1人の旅立ちが3人の歌動画をよりセピア色にしたこと ~歌ってみた動画『踊り子』感想~

ものすごく主観的感想ではありますが。

にじさんじ所属、戌亥とこのYouTubeチャンネルにて、6/6に投稿された歌ってみた動画『踊り子/Coverd by 朝日南アカネ&町田ちま&戌亥とこ』。

3人の歌声がやけに胸に響いた、そんな歌ってみた動画でした。



この動画は元々今年の5/10に、同じにじさんじ所属のVtuber朝日南アカネのYouTubeチャンネルに、一度公開された歌ってみた動画でした。

その動画『踊り子』の今回の戌亥とこチャンネルでの再投稿は、最初の投稿からわずか1週間後の5/17に発表され、それからさらに1週間後の5/24に駆け足で行われてしまった「朝日南アカネのVtuber活動の卒業」に伴う、朝日南アカネチャンネルの全動画の非公開化を避けるための処置で。

Vtuber朝日南アカネの歩んだ2年9カ月の活動の軌跡、そのほとんどが「Vtuber活動の卒業」時点でアーカイブ非公開となった今、結果として、この『踊り子』は彼女のもっとも新しい歌声の残る、数少ない動画の一つということになりました。



ちなみに、なのですが。
私は5/10の最初の動画公開時点でも、この歌を一度聞いています。

そしてその時は「いい曲だな」「相変わらず歌が上手い3人だな」という当たり前過ぎる感想や、「今回は3人のオフショットを切り取ったような演出なのが、ちょっと新鮮だなぁ」といった、彼女たち3人のユニット「Nornis(ノルニス)」が出した多数の綺麗な楽曲の新たな一つ、という捉え方しかしていなかったように思います。


けれど、今。
「朝日南アカネのVtuber活動の卒業」という一つの出来事を踏まえて、もう一度この曲を聞いてみると。

『ねぇ、どっかに置いてきたような 事が一つ二つ浮いているけど
ねぇ、ちゃんと拾っておこう はじけて忘れてしまう前に』

という歌詞の冒頭のフレーズと、MV内の「オフショットの瞬間を切り取ったようなイラスト」の一つ一つが、聞き手に対して「別れの気配と、もう二度と望んでも手に入らない日々への喪失感のようなもの」を淡々と伝えてきているような、そんな気がしてしまいます。


全く同じであるはずの歌動画が、歌い手への思い入れが一つ違うだけで、まるでセピア色がかったかのように違った曲に見え、聞こえる。

こういう歌動画のリリース背景の変化に伴う心情の変化というのは、ひょっとするとVtuberや歌い手の歌ってみた動画ならではの味わい方、なのかもしれません。

ちょっと不思議な感覚です。



さて、人が誰かの存在を忘れてしまう時、真っ先に忘れてしまうのは、その「声」からなのだそうです。

そう考えると今回のこの歌動画が残ったことは、朝日南アカネという美しい歌声のVtuberをファンの心のどこかに、より長く美しく残す結果になったのではないでしょうか。

是非いろんな人に届いて欲しい歌動画だなと、思います。

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