傷つくということ
「役者というのは傷付く職業です。
傷付いたまま観客のほうを向くのです。」
以前ある演出家からもらった言葉だ。
岡村靖幸という歌手がいて、
『真夜中のサイクリング』という曲がわたしはいちばん好き。
エピック時代の最後のほうに発売された、なんとなくひっそりとした立ち位置の曲だけど
まず迷うことなくいちばん好きな曲。
この曲のことを思い出して、さっきまた聴いてみて
そしたらあの演出家の言葉がどうにも、頭の中で響いてやまない。
真夜中の紺色みたいにゆっくりはじまる、この曲はどこかとても寂しい。
こんなに美しい7分9秒なのに、ずっと傷付いたままだ。
真夜中のサイクリングに行こうよ、夜のデパートそっと屋上に行こうよと語りかけるのに、
それは誘いではなく願いのようにどこか遠い。届かないという諦念とやっぱり諦めたくはない焦燥とがないまぜになって。
どうにもできず眠るしかない夜を、水の中に閉じ込めてしまったみたいな。
靖幸ちゃんが法廷で読んだ詩のことも思い出していた。
「裸足で氷の上を歩くように」からはじまるその詩は最後
「本当の僕は君と川を泳ぎたい 真夜中に泳ぎたい 裸で泳ぎたい」
と言って終わる。
あのとき大勢の人が彼を笑っていたけど、どうして笑えるのかわたしは全然分からなくて、それが悲しかった。
こんなに傷付いている人がいるのに。
真夜中の川を君と泳ぐ、ただそれだけのことさえ自分には手に入らないと思い込んで泣いている人がここにいるのに、と。
「傷付いたまま観客のほうを向くのです」
この言葉には続きがあって、演出家はこう言った。
誰かの言動に傷付く。そして観客のほうを向くこの数秒の間に、多くの人は鎧を着てしまう。そして傷付いたような上手な演技でほんとうに傷付いたことを隠そうとする。なぜなら傷付くのは辛いことだから。
だけど本当にやるべきことは、本当に傷付くこと。本当の感情を、意識的な動作でもってみせること。それが役者だ。
だから毎日舞台を踏むのなら、今日こそは違う結末になれるかもしれないと毎日信じて、毎日裏切られて、毎日傷付くこと。
なんてしんどい職業だろう、と思った。
『真夜中のサイクリング』を聴くと、でもこのことがよくわかるような気がする。岡村靖幸という人を見ていても、なんだかわかるような気がする。
傷付く。手なんかつかないで転ぶ。受け身も取らずに足をすくわれる。
それは本当にしんどいことだ。
鎧も着たくなるし、歩きたくもなくなる。
けどそれをしないから、彼の曲は心を打つ。
真正面からちゃんと転ぶ。ちゃんと傷付く。氷の上を裸足で歩いて、凍えるほどの冷たさを感じる。
それのどれほど勇敢なことか。
あなたのどれほど勇敢なことか。