因の一つではある。
でもね、仮にまとまったとしても「それって『今さっきまでの自分』がそう思ってるだけで、話すうちに聞くうちに意見がちょっと訂正されたんじゃない?」って内省が全身全霊で己の発言にストップをかけてくるのだ。
うわ、なにするやめろ。
意見が言えない大人、言われてしまうとなんだが悲しい響きがするけれども、実際固まった意見がなくフワフワと漂うのが、私って人間の在り方な気もする。
たぶん、これを人に理解してもらおうとか、分かってもらおうとか、無理なんじゃないかって思っている。
自分だってわっからんもん!
24時間365日たえずアップデートし続けている。
そんなアップデートのなかでさ、「一日一善」ならぬ「一日一クリティカルエラー」が発生してないとも限らないじゃん。見当違いなことを言っちゃうかもしれない。だって話の先の飛び石がよく行方不明になって水没してるんだものわたし。
そのクリティカルってる原因とか要因を明らかにしないまま堂々と人前で意見なんて…いや、むっずいよ。できんて。どんな厚顔無恥よ私。
え、でもそれなら『文章』も書けなくない?って思うかもしれない。
でも文章は書いたその日のうちに「過去」に出来ちゃうからあんまり問題がない。
今を切り取って過去に閉じ込められる文章には、一種の確証がある。
ただ、話しながらだったり対話するってなると、ものすごい勢いで意見が更新され続ける。
そうなるともう30秒前の私なんぞの意見なんて遠い星の彼方。
宮沢賢治もびっくりの銀河超特急で更新されるから誰も追いつけない。私も追いつけない。
いや~なんかな~。わたしってすごく中途半端な存在だ。
どうやら本質的には結構冷たい人間らしいのだけど、どうにも優しくなりたい願望がめっちゃ根っこのほうにあって、そいつらがずっとコンフリクト起こしてる感じなのだ
自分勝手に生きようとしたとて周りの目が気になりすぎてうがーってなっちゃう系人間だし、逆に周りの目を気にして生きていると、ある日突然逆張りの如く「バイなら~~」と自分勝手に過ごし始める。
極論バランスをとるのが壊滅的にへたくそなのだ。なんか楕円形のバランスボールの上でずっと正座してる感じ。どう回転しようがすぐ床ビターンしちゃう。
しかし、こんな中途半端さが気に入ってる節もある。
多分、こんだけめんどくさくて、気難しくて、何考えてるか分かりづらい人間はそうそういない。
悲劇的なまでに厄介な性格だけど、ステージからみる悲劇は喜劇。
『嫌われ松子の一生』みたいな生き方を、生身で体現してるかも。
あんなに波乱万丈じゃないけど。
でも、こうしていっちょ前に悩んでいるってことは、また変わり時なのかもしれないなぁと、薄ぼんやりとした予感が脳裏をよぎる猫暮なのでした。クリシェってるクリシェってる。
あれ。
これって、なんのはなしですか?