【解釈小説】セカイシックに少年少女/そらる×まふまふ
[MV] セカイシックに少年少女/そらる×まふまふ(本家様)
――僕たち氷の国の一族は、大人になると「星」になる。
――それは、例え魔法でも避けることの出来ない未来。
――それが僕たちの運命だ。
……何て感傷的に言ってみるが、実はこの事は昨日知った話である。
氷の国で一番立派なお屋敷に招待されて、先日十七歳になったばかりの長老にそんな話をされたのだ。
なんでも、氷の一族の人間が十五歳の誕生日を迎えると告げる掟らしい。
それが元来から続いている風習なのだそうだ。
「俺たちは、十八歳になったら星になる」
そこに招待されていた全員が沈黙した。
僕も最初はもちろんウソだと疑った。
しかし長老の顔は真剣だった。そして長老が僕たちを騙したことは一度もない。
今までも、これからも。
僕たちはそれを受け入れるしかないのだろう。
……それでもやっぱり、急にそんな事言われても。
「実感、湧かないよな……」
一族の少年、空太は誰もいない家でそう呟いた。
おかしいとは思っていたのだ。
これまで読んでいた小説ではお父さんやお母さん、お爺ちゃんやお婆ちゃんといった登場人物が存在するのにこの国には子供しかいない。
みんな「星」になってしまったのだろうか。
だったら僕たちはなんのために生まれてきたのだろう?
たった十八歳で死んでしまうこの命に意味なんてあるのだろうか?
――星になるため?
でも僕はそんな事は願ってはいない。
「……駄目だ、寝れないや」
僕は開いていた本を閉じ、ベッドから飛び起きて一階へと降りて行く。
とくにやるべきことはないはずなのに、なぜかじっとはしていられなかった。
――散歩にでも行こうかな。
僕は窓から顔を出して空を見上げた。
今日も星が綺麗だ。
……行こう。
気晴らしには散歩が一番だ。
僕はランプのロウソクに火を灯して外へ出た。
氷の国に太陽はない。
――常夜の国だ、とここへ旅に来た人は皆そう呼んでいた。
なんでも、別の国では太陽というものが辺りを照らしているのだそうだ。
僕がその言葉に驚くと、旅人は逆に驚いた表情で僕を見た。
内緒の話だけど、僕はその瞬間に少しムッとした。
旅人にとってそれは当たり前なことなんだろうけど、僕たちにとってそれは特別なのだ。
散歩を始めてすぐに幼馴染の家を通り過ぎる。
今考えれば、彼は僕よりも年が上だ。
そのためとうの昔に「星」になる事実を聞かされていたはずなのだ。
けれど僕は彼が悩んでいる素振りを見たことがない。
彼は受け入れたのだろうか。
それとも……。
「……?」
不意に、聴き慣れない音が聞こえた気がした。
どこから聴こえるものなのだろうと僕は耳をすませる。
美しいメロディだった。
透き通るような声は全ての氷を解かすような、そんな不思議な魅力があった。
いつの間にかそれに誘われて僕は歩き出してしまっていた。
十分程度歩いたのだろうか。
歩く度に美しい音色が段々と大きくなっていくのを感じる。
「こっちは確か……」
集落から少し離れた場所、そこに空太は来てしまっていた。
その場所は氷の国では有名な「プレリズムアーチ」のある場所だった。
氷が様々な色を反射して、虹のように見える光景の美しさからそう名付けられている。
この集落に立ち寄った旅人は必ずこの場所へと向かう。一種の観光名所のようなものだ。
そこに、誰かがいた。
「誰だろう……」
近付くにつれて人影がはっきりとし始める。
アーチの上には、見慣れない少女が立っていた。
落ち着いたメロディが心地よく耳の中に滑り込んでいく。
いつの間にか、僕は彼女の演奏する前まで来てしまっていた。
彼女は急に目の前にやって来た僕を驚いた眼で見ながらも演奏を続けている。
僕は彼女の立っている反対側に座り込み、そこでゆっくりと意識を演奏に傾け始めた。
永遠にこの曲を聴き続けたいと思った。
――心が洗われていくようだ。
………………。
…………。
……。
「君、起きて。こんな所で寝ていたら風邪ひいちゃうよ?」
身体を揺さぶられてゆっくりと瞼を開ける。
どうやら演奏を聴きながら眠ってしまっていたようだ。
「さむ……」
「当たり前だよ。私の演奏を聴きながら寝ちゃうんだからびっくりしちゃった」
ふと顔を見上げると、彼女は僕のすぐ前に立っていた。
それに驚いた僕は反射的に後ずさろうとする。
……そして、気付く。
ここは、アーチだ。
「うわあ! 落ちる!」
背中が重力に逆らえず、暗闇の中へと落ちて行く嫌なイメージが一瞬にして頭に浮かび上がる。
何とか淵を掴み、キーストーンに足をかけてなんとか這い上がった。
「……び、びっくりした」
「あはは、君面白いね」
「笑い事じゃないよ、もう」
カラカラとあどけない笑顔で少女は笑った。
この辺りでは珍しい、ウェーブのかかったペールアクア色の髪が特徴的な少女だ。
まるでお姫様のような衣装をしており、手にかけているオルガンは……、
あの楽器は何なんだろう。
最初はオルガンかと思ったけれど、それにしては黒鍵がない。
「この楽器が気になる?」
彼女が僕に問いかける。
僕は素直に頷いた。
「これは白鍵よ、見ての通り黒鍵のないピアノなの。面白いでしょ?」
「本当だ……」
こんなピアノ、初めて見た。
少なくともこんな楽器、氷の国で見られることはないだろう。
「……ねえ、君は一体どこの国から、」
僕がそういいかけた瞬間だった。
くぅ、と可愛らしい音がその空間を支配する。
「もしかして、お腹空いてる?」
彼女は赤面しながらもこくりと頷く。
僕はくすりと笑いながら、彼女を家へと招き入れる事にした。
彼女の名前は真冬というらしい。
詳しいことは教えてくれなかったが、氷の国の外から旅に来たのだそうだ。
「美味しい……」
彼女はまるで初めて美味しいものを食べたかのような表情で料理を眺めている。
「そう? ありがとう」
氷の国ではポピュラーな食べ物である氷の実とフォレノワールを僕は彼女に御馳走した。
氷の実とは氷の国発祥のパイの実だ。氷の国のその気温の関係上、冷めても美味しく食べられる事から氷の実と名付けられている。
昔から旅人にはこれに加えてモカをセットで御馳走するのが風習らしいのだが、あいにくと粉末が切れてしまっていた。
代わりに名物であるソーダをコップに注ぐ。
「こんなに美味しい料理を振る舞って頂いて何か申し訳ない気が……」
「気にしないでよ。美しい音色を聞かせてもらったしね」
僕がそう言うと、彼女の中で整理がついたのか黙々と氷の実を食べ始めた。
二十分後、ようやく彼女が食べ終わる。
彼女は僕の座っていた前のソファに座り込むと、本を読んでいた僕の顔を覗き込んだ。
「それにしても、随分と落ち込んでいるわね。何かあったの?」
「……なんで分かったの?」
僕は一度もそんな素振りは見せていない。
まるで魔法でも使ったようだ。
「私が弾いていたのはね、ショパンって呼ばれる遠い国の作曲家の残した曲なの」
――ショパン。
馴染みのない名前だ。
「彼の曲は癒しの曲。あなたは彼のメロディに誘われてやって来たって事はそういう事でしょ?」
彼女は朗らかに僕に微笑みかける。
そうか、彼女は僕を癒そうとしてくれているのか。
「……そうだね。でも、多分どうしようもないと思うんだ」
世界は恣意的な愛を歌っている。
僕が氷の国に生まれた瞬間から、僕は「星」になる運命を背負ってしまったのだ。
他の国の人間のように満足に死ぬことも出来ない。
だから、これはどうしようもないことだ。
「……氷の国の一族の、運命?」
彼女は神妙な顔で僕にそう尋ねる。
他の国ではポピュラーな事なのだろうか。
「……知ってるんだ。そうだよ」
「知ってるわ、とても」
彼女の表情がみるみる沈んでいく。
「……そんなに落ち込まないでよ。何でそんなに君が悲しむのさ」
僕は開いていた本を閉じて、彼女の顔を覗き込む。
泣きそうな顔をしている彼女を見ていると、僕まで泣きたくなってくる。
「僕は君のおかげで落ち着くことが出来たんだ。それに――」
僕は先ほどまで読んでいた本を彼女に差し出す。
「これは……?」
突然差し出された分厚い本に彼女は一瞬驚いたが、本の作者を見て声を上げる。
「これは有名な物理学者、マクスウェルの本さ。……そしてこのページを見て? 一瞬だけど僕たち氷の国の人間に触れているページがある」
物理学と生物学は全く違う領域だけれど。
彼の論文には他とは違った「何か」を感じさせるものがあった。
「僕は彼に会いに行こうと思ってる」
どうせ後三年もしないうちに「星」になってしまう運命だ。
だったら――。
どうせ、どれだけ悩んで残された毎日を捨てたって。
つまりそれは、他の氷の国の誰もが望んで描いた毎日なのだ。
「星」になってしまう未来を願っていなくたって、
僕らはいずれ「星」になってしまう。
――なんて、考え過ぎかな?
でも、だからこそ僕は……。
「それ、私も着いていったら駄目かな?」
「え……?」
予想していなかった言葉に思わず目を丸くする。
「私も、一緒に行きたい」
彼女の瞳はまっすぐに僕を捉えている。
どうやら、決意は固いようだ。
「――それじゃあ皆、行ってくるよ」
僕は皆に見送られて旅に出る。
長老までやって来たのには驚いたが、彼は僕の目指そうとしていることは何となく分かっているようだった。
何でも、あの話を聞いた中で毎年一年に一人はこうやって旅に出る人間がいるのだそうだ。
それが僕だということには皆少なからず驚いていた。
……そんなに意外だろうか?
「まさか滅多に外に出ないお前が旅に出るなんてな」
幼馴染が最後にそう言って僕を抱きしめる。
……何だか不本意だ。
彼女は既にプレリズムアーチで待っている。
別れに思ったより時間を割いてしまったから僕は急いでアーチへと向かった。
走り始めるとすぐに真冬の綺麗な髪が顔を出す。
僕はゆっくりと歩を緩めて行くと彼女に声をかけた。
「ごめん、遅くなった」
「いいよ、お別れだしね。……大丈夫? これであなたは皆に会うことは二度となくなるかもしれないのよ?」
……そういえばそうだ。
僕は真冬の言葉で自分のこれからやろうとしていることの本質を理解する。
旅から無事に帰れる保証はどこにもない。
全くそんな事を考えていなかったため、途端に寂しさが込みあがってきた。
「……大丈夫さ、きっと帰ってこれる」
僕は零れてきた涙を拭って、夜空に光る星を指さした。
「あれは夏の大三角。まずはあれを向かって和の国を目指そう」
彼女も僕の真似をして同じように指をさす。
「あっち?」
「違う、あっちだよ」
分かんないよ、と言って彼女は頬を膨らませた。
星は、あの時家から見たときもより一層光り輝いて見えた。
おかしいな、去年に見た夏の大三角はこんなに光っていたっけ?
夜空に輝く星々は、まるで僕らの旅立ちを祝福してくれているようだった。
☆
僕たちが旅に出てから三カ月が経過した。
気温が少しずつ上昇して行き、氷の国と和の国の境界線に近付いてきている事が分かる。
初めて感じる体感温度に、少しずつ外に来たんだという実感が溢れ始めた。
「ここを抜けたら和の国よ。和の国は作法に厳しいの、この一週間で出来る限り教えたけど大丈夫?」
「た、多分ね」
僕は必至で真冬に教わった事を頭の中で反芻し始めた。
旅を始めてからずっと、真冬に色んなことを教えてもらってばかりだ。
真冬は本当に色んな事を知っている。
時折どこでそんな事を知ったのか? といった事も知っているが、真冬ははぐらかして教えてくれなかった。
今週中にでも着きそうね、と真冬は呟いた。
身体も疲れを訴え始めてきていたため今日はここまでにしようと夜を超える支度をし始める。
「テントは僕が作っておくよ、真冬は休んでおいて」
「そう? じゃあお腹が空いて早くご飯が食べたいから先に夜ごはんを作っておくね」
そう言って真冬はテキパキと仕込みを始める。
こうやった真冬との連携も上手く取れるようになったものだ。
どうやら本当にお腹が空いていたようで、真冬は立ち寄った集落で購入した最後のシチューのルーを投入している。
僕はそれを楽しみにしながら簡易のテントを組み立て始める。
手慣れた物だ。ものの十分でそれは完成してしまった。
「完成したよ、何か手伝えることはある?」
グツグツと煮込んでいる鍋を前にして、真冬は少し思案する。
「そうね、久しぶりに白鍵が弾きたいわ。準備してくれる?」
僕は分かったと返事をする。
どうやら久しぶりに真冬の演奏が聞けるらしい。
真冬は一週間に一度だけ白鍵に手をかける。
どこかの集落へ立ち寄った時も、彼女は白鍵を手にする。
全てを癒す彼女の演奏に聞きほれる人間は多い。彼女のおかげで集落での食料の調達は非常に円滑に話が進んだ。
僕は食べ終わった皿を洗いながら真冬の演奏に耳を傾ける。
「ワルツ第7番嬰ハ短調」と彼女は言った。
あの時に僕が誘われたのもこの曲なのだそうだ。
真冬が指を動かす度に心が洗われていくのを感じる。
真冬に出会ってから、本当に毎日が楽しくなった。
自分の世界が広がっていくのを感じる。
毎日が驚きの連続だ。以前のように氷の国の運命について考える時間が短くなった。
僕はこの旅で見た情景を思い出し、その世界に入り込んで行く……。
「ん……?」
急に演奏が止まった。
顔を上にあげれば、目の前に誰かがいた。
いや、真冬の前に立っていたと表現する方が適切なのかもしれない。
あの時の僕と同じように、白鍵の前で静かに立ち止まっていた。
真冬はもう一度演奏を続ける。
男はドカリとその場に座ると、演奏に耳を傾けていた。
「俺の名前はサムライだ。義の国からやってきた」
妙な名前の男だった。しかし真冬が言うには義の国では一般的なの名前らしい。
義の国は和の国と隣接しており、平和同盟を組んでいるため非常に仲が良いとは僕がつい最近彼女に教わったことだ。
「義の国の人間が旅をするなんて珍しいわね」
義の国の人間は忠義が強い。
それは僕でも知っている常識で、愛国心の強い義の国の人間は滅多な事では国から出ない。
だから僕も素直に驚いた。
「いいや、俺は旅をしているわけではない」
「じゃあ何をしているの?」
僕は単純に気になった疑問を尋ねる。
「逃げてきたのだ。和の国との戦争から」
彼は真顔で自分の行動を述べた。
真冬は信じられない、といった顔でサムライを見つめている。
「和の国と義の国が戦争!? 何でそんな事に……」
サムライは淡々と自分の見てきたありのままの光景を告白していく。
「和の国の傭兵に馬鹿にされた義の国の傭兵がその傭兵を殺した。……後はとんとん拍子だ。まるで売れない三文芝居を見ているようだった」
真冬の顔は依然凍り付いたままだった。
氷の国の運命の事といい、何が関係のないはずの彼女をここまで苦しめているのだろう。
「そして和の国の妻を取っていた俺はすぐに国から追放された。そして妻は処刑された。身ごもっていたお腹の中の子供も一緒にな」
彼は涙を流さなかった。
いや、もう流し疲れたのだろう。
目つきが悪そうに見えた目の下の隈は不眠である事を示していた。
「……それで、あなたはこれからどうするの?」
真冬がそう尋ねる。
サムライは表情一つ変えずに、告げた。
「魔法の国に救助を要請しようと思っている」
その瞬間、真冬が少しだけ悲しそうな顔をした。気がした。
――魔法の国。
それは氷の国の隣にある大国だ。
その国に住む人間は皆魔法を使うことが出来る。代償さえ支払えばどんなに協力な魔法さえも理論上は使用可能だ。
そのため武力も非常に高く、どの国も魔法の国の言葉だけは無視できないでいたのだ。
「魔法の国は和の国や義の国なんて小さな国のこと、何とも思っていないわ」
真冬が冷たく突き放す。
それはそうだ。魔法の国がたった一人の人間のために和の国や義の国に喧嘩を売る必要性は全くない。
「それでも、俺は行かなくてはならない」
「何をするつもり?」
「何でもいいだろう」
初めて見る真冬の真剣な顔、そして一歩も引く気のないサムライ。
僕はどうしたらよいのか分からなかった。
それでも、真冬の生み出す音に誘われてやって来たということは……。
「サムライさん」
僕は声を震わせながらも彼の名前を呼んだ。
サムライの鋭い視線が僕を突き刺す。
「少しだけ、僕たちと一緒に旅をしませんか?」
あの時の僕と同じように、彼は燻っている。
あくまでも恣意的な愛で溢れている世界をただ徒に呪っている。
だから――。
「くだらない」
サムライは言い切った。
「でも」
「しつこいぞ。俺は一刻を迫られている」
彼の言おうとしている事は分かっている。
彼がこうやっている間にも何人もの人間が和と義の国では死んで行くのだ。
しかし。
それでも。
今の彼が赴いた所で、断られたら彼は腰に刺さっているその刀を手に……。
「――私は、魔法の国であなたの意見を聞き入れてくれそうな人間を何人か知っているわ」
「え?」
突然出た真冬の言葉に僕とサムライは同時に驚きの声を上げる。
「それは本当か?」
「信じる信じないはあなたの勝手よ。それに、条件もあるわ」
真冬はもう一度白鍵に手をかける。
穏やかな旋律が場を和ませ始めた。
「条件?」
「私たちはこれから和と義の国を迂回して知の国へと向かうことになるわ。その護衛をしてほしいの」
サムライは真冬の瞳を覗き込む。
そして、白鍵へと視線を落とし長考を始める。
一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
サムライはついに口を開いた。
「……分かった、いいだろう」
僕たちに新しい仲間が出来た瞬間だった。
サムライを加え僕と真冬の三人で旅は進む。
迂回には森を通る。
森には危険な生き物がいて、サムライはそれを次々と薙ぎ倒していった。
「凄いわね」
真冬は無邪気な笑顔で僕にそう声をかける。
そうだね、と僕は返事をした。
そんな中で、ふと感じる。
……気まずい。
真冬が何故魔法の国にそんなに精通しているのか、どうしてそんなに色んな国の情勢を知り尽くしているのか。
それを聞いてもいいのだろうか。
そんな疑問が頭の中でグルグルと回る。
「ゴメンね、急に進行方向を変えちゃって。これで一気に遠回りしなきゃいけなくなっちゃう」
「いいよ。戦争中の和の国と義の国を通り抜けるのは危険だ」
「ううん、例え戦争をしていたとしても彼らはよそものの私たちに害を与えることはないわ。私が見たくないだけなの」
何を。とは尋ねなかった。
僕は臆病だ。
あれから一週間の時が過ぎた。
無事に氷の国の境界線を越え、もうすぐ知の国の領域に入ろうとしていた。
明日の朝に僕は初めて、「陽の光」というものを知ることになる。
僕はぼうっと空を眺めていた。
「お主、空太と言ったな」
「う、うん」
真冬がサムライの倒した獣の肉を煮込む中、これまでずっと無言だったサムライは僕に唐突にそう切り出した。
「あの娘はどうして旅をしている?」
「……分からない。それは僕が一番知りたいことなんだ」
サムライはそうか、と一人納得しているようだった。
「質問に質問を返すようで悪いけど、どうしてサムライさんは真冬を信じたの?」
「……ああ」
サムライは刀を取り出してそれを研ぎ始めた。
「あの瞳に偽りは感じられなかった。それに、あの白鍵はかなりの業物だ」
俺は頭は悪いが強さと目利きだけは一目置かれていた、とサムライは呟いた。
それは分かった。普通刀以外の物を業物とは例えない。
「ただの娘があんな業物を持っている訳がない。そして俺は一度あの娘の生み出す音に心を奪われている。……だから信じてみたくなった」
少し、心が暖かくなった。
「空太、お主はこれから色んな世界を見るだろう。疑問も持つだろう」
サムライは言葉を紡ぎ続ける。
「だけどそれでも世界は回っているのだ。世界に疑問を持つな、世界に飲み込まれるな」
サムライは僕に小さなナイフを手渡した。
彼が言うに、これは脇差というらしい。
「……あの娘はお前に何か大きな隠し事をしている」
胸がドキリとする。
「それは目利きの俺が選んだ業物だ。業物は絶対に嘘はつかない」
「それって……」
「それはやる。それは自分を惑わせるものだけをそいつで斬れ」
サムライはそう言うとこれ以上もう何も喋らなくなった。
僕は渡されたナイフを見て、もう一度空を見上げた。
僕たちが知の国の敷地に足を踏み入れたのを見届けた瞬間、サムライは何も言わず元来た道を辿って道を折り返していった。
僕は彼に言われた言葉を思い出す。
――僕に、本当にこのナイフを使う時が訪れるのだろうか?
――それを僕は一年と半年の後、この言葉の真の意味を知る事になる。
――そして、それは唐突に。必然であるかのように訪れるのだった。
☆
「着いた……」
震えた声で僕は呟く。
最果ての地である、学の国。
ここまで一年と半年かかった。
慣れない旅でかなりの年月がかかってしまったが、帰還にはそう時間はかからないだろう。
僕と真冬はお互いに見つめ合った。
旅はついに折り返し地点にまでやってきたのだ。
――これなら、十八歳の誕生日には間に合う。
そう思い至った瞬間、自分の旅がひどく本当に、そして充実した時間だったように思う。
今まで生きてきた中で本当に一番長い一年間半だった。
「ここが、学の国……」
真冬が吐息で白い煙を作り出す。
学の国の気候はどことなく氷の国に似ていた。
学の国を見渡せば、最初に見えるのは大きな校舎だ。
氷の国にもあった学び舎に少し似ている。
真冬が言うには、「大学」というものらしい。
十八歳以上の人間が学ぶ場。それは氷の国の人間そのものを拒んでいるように感じてしまった。
見慣れない服装なのだろう、僕たちはジロジロと見られながら校舎の内部へ入って行く。
「本日はどうなされました? 見学でしょうか?」
「はい。人を探しているのですが……」
受付のような場所でこの旅の目的であった学の国で高名な物理学者であるマクスウェルさんの居場所を尋ねようとする。
「分かりました。ではその前にこちらに御名前と出身地、連絡先等をお書きください」
僕たちは自分の名前と出身地、そして今日泊まる予定の宿の名前を記入する。
「……はい、書き終わりました」
「ありがとうございます、それではご用件をどうぞ」
「はい、マクスウェルさんという物理学者にお会いしたいのですが」
僕がそう言った瞬間、何故か真冬の顔が沈んだような気がした。
疲れているのだろうか? しかしここまで来たらせめて所在だけでも聞いておきたい。
すると、受付の人は申し訳なさそうな顔をして僕たちに向き直る。
「すみませんお客様。マクスウェルさんは先日、亡くなられました……」
僕たちの旅の目的自体が、失われてしまった。
「それじゃあ私、少し白鍵を弾いてくるわ。今日の宿代ですっかりお金がなくなってしまったものね」
宿に着くと、彼女は上目がちに僕の顔を覗き込みながら白鍵を手にかけて出て行った。
僕に気を使っているのだろう。
しかし、不思議と僕はそれほど悲しんではいなかった。
――僕の本来の目的はマクスウェルさんに出会って、氷の国の運命の謎を解き明かす事だった。
――それでも、僕はそれがどうでもいいと思うほど、彼女との旅が楽しかったのだ。
僕は真冬と、これからも過ごせればそれでいいと思っていた。
しかし、パンドラの箱は開く。
「すいませーん! こちらに空太さんと真冬さんという方はいらっしゃいますか?」
唐突に若い青年の声が宿屋中に響き渡った。
「は、はい!」
僕は急いでロビーへと向かう。
そこには、不健康そうながらも若々しさのある男が僕を興味深そうに待ち構えている姿があった。
「えっと君が空太君かな。ちょっと折り入って話があるんだけど大丈夫かい?」
「あなたは……?」
「おっと紹介が遅れたね。僕はロビン、マクスウェルの一番弟子さ」
ロビンは眩しい笑顔で二カリと笑った。
僕は図書館へと連れられ、簡単な椅子を宛がわれる。
「いやぁ本当に最果てからこんな辺境までお疲れの所悪いね。出身地を見て驚いた受付のお姉さんが僕に持ってきてくれたんだよ」
なるほど、それなら彼が僕を呼びに来たのにも合点がいく。
これからここに来てマクスウェルの論文をしらみつぶしに読み漁るなんていう果てしない作業は行わないで済みそうだと内心少し安心した。
「しかもこれまた氷の国の運命を背負った少年ときたもんだ。傍らには魔法の国のお姫様を連れてね」
――え?
今、とんでもない言葉が彼の口から飛び出た気がする。
魔法の国? お姫様?
「……まさか知らないでここまで一緒に旅をしに来たのかい? さっき君の宿に行く前に広場で彼女の白鍵を見たよ。アレは王宮に置かれてもおかしくない一品だ。そして彼女のネックレス、アレは代々魔法の国で王族に進呈されるものに酷似しているよ」
僕はパクパクと口を動かす事しか出来ず、彼の言う言葉を黙って聞いていた。
「おっといけない、話がずれたね。……と、いうことはこれから僕が話す事は君にとってかなりショッキングな話かもしれない。それでも聞くかい?」
本当はきっと知りたくもないことばかりだ。
これを聞いたらもう僕は真冬といつも通りの関係には戻れない。
僕は怖くなって両目を閉じてしまう。
――けれど、僕は見届けたい。見届けなければならないんだ。
僕たちの、旅の終点を。
「……はい、聞きます」
僕がそう答えた瞬間だった。
ロビンさんの視線が僕からずれる。
「――待って、それは私の口から説明するわ!」
真冬だった。
息を切らせた状態で僕の後方に立っている。
「真冬――」
真冬は悲しそうな表情と、後悔が入り混じった複雑な表情で僕を見ていた。
「私は、魔法の国の第一皇女として生まれる予定だった。――だったの」
そして、彼女の話が始まる。
★
流産だった。
何てことはない、運が悪かっただけなのだ。
それは生きている上で一度は経験する絶望で、
そのタイミングがあまりにも悪すぎただけなのだろう。
しかし、魔法の国は代償と引き換えに魔法で全てが叶う国。
生半可なその希望が王と妃を狂わせていた。
流産になるという警告を予言によって受け取った国王はすぐに名高い魔術師に子の命を助けるための魔法の研究を要請させる。
しかし、命を助ける魔法は禁忌である。
許可が下りたとはいえ、過去に前例がないために研究は一向に進まない。
そんな中、刻一刻と予言で知らされていた流産までの時間は近付いてきていた。
「ねえあなた、この子がもし生きられたのならどんな輝きを持っていたのかしらね」
妃は涙を流しながらお腹を撫でる。
「……虹のような、七色の美しい輝きを持っていたはずだよ」
王はその子供のためならば代償に自らの命をも擲つ覚悟だった。
しかし、そんな魔法はこの世界には存在しない。
これまでもそうだったし、これからもそうなるはずだった。
――そんなある日、王宮に一人の老婆が現れる。
その老婆は悪名の高い、森に棲む盲目の魔女。
嘘つき魔女、そう言われていた。
「わたしは禁忌とされている願いを叶えるための魔法を知っている」
嘘つき魔女は王にそう言うと、この事は誰にも言うなと念を押す。
代償には自分の全てを差し出そうと王は言った。
しかし、嘘つき魔女はそれでは足りないと首を振る。
「何が起きるかは分からない。この世界での何かが歪む」
この世界での何か。
それは不気味な言葉だった。
何が歪むのか、どのように歪むのかさえ分からない。
しかし王は首を縦に振った。
もう時間は残されていなかったのだ。
嘘つき魔女はそのタイミングを見計らっていたのか、
氷の国に何かの恨みがあったのか、
王から莫大な資産をもらったのか、
本当に難産だという予言だったのか、
本当に嘘つき魔女なんて存在したのか、
今となっては何が正しいのかさえ分からない。
「けれど、私は自分がなんとなく生きててはいけない人間だというのは分かるの。だって夜空の星はあんなに悲しそうな顔をしているもの」
生まれたはずの私はどこか不安定な存在だった。
お父さんやお母さんの中に私は確かに居る。
しかしそれは、酷く断片的なものだった。
自分が白鍵を持ち出しても、外の世界で何泊しても全く取り乱したりはしない。
それなのに、自分が家に帰った時だけ何故かあたかも最初から存在したかのように振る舞っているのだ。
事実、現在私は何も言わずに約二年間も旅を続けているけれど誰も追ってすら来ない。
ロビンのようにその場では気付いたとしても、追及しようとすれば直ぐにそれは忘れてしまう。
ずっとそうだった。
そんな不安定な状況の中で、様々な国の勉強をしていた私はとある疑問に辿り着く。
氷の国だけ何故か出所のはっきりとしない風習が存在していた。
――彼ら氷の国の一族は、大人になると「星」になる。
――それは、例え魔法でも避けることの出来ない未来。
――それが彼らの運命だ。
それはまるで自分の存在のようにハッキリとしていないモノだ。
だから十五歳になった私は禁書とされる歴史書と白鍵を持ち出して氷の国へと旅立った。
氷の国の運命と、私の運命の関係性を確かめるために。
しかし、着いたからといって何をすればいいのだろう。
だからとりあえず私は白鍵を弾いた。
――そして、彼と出会った。
彼は氷の国の運命について悩んでいた。
原因は恐らく、いや絶対に私である。
彼は私にとても美味しい料理をご馳走してくれる。
演奏のお礼だと彼は笑った。
そして、泣きそうになる。
ねえ、お願い。私の顔を覗き込まないで。
私は彼と旅に出ることになった。
私はなんだか居た堪れなくなり、お別れの場には出席はしない。
誰もいない小道を選んでうつむいきながら探していた。
――夏の大三角を。
★
「ごめんね」
真冬はそう言うと、両目を覆って走り出してしまっていた。
慌てて追いかけようとしたがそれはもう遅い。
彼女はまるで消えてしまったかのように忽然とその場からいなくなってしまったのだ。
☆
僕一人だけの部屋で、窓から星を見上げていた。
久しぶりだ。たった一人の夜は。
独りでいると、どうしても十八歳になった時の自分の姿を想像してしまう。
そういえば、もう幼馴染は星になってしまったのだろうか。
あの空のどこかにいるのだろうか。
真冬の運命のせいなのだろうか。
――あれから、三日が経っていた。
看守に聞いても真冬らしき姿が出て行った形跡は見当たらなかったと言っていた。
探そうとして見つかるものではないのだろう。
何故か、僕はそう納得してしまっていた。
夢の中でなら彼女に幾らでも会えるのに。
――何で、
あんなに愛していた彼女の居場所さえ分からくなってしまうのだろう。
何で僕は呑気に夢なんて見ているのだろう。
長老はもう星になったのだろう。
他の皆は僕の事を覚えているのだろか。
サムライは、旅の途中で出会った彼らは、真冬は……。
果たして僕は、生きてきた中で自分を証明出来ていたのだろうか。
僕が生きていた意味はあったのだろうか。
もし、さっき考えた全てが悪い方で当たってしまっていたら――。
僕は生きていたのだろうか。
途端に、全ての物事が夢であったかのように思えてくる。
ずっと真実を知らないで真冬と旅を続けていれば良かったのだろうか。
そうすれば、楽しく人生を終われたのではないだろうか?
それは、おかしいのだろうか?
僕は、正気だ。
だってそれが僕の幸せだったのだから。
夜空は輝いていた。
しかし、真冬と旅に出る直前に見た星の輝きはない。
とてもまっさらで、だけど何も感じない。悲しい景色だ。
真冬と旅をしていた中で見た輝きもない。
だけど、決して真冬が消えてしまった日のような嫌な景色でもない。
しかし、どうにもこの景色には見覚えがある。
――そうだ、これは僕が真冬に会う前に見ていた景色にそっくりなのだ。
「こんなに空が綺麗なのは」
「きっとたくさん捨てたから」
「そうだとしたら」
「僕がここにいるのは」
あの日見た星はもっと輝いていて、そしてくすんだ色をしていた。
――そうか、と空太は思う。
あの星が輝いていたのは、そのくすんだ色があったからだ。
真冬がいたからこそくすんでいて、そしてそれを打ち消すほどに輝いて見えていたのだ。
恣意的な愛を歌う、気ままで自分勝手な世界があるから僕たちは輝いていたのだ。
つまり、氷の国の運命があったから僕は……。
「帰ろう」
僕は、真冬を探す旅に出る事にした。
☆
世界は恣意的な愛を歌っている。
いずれ全てが消えてしまうわけなのに、僕らは何で呼吸を求めているんだろう。
死んでしまえば全ては関係ないはずなのに。
サムライの言葉を思い出す。
僕は腰に差してあるナイフに手のひらを合わせた。
ひんやりとした感触が僕はまだ生きているという事を実感させてくれた。
『お主はこれから色んな世界を見るだろう。疑問も持つだろう』
『だけどそれでも世界は回っているのだ。世界に疑問を持つな、世界に飲み込まれるな』
『それは自分を惑わせるものだけをそいつで斬れ』
……何故だか僕は、これを使う時が近付いて来ているような気がしてならなかった。
十八歳を迎える日までもうあまり時間は残されていない。
僕は何も考えずに義の国へと入国する。
「皆! 和の国との同盟が復活した! 今日は宴だぁ! 飲め! 飲め!」
――今の声は、サムライ?
少し老けてしまっているがアレは紛れもなくサムライだ。
和の国との戦争が長期化しているという話を聞いていただけに僕は驚いてサムライの居る場所を探す。
そうしていると、近くを通り過ぎた老人が俺に優しそうに言葉を投げかけた。
「旅人さん、運が良いねえ。なんと昨日和の国との長きに渡る戦争が終わったところなのさ。なんとサムライが魔法の国の魔導士たちを率いて戦争を終結させたんだ」
……そうか、サムライは目標を達成できたのか。
僕は嬉しくなって自然と頬が緩んでしまう。
ゆっくりとサムライと昔話でも語り合いたかったが、今はもう時間はない。
僕が十八歳になるまで後三カ月を切っている。
ここから和の国までは一カ月。
――魔法の国まで真冬を探しに行くことを考えればもう時間は残されていなかった。
僕は和の国へとすぐにでも向かうことにした。
しかし、現実は非常である。
直ぐに義の国から和の国へと移動する事の出来た僕は浮かれていた。
これならすぐにでも氷の国へと向かうことが出来る。
そう思い、氷の国への敷地に足を踏み入れた瞬間だった。
豪雪による吹雪が僕の身体を襲ってくる。
近年稀に見ない大災害、だそうだ。
収まるまでの見込みは丁度二カ月。
僕の旅は終わりを告げたのだった。
★
私が意識を取り戻した瞬間、目の前に人が倒れていたことに気付く。
「空、太……?」
それが空太だと悟った瞬間に、私はもうこれが最後なのだと感じた。
空太に降り積もった雪を払おうとするが、私の手は空太をすり抜けてしまっていた。
私が透けているのではない。
空太が透けてきてしまっているのだ。
空太の身体が青白い光に包まれ始める。
その色は私の髪の色であるペールアクア色によく似ていた。
彼は歩んでいたのだ。
そして、吹雪の中で倒れ込んでしまった。
夜空が泣いているように思えた。
空太はどの星になるのだろう。
手を振るように落ちていく、流れ星もいいかもしれない。
空太ならあの夏の大三角よりも大きい星になれるかもしれない。
世界は何て残酷なんだろう。
空太のいないセカイなんて、私は生きていないも同じだ。
いや、そもそも私は生きていたのだろうか?
空太のポケットからナイフが音を立てて地面に落ちて行く。
……そうだ、魔法を使おう。
代償は……。
私は、自分の目をナイフで切り刻んだ。
私はそもそも生きてはいない。
それならば、見えなくたっても構いはしない。
痛みで泣きそうになる。
これでいいんだ。
私が死ねばこんな悪趣味なお伽噺も幕を閉じる。
私の存在と供に氷の国の残酷な運命はなくなってしまう。
流れ星が流れた気がした。
私の、願いは――。
★
流れ星が僕たちを彩るセカイ。
そんなセカイの天の川を僕と真冬は歩いている。
何てことはない、僕も真冬も独りで生きる道を選択出来なかったのだ。
それが間違った選択だとしても、それは世界が間違っているから仕方のないことなのだ。
サムライの言葉を反芻する。
……どうやら、僕たちはあくまでも恣意的な愛を叫ぶ世界では生きられなかったらしい。
それでも……。
真冬が微笑む。
真冬と永遠に暮らし続ける事の出来るこんなセカイもまた――。
存外、素晴らしいものだろう。
ハロー。
グッバイ。
おやすみ。