東西文化の融合地点。モスクと遺跡から学ぶイスタンブールの歴史
2日目のトルコ旅行では、イスタンブールのヨーロッパ側を訪れます。イスタンブールはトルコ最大の都市であり、ボスポラス海峡によってアジアとヨーロッパに分かれています。ヨーロッパ側は、その豊かな歴史、文化、ビジネス、観光地として知られています。
今回は、トルコ在住の友人に案内してもらいながら、ベヤズット地区にあるグランドバザール(Kapalıçarşı)、ブルーモスク、アヤソフィア、そしてシェレフィエ貯水池などの観光スポットを訪れます。それぞれの場所の歴史的な背景や魅力について、深く掘り下げて紹介していきます。
グランドバザールは、世界で最も古く、最大の屋内市場の一つで、4000以上の店舗があり、毎日数十万人の訪問者が訪れる人気エリア。
イスタンブールのグランドバザールに足を踏み入れると、別世界に迷い込んだような感覚に包まれます。色鮮やかなタイルや香辛料の香り、賑やかな音に囲まれながら迷路のような通りを歩きました。親しみやすい店主たちと会話しながら、お気に入りの逸品を探してみるのも楽しそう。グランドバザールは単なる市場を超えた、歴史と文化が息づく場所で、何度でも訪れたくなる魅力に溢れています。
トルコの食器には、ブルー、赤、緑、ターコイズなどの鮮やかな色を使った花柄や幾何学模様が特徴のイズニック陶器 (Iznik Pottery)。多彩な色使いが特徴で、花や葉、動物、宗教的なモチーフが描かれます。イズニック陶器よりも色鮮やかで、赤、黄、青、緑などが使われているキュタフヤ陶器 (Kütahya Pottery)。自然からインスピレーションを受けたデザインが多く、火山岩を使った独特の質感と色合いが特徴です。伝統的なパターンや現代的なデザインが融合したカパドキア陶器 (Cappadocia Pottery)などが有名です。
トルコのランプは、オスマン帝国時代に起源を持つ、美しいデザインと職人技が融合した伝統的な工芸品です。カラフルなガラスのモザイクや精巧な金属細工が特徴で、手作りの一品一品が独自の個性を持っています。モザイクランプ、オスマンランプ、モロッコ風ランプなど種類も豊富で、テーブルランプや吊りランプとしてインテリアのアクセントにも喜ばれそう。色違い、形違いで複数買いそろえて、部屋のインテリアに取り入れるのもいいですね。
トルコカーペットのデザインには、幾何学模様や花、動物などのモチーフが多く、地域ごとに異なるスタイルがあります。特にヘレケ、カイセリ、ウシャクなどの地域は、カーペットの産地として有名です。これらのカーペットは、インテリアのアクセントや贈り物としても人気。
トルコの伝統的なスイーツには、クルミ、ピスタチオ、アーモンドを使ったバクラヴァ、クルモス、ルクム、セクレム・ケバブがあります。バクラヴァはフィロ生地にナッツを包み蜜を含んだカリッと甘いデザート、クルモスは焼かれた生地にナッツとシロップを組み合わせたしっとりとしたお菓子です。ルクムはゼリー状でナッツ入り、セクレム・ケバブはシロップに漬けた甘い焼き菓子。
グランドバザールから少し離れて街中を散策。イスタンブールは美しいボスポラス海峡に面していて、海が見える街にレストランが数多く軒を連ねていました。まるでジブリの『魔女の宅急便』に出てくる街のよう。
代表的なトルコ料理の一つに、マリネした肉と野菜をフラットブレッドで包んだケバブがあります。グランドバザール近辺では、専門店からファーストフード店まで、さまざまなケバブを楽しめるお店が揃っているのでそのうちの1つでケバブをいただきました。
ケバブと一緒にヨーグルトドリンクを頼んだのですが、日本のヨーグルトと違い、塩味が多くて驚きました。ヨーグルトに入れる砂糖を間違えて塩一袋入れたのかな⁉という感じの辛さでしたが、慣れてくるとおいしく飲めます。
古代エジプトからビザンチン帝国へ。オベリスク遺跡から見る歴史
グランドバザールから路面電車に乗り、ヒポドゥローム広場(Hippodrome)へ。ここは、古代ローマ時代(紀元203年にローマ皇帝セプティミウス・セウェルスによって建設)からビザンチン帝国にかけて使われた競技場で、正式名称は「スルタンアフメット広場(Sultanahmet Meydanı)」といいます。主に、戦車競走やその他のスポーツ競技、公共の催し物、儀式が行われる場所として使用されていましたが、今は広場になっていて多くの観光客が訪れる観光スポットとなっています。
エジプトのルクソール神殿から運ばれたオベリスク
広場の中心地に立つ1つの高い塔。これは、古代エジプトのオベリスク(四角形の柱状で頂点がピラミッド型に尖った石のモニュメント)で、紀元前15世紀にエジプトのルクソール神殿で建てられたものを、4世紀後半にローマ皇帝テオドシウス1世によってコンスタンティノープルに移設されました。
15世紀前半に建てられた建築物が4世紀後半まで残っていること自体が驚くべきことですが、それをエジプトからトルコまで運んできたのもすごいことです……。何か月、何年かかったのか、どうやって運んできたのか。途中で壊れないようにするためにはどんな運び方をしたのか、気になるところです。
このオベリスクは、エジプトのトトメス3世の業績を刻んだ塔部分と、ギリシャ語とラテン語でテオドシウス1世の功績を記した台座からなります。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)は、古代エジプトの文化や芸術からの影響を受けながら発展しました。そのため、このオベリスクは両者の歴史的なつながりを象徴する重要な遺物として特に注目されています。
遺跡を見るたびに感じるのは、何千年も前にこのような精緻な彫刻が作られたことに驚きます。古代の人々の技術と芸術的な才能の素晴らしさを改めて感じます。
「学んだことは即アウトプット」思考力アップと記憶への定着法
遺跡自体もさることながら、もう一つ驚いたのが友達のビデオ撮影スキルでした。友達は、遺跡の説明を読んですぐに理解し、スマホで撮影しながら口頭で説明していました。友達は元々歴史に詳しく、動画撮影にも慣れているからこそできる技術です。
一方、私は情報を整理するためにスマホにメモをして、それを何度も口頭で練習してからでないと撮影できません。友達の能力には本当に驚かされました。知識を得たら即それを実践する友達の姿勢は、学びと行動を結びつける素晴らしい例だと思います。友達は新しい情報をすばやく理解し、即座に実践に移すことで、知識の定着と応用を深めているのだと、改めて感じました。
イスラム建築の傑「ブルーモスク」の由来とは
ヒポドロームのすぐ脇にあるブルーモスク。1609年から1616年にかけてオスマン帝国のスルタン、アフメト1世によって建設されたモスク。モスクはイスラム建築の傑作として知られ、特にその内部の青いイズニクタイルが特徴的。外観は6つの尖塔(ミナレット)で知られます。
ブルーモスクの大ドームは、高さ43メートル、直径23.5メートルもあります。大ドーム内には、4つの大きな柱が使われていて、ビザンティン建築の影響を受けた細やかなデザインが施されています。
モスクの内部には200以上のステンドグラスの窓があり、太陽の光が差し込むことで、モスク内全体が明るく照らし出され、幻想的な雰囲気に。ブルーのステンドグラスの光と、青いイズニクタイル(イズニク陶器)が祈りの間や回廊、ドームなどを美しく装飾していたのが印象的でした。
モスク内は観光客と礼拝する人々で賑わっていたものの、高い天井を見上げると、青と白のタイルが幾何学的に配置されていて、その見事さに圧倒されました。特に青いイズニクタイルの美しさは圧巻で、1枚1枚のタイルや装飾をじっくり見ていると、時が止まったかのように感じる瞬間があったほどです。ブルーモスクを訪れて、その美しさと神聖な雰囲気に触れることで、改めてイスタンブールの豊かな歴史と文化を実感できました。
キリストとイスラムが共存する世界遺産アヤソフィア
ブルーモスクのすぐそばにあるのが世界遺産に登録されているアヤソフィア。もともとはキリスト教の大聖堂として建設され、その後イスラム教のモスクに転用され、現在は博物館として一般公開されています。
アヤソフィアへの入場料は、トルコ在住の人は無料で、外国人観光客には約6000円の入場料がかかります。トルコ在住の友達が「ここはお金がかかるから、自分が中に入ってビデオを撮ってきてあげるよ」というのでお願いすることに。
ところで、アヤソフィアが世界遺産に登録されていて、ブルーモスクが登録されていないのはなぜだか知っていますか? それにはいくつかの理由があります。
まずは歴史的な重要性から見てみましょう。アヤソフィアはキリスト教とイスラム教の両方にとって重要なシンボルです。537年にビザンティン帝国のユスティニアヌス1世によって大聖堂として建てられ、その後、1453年にオスマン帝国のメフメト2世によってモスクに転換されました。
ビザンティン時代にはキリスト教の中心地として機能し、オスマン帝国時代には主要なモスクとなりました。1935年にムスタファ・ケマル・アタテュルクにより博物館となり、2020年に再びモスクとして使用されることが決定されました。アヤソフィアはその多様な歴史を通じて異なる宗教と文化の象徴となり、現在も観光と宗教の重要な場として機能しています。
写真中央に大きな木製の円盤が天井近くに3つ掛けられています。これらの円盤には、アラビア文字でイスラム教の神聖な名前などが書かれています。また、モスク内にはキリスト教の象徴であるキリスト像がいくつか存在します。これらのモザイクは、ビザンティン時代に遡り、アヤソフィアがキリスト教の大聖堂であったことを示す重要な文化財であることを示しています。
ブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)は、17世紀にオスマン帝国のスルタン・アフメト1世によって建設されたものの、アヤソフィアほどの歴史的変遷や異文化の融合がないため、世界遺産の基準に満たないと評価されているようです。
アヤソフィアは、キリスト教の大聖堂として建てられ、後にモスクになり、今は博物館として訪れる人々を魅了しています。内部の美しい装飾や建築は見事で、その壮大さと歴史の深さに圧倒されます。ブルーモスクとの建築や装飾の違いについて、比較してみるのもおもしろいかもしれません。
歴史の息吹を映し出すシェレフィエ貯水池のプロジェクションマッピング
イスタンブールには、バシリカシスタン(地下宮殿)をはじめ、シェレフィエ貯水池、テオドシウスの貯水池などがあります。イスタンブールの地下宮殿「バシリカシスタン」と、今回訪れたシェレフィエ貯水池(?)は、古代から都市の水供給を支える重要な役割を果たしてきました。バシリカシスタンはビザンティン帝国時代に建設され、巨大な貯水構造として機能してきました。
シェレフィエ貯水池は美しい柱で支えられた地下構造物で、高さ11メートル、24×40メートルの広さがあります。イスタンブール南西にあるマルマラ島の大理石を用いて作られています。
ここでの見どころは、館内全体を使って映像を投影するプロジェクションマッピング。映像の途中では、マルマラ島の大理石だと思われる岩が落ちてきて、そこに水が注ぎこまれたり、紋章などが現れたりしながら、ビサンチン帝国、オスマントルコ帝国へと続き、最後はトルコの国旗と革命を思わせる映像が流れて終了しました。時間にして約10分程度だったかと思いますが、ひんやりとした空気の中、圧倒的な迫力を誇る映像を見ることができ、歴史の一部を垣間見た気分が味わえました。
ところで、イスタンブールは海に面しているのに、なぜ地下宮殿や貯水池が必要なのでしょうか? その理由は都市の水資源管理のため。貯水池は大切な水を確保する場所です。イスタンブールでは、雨が降ったり地下の水を集めて、水を溜めているのです。これによって、水が足りないときでも安心して生活できます。とくに大事なのが災害が起きたとき。日本でも、災害が起きたらすぐに浴槽などにお湯を張って生活用水を確保することがあるかと思いますが、それと同じで、貯水池に溜まった水は災害時に必要になるのです。
ちなみに、海水は塩分が高く、そのままでは飲用や一般的な利用には適しません。淡水化技術を使って塩分を取り除く必要がありますが、これには高度な技術とエネルギーが必要なので、淡水をそのまま使ったほうが経済的にもコスパ良し!ということなのでしょうね。
貯水池の2階部分はカフェになっていて、ちょっとしたグッズなども購入できるようです。ここを訪れた際には、カフェでお茶を飲みながらトルコの歴史やプロジェクションマッピングについて話してみるのもいいかもしれません。
イスタンブール1日目の旅は、歴史と文化の宝庫でした。たくさんの店が軒を連ねるグランドバザールは、まるで迷路のような市場で、色鮮やかなトルコ食器やじゅうたん、珍しい食べ物が楽しめました。ブルーモスクは静かで荘厳な雰囲気で、オスマン帝国の建築の優雅さを感じることができました。シェレフィエ貯水池では、地下にある巨大な建造物で、プロジェクションマッピングによって古代からの歴史と技術をよりリアルに体験することができ、とても有意義なひと時をすごすことができました。
イスタンブール探訪2日目は、タクシム広場とトゥネル地区を結ぶ歴史的なトラム「ノスタルジック・トラムヴァイ」(nostaljik tramvay)での乗車体験や、街中の様子をお伝えします!