宝石を溢しながら
心の底の、とてもやわらかいその男の人に
ずっと宝物をもらい続けてる。
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目の前にすわった憧れのその人の、日本語を聴いているつもりだったのに、
いつの間にかイメージがいっぱいに広がって、その映像がいまも離れない。
不意になにかの言葉に躓いて、その人も周りもふっと遠のいた。
そのまま転がるように落っこちて
わたしの背中を受け止めたのは、たぶんあの人の心の底だったんだろうと思っている。
そこはごく優しい色で出来た底面だ。ふくらみかけのパン生地みたいなやわらかさで、落ちるわたしをみとめてくれた。
ここはどこ?と思うと同時に、どこかで”心の底”と応える声がした。
そっとそれに手をあててみれば、”喜び”とか”純粋”とか、そういう何かきらめかしいものが細やかに流れている温度がして
それは生きているあたたかさだ。わたしが怖がって近寄らなかったものだ。
それがあんまり無防備で綺麗なので、わたしはほとんど泣きそうになってしまう。
こういう心の底を持った人がこの世界にいることに、その人に憧れることができたことに、そしてその人がただのひとつの、ただのひとりの憧憬も裏切らなかったことに。
大人になるというのは、籠城することだと思っていた。
透きとおる色付き硝子のかけらを、拾っては着々とつみ上げて、それに守られながら、それ越しに世界を見ることだと思っていた。
だからもちろん”誰かの心の底に触れる”なんて、することもされることも想定していなくって、
そういう風景が目の前に現れたことや、それを心の底だと感じたことに、わたしはとてもどきどきしていた。息が止まりそうだった。
いくつになっても心の底に軟着陸を、
したりされたりして生きていけるのだとしたら?
時間にしたらたぶん一瞬。
またもとの景色が戻って、やわらかな心の底をしたその素敵な人は、相変わらず目の前でにこにこしていた。
けどわたしの心音はもうおかしな大きさになっていて、とんでもない贈り物を貰ってしまった、と思うのでいっぱいだった。
その心臓の揺れのせいで、わたしの周りをかこんだ色付き硝子のかけらたちはぱりぱりと割れてくずれて水面みたいに瞬き、
それはもう守るためのものではなく、これから差し出すためのものだということをこちらに十分知らせていた。
ただの白昼夢と、言って忘れてもいいのかもしれない。けど、
なんか全部のピースが嵌ったように訪れたそのイメージを、わたしは信じていたいと思った。
**
結局あれから、宝物をもらい続けてるみたいな毎日だ。
そもそもあんまり沢山のものを抱えられないわたしの手は、その人がくれたきらきらしたものでいっぱいになって、
あっという間に大切なものしか持てなくなった。
どうして日々そんなことが出来るのか、本当に不思議でならないのだけど、
もう驚いて逃げだすこともなく、それをもらっているわたしもいる。
これをどうしたらいいのだろう?このままここで留まろうか?
そういう風に考えるときも、あるけれど。
でも折角ならば、わたしはこれを溢しながら歩きたい。
いままで誰彼がくれた宝物を、そして自分が生みだせる何かを、たくさん落としながらつないでいきたい。
宝石を溢しながら、キャンディの雨を降らせながら、
誰かの思い出を紡ぎながら、憧れを語りながら。
そして誰かがまたそれを拾って、両手をいっぱいにしてくれたらいいと思うんだ。
ねえあなた、わたしはあなたに宝物をあげられていますか?
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