06.Nov / ボルダリングとスポーツの話
最近、友人に連れられてボルダリングに行った。パリにいた頃は流行りなのか、ボルダリングに行く、という人は各グループに一人ぐらい、至る所にいたものだった。コロックの人、オルレアンの時のコロックでパリ住まいの子、バイト先、学校、本当にそこかしこに。引っ越してから聞かなくなっていたので、久々のパリをボルダリングから感じる妙な気分。行った先はなんだかもう小型ハワイアンズを思わせる賑やかな空間で、平日真っ昼間にも関わらず(一応バカンスの週ではあった)音楽がかかって、席が半分は埋まり喜々として人が行き交うという盛況ぶり。壁には誰かの取った写真が展示してあり、子供用コーナーが併設、そもそも座ってるお客さんの半分は子連れだった。フードコートで勉強する人。ボードゲーム、本などの貸出、ソファーとカラフルなクッションとエスプレッソとビールのマシーンがついたおしゃれなカウンター。これはもう、スポーツだけの空間ではない。私を連れてきた友人も、随分と入り浸っていると言ってスタッフさんと軽口を叩く。想像を遥かに超えておしゃれな空間だった。
思えば、ボルダリングは高校の体育のプログラムに入っていた。つまり、体育の試験の一部でもあったのだ。球技でなく!?っとびっくりしたものの、もしかしたらかなり一般的なスポーツなのかもしれない、と思ったりする。当時していたのは3人ペアで紐をつけてかなり高くまで登るものだったが、カラビナで引っ掛けながらとか、そもそもしたがクッションで何もつけずに、とかいくつか別々のタイプが有る。今回は何もつけずにそのまま登るタイプ。紐付きの良いところは、高いところまで登るので怖くはあるけども、自分で降りなくて良いところだった。最後まで登って指定の石に触ったら、あとは下にいるペアが紐を調節してゆっくりおろしてくれる。これがまたふわふわして楽しかったりするのだ。然しながら今回は一番上から自力である程度のところまで降りなければならない。慣れた人はそのまま下のクッションを信じて飛び降りるらしいが、初心者はそんな度胸の持ち合わせは勿論ない。従って、全身全霊で最後まで登ってそこで疲れてしまうと、下に降りるほうが遥かに怖いものだった。登ってる途中は自分の意志でやめられるけど、上がってしまうとなかなか降りられない。ともあれ、友人たちの渾身のアドバイスを経て、いくつか体験することができた。
初回の感想から言うならば、実際に自分で登るより、人が登るのを見るののほうが遥かに面白かった。出っ張りの配置はとても良く計算されている。また、人によって体の大きさ、腕や足の長さ、筋肉量なども違うので、同じ配置でも人によって通る道が違う。自分で登ってると度々人が届く所に届かないよめアジア人特有の腕や足の短さを幾度となく呪ったこともあるが、逆に長い手足が余って逆にうまく力がかけられないなど、やっぱり100%人それぞれだ。挑戦する人を下で何人か、もちろん赤の他人同士で眺めて、そこに足掛けたら、なんて議論が起こる。計算し尽くされた空間。目的が同じなので自然と生まれる交流。なにより、何度だって挑戦するスポーツ特有のボジティブな雰囲気。とても良い時間だった。
そもそもフランスはジムに行く学生が山ほどいる。Basic-fitというところが大手で、会員登録するとリュックをくれるらしく、どこの都市にも変わらず灰色にオレンジのラインの入ったカバンが歩いているのを見かける。今日はバジフィット四人見た、っと朝の話題に登るほど。日本だとジム通いって言うとなんだか高級感あふれる大人なイメージがあるが、フランスは浸透しきっている。フランス語の授業の議論の話題に、体を鍛えるのは健康のためか、それともステータスのためか、なんて話題が試験の例題として上がったこともある。兎にも角にも、ジムに通う、っというのはフランス人の間、しかも大学生の間ではごく一般的なことなのだ。ただしお値段がお手頃なのもそのはず、「サウナとかはついてないんだよねぇ、残念ながら😑」と言うのが評価らしい。
くっついていった手前いくつか挑戦し、結果その次の日はドアノブをひねるのも煩わしいくらいの筋肉痛に悩まされた。いつもと違うスポーツをすると、体のどの筋肉をどう使っているのかしみじみ感じるので興味深い。因みに骨折したときも同じことを思ったのはまた別の話。