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人生の復習
今年、2025年に50歳になる。
人生100年と捉えると、50歳というのはある意味折り返し地点だ。
50歳になるまでの人生を少し振り返ってみたが、正直なところ人に話せる成果や実績、功績などはない。
今の仕事についても、業務委託やら副業やらで、本業、いわゆる専門職がなんなのか答えられない。
というより、いわゆる専門分野がない。
小さな会社で新規事業の企画や立ち上げを何回かやった経験があるだけで、誰もが知るサービスを生み出したということではない。
ずっと背伸びしていた
これまでの50年を振り返ると、ずっと背伸びしていた気がする。
20代は難関国家資格にチャレンジしていた。
7年間チャレンジしたけど、合格できずに挫折。
そのあと、地元のIT企業に就職したあと、30代半ばで起業した。会社を3社立ち上げたけど、軌道に乗せることができなかった。
その後、スタートアップ支援に取り組んだけど、予算が尽きて終了。
なんかそれっぽいチャレンジをしてきたかのように見えるけど、実際はそんな立派なものじゃない。
ハードルの高いチャレンジに挑んでいるように見えるが、そのいずれも失敗していて、成果を出せていない。
もちろん、頑張っていた部分はあると思うが、
成果を出すために死に物狂いで取り組んだのか?と言われると、正直自信がない。
ちょっとやそっとで結果が出るわけではなく、実力がある人たちが努力してやっと成果が出るようなハードルの高いチャレンジであることを踏まえると、必死に努力したとは言い難い。
思えば、高いハードルを目標として掲げることに満足していた気がする。
だから諦めるのも早かったんだと思う。
どのチャレンジも平均すると6年くらいは取り組んでいるので、「諦めるのが早い」という表現に違和感を感じる人もいるかもしれない。
でも、人生をかけてチャレンジするような高い目標だとすると、やはり諦めが早いと言えるだろう。
それぞれの取り組みについて、周りからは「もう少し踏ん張れば結果が出そうなのに、もったいない」とたびたび言われた。
結果が出る前にやめてしまう
周りから言われるたびに、「それは自分でもわかっているよ!」と少しうんざりしていた。
「うまくいく兆し」が見えてくると、やめたくなってしまう。
最初の国家資格は別として、それ以降の取り組みは全てそうだった。
最初の構想段階・企画段階が自分の中で一番充実感を感じてしまい、結果が出る前に飽きて次の活動を始めてしまう。
勉強についても昔から予習が好き、新しいことを知るのが好きというタイプで、「復習は嫌い、退屈」
知っていることをもう一度聞くのは嫌いで、なんかいろいろ知ってる感じだけど、結果が出ていないので、単なる物知りみたいな感じ。
でも本当はわかっていた。
復習をしないとできるようになったとは言わないことを
知っているだけ、ちょっとかじっただけで、ちゃんとその活動をやり続けないと実にならない、結果は出ないってことを。
愚直なまでに同じことを繰り返し、再現性を高めて、やっとそのアウトプットが世の中に評価される。
わかってる。
でも、できなかった。
企画段階を超えて、一定期間継続して「このまま続ければきっと軌道に乗るはず」っていう活動も結構あった。
でも、なぜかその段階で「俺以外の人がやってもうまくいくかも・・・」という気持ちが芽生え、別の人に引き継いで、自分はその活動から身を引いて、次の新しいことを始める。
結局、引き継いだ人がしっかり成果を出して、その人の功績になった。
まわりからは「〇〇さんが種まきしてやっとここまで来たのに、なんであの人に譲ったの?もったいない」とよく言われた。
しかも、売却ではなくプロジェクトとやり方を伝授するだけだったので、自分の手元にはお金は入らなかった。
でも自分としては、「荒地を耕して種まきして芽が出るところまで」が一番楽しくて、それ以降は正直モチベーションが激減してしまうので、ちゃんと実がなるまで育ててくれる人が引き継いでくれる方がありがたかった。
「誰の目から見てもイケる」というところまで自分が育てていたら、バイアウトできる可能性もあったのだろうけど、気持ちがそこまで続かなかった。
もちろん、実力不足もあるだろう。
実際、引き継いでくれる人が見つからない活動は、自分のモチベーションが激減し、途中でぽしゃってしまった。
自分が続けられないなら
ゼロイチのプロセスを繰り返す方が自分に合っているはず。でも自分で始めてしまうと、また引き継いでくれる人を探さないといけない。
「だったら、誰かのゼロイチをサポートすれば良い。」そんな安易な考えでスタートアップ支援に取り組んだ。
起業した時にお金を使ってしまっていたため、その活動をするための予算がなかったが、運良く他から資金を獲得できたので、それを使って活動をすることができた。
その活動はなんだかんだで6年くらい続いた。自分でやっている訳ではないからかもしれないけど、いつもであれば気持ちが離れていくようなタイミングでもモチベーションは落ちず、実際に起業する人たちが数人出て、ちょっとだけ成果が出たと言える感じだった。
でも、その取り組みは予算が打ち切られ、別の組織に引き継ぐことになった。資金を出していたところが規模的に別の組織がやった方が良いという判断を出したのだ。
その新しい組織に移って、活動を続けるという選択肢もあったのだけど、
正直、自分の中で「もういいや」と感じてしまい、スタートアップ支援に関わることをやめた。
それから3年ほど経ち、今はコンサルをしつつ、専門学校で講師をしている。
ずっと消化不良のままの人生。
もちろん、自分でそんな選択をしてきたのだけれど・・・。
ここ3年ほどずっと「このまま中途半端で、最初の一口だけを食べるような人生なのか?」「思い切り自分の人生を賭けてみるようなチャレンジをした方が良いのでは?」と葛藤していた。
50年なんてあっという間
でも、50歳を目前にして変わってきた。
「新しいチャレンジをするより、これまでやってきたことを生かして結果を出したい」という考えになってきた。
新しいチャレンジが怖くなったというのもある。
これまで結果が出ていないのだから、自分を信じることができないのも当然だろう。
でも、それだけではない。
今更ながら、「人生の早さ」を痛感したからだ。
これまで成果らしい成果も出ていないのに、50年という月日が過ぎたことが自分の中で衝撃だった。
高い目標に向かって必死に四六時中努力し続けていたならともかく、「そこまで自分はやっていない」と感じているのに、いつのまにか50年経っていた。
ということは、残りの50年もあっという間に過ぎてしまうだろう。
いや、前半の50年よりもむしろ体感は短そうだ。
よく歳をとるごとに月日の流れが早く感じるというように。
まさに「光陰矢の如し」
「このままではいけない!自分には時間がない!」とこれまでの自分だったら、そういうふうに焦って、また空回りのチャレンジをしていたんだと思う。
でも、それもちょっと受け止め方が変わってきた。
人生の復習
後半の50年は前半の50年よりももっと短い。
ということは、新しいチャレンジもそこまで大してできないだろう。
もし、前半の50年のように、ハードルの高い、自分では到底成し遂げられなさそうなチャレンジを掲げて、成果から目を背けて、チャレンジする自分に酔うのか?
それだと死ぬ間際に後悔しそう・・・。やっぱり何かを成し遂げたい。たとえ小さなことでも良いから。
だとしたら、新しいハードルが高いチャレンジよりも、これまでチャレンジしてきたことを何回も繰り返して、確実に成果がでるようなプロセスに変化させることの方が重要なはず。
しかも、再現性の高いプロセスなのであれば、誰かにそれを伝えることもできるはず。
「よし、後半の50年は前半の50年の復習にあてよう!」
未知・未経験のことにチャレンジして、新しいことを知り、経験する。それを何度も繰り返し練習して成果を出せるようにする。
プロなら誰でも通ってきた道を僕は通ってこなかった。というよりも避けてた・・・。
「なんとも恥ずかしい人生だ。それでも今気づけてよかった!」
ということで、5年前にちょっとだけ投稿していたnoteを再開することにした。
5年前に始めたときは、自分に影響力を付けたくて毎日投稿していたけど、思ったように閲覧数が伸びずに、180日で辞めてしまった。
今回は毎日投稿は目標にはしない。過去に書いた記事も、今の自分の心境とは合わないので、アカウントも作り直した。
noteは、これまでの自分をゆっくりと振り返りながら、ちょっと気づいたことや書きたいことを気が向いた時に投稿するっていうスタンスで、ぼちぼちやっていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!