愛について
I love youを何と訳す?
という話を以前に友人たちとしたことがあって。
夏目漱石が「月が綺麗ですね」と訳し、スカパラの谷中さんが「もうあとに戻れないな」と訳したそれを、私たちならどう訳すだろうかとそれぞれが考えた。
「きょうは何食べる?」とか「明日どこ行く?」とかいろんな訳がでて、
そしてそのどれも分かりはするけれど、その当人以外にははっきりと理解し得ない、そんなところもまた面白かった。
これを読んでいるあなたならどんなふうに訳すだろう。
すこし考えてみてほしい。そしてできたらこっそり教えてほしい。
これが話題にのぼったとき、わたしがとうの最初から思い描いていた翻訳は
「元気でね」
だった。
いま思い返してもあまりにさみしい一言だ。I love youを訳しているのだと思いながら「元気でね」と言うのを想像すると涙がでそうだ。
でもわたしにとって、I love youは「元気でね」だった。それ以上の言葉を知らないのだった。
あんまりに自分自身というものが不在のその言葉は、それでもわたしにとっては真実。
幸や不幸はその人自身が背負うもので、
最後にはひとはひとに何かしてあげることなんてできなくて、
たとえ代わってあげたいと思うことがあったとしてそれは不可能で、
強烈に救われた思い出はあっても自分がそんなことをできるのかはいつだって自信がなくて、
だからわたしは大切なひとに、どうかこの先悲しいことやつらいことがないようにと思いながら「元気でね」と言うのだと思う。
平坦な道をそのひとが望んでいるかどうかなんて分からず、その言葉さえもがエゴまみれだったとしても、だ。
思う愛のかたちがいつも、誰かと一緒だとは限らない。
わたしのようにくるしく祈ることがそうだというひともいれば、シンプルに何か手を差し伸べることがI love youだと言うひともいるだろう。
鍵のようにうまくはまったらそれはもう奇跡的。わたしはその人のためにいつだってその人の元気を祈ろう。いまもずっと。
「元気でね」
それは諦めよりももっと切ないなにかのような気がする。
わたしのI love youだ。