野木亜紀子脚本「フェンス」はすべての日本人に「今」を突きつけるドラマである
はじめに
可能ならば、このブログでは美術に関わることのみ言及しようと思っていた。
自分が今、ここで、真摯に向き合いたいことが美術だったので、そうしてきた。
しかし私は邦ドラを愛するひとりの人間として、WOWOWにて放送中の「フェンス」を全力で推薦する記事を書くことにした。
後述するが、私はいろいろな理由から初報の段階から「フェンス」に興味があり、見ると決めていた。
ただWOWOW放送なので、試聴のハードルが高い。映画好きなのでU-NEXTやネトフリなどに月額結構つぎ込んでいて、劇場にも足を運んでいる身としては、「なぜ地上波や大手動画配信、或いはNHKでやってくれないんだ……せめてparaviで……」とずっと思っていたが、思い切って「フェンス」のためにWOWOWに加入した。
保証する。「フェンス」のためにWOWOWに入る価値がある。
この記事を書いた理由をもうひとつ挙げておく。
それはひとえに、私が美術史を研究したいと思い続けている理由のひとつが「女性の美術への関与の歴史を探りたいため(これ以上明かすと商売道具がバレるので伏せるが)」であり、それは私という人間がひとりの女性として生きてきたことで、さまざまな辛さ、楽しさ、幸福、絶望を味わってきたからである。この記事は、私の今まで書いてきた全ての文章と紐付いている。
「フェンス」1話の冒頭10分と読解
物語は桜(演:宮本エリアナ)のアップから始まる。映像からして室内、インタビューのように見える。
「声をかけてきたのは、三人。そしたら……後ろから……いきなり首を絞められて……気づいたら、目が覚めたら、そこにいたんです」
というセリフから、オープニングが始まる。
モノクロの画面(かすかに「フェンス」が見える)とサンセリフ体が印象的な、映像の力に頼らないイントロが一瞬挟まる。MIU404の系譜を受け継いでいることが読み取れる。
「私は、レイプされました。……私が、ハーフだから何? それ関係ある?」
1話開始1分30秒。
東京、上野。赤いドレスをまとい、キャバクラで笑顔で接客するもうひとりの主人公綺絵(演:松岡茉優)に視聴者は一瞬面喰らう。綺絵は暴行事件を追うライターだったはずだ。そしてこれは性的暴行を扱うドラマで、主人公はなぜ風俗営業と呼ばれる仕事の一種に従事しているのか。潜入取材だろうか?
予想通り綺絵は潜入取材に従事しており、店内を盗撮したことがバレて、体入していたキャバクラから逃げ出す。追いついたボーイが羽交い締めにしようとした瞬間、綺絵はマーシャルアーツでボーイを倒す。「正当防衛。お大事に!」と走り去って行くところで、一気に引き込まれた。――カッコいい。
続く出版社のシーンで、綺絵は元キャバ嬢のライターであることがわかる。編集長自身が「カストリみたいなもん」と自虐する下世話なタイプの雑誌に籍を置いていて、主人公は各地のキャバクラを巡って記事を書いている。連載自体は続いているが、給料はなかなか上がらない。
沖縄取材を持ちかけられるが、特に興味はない――。
そんな綺絵が実際に沖縄に赴いた理由は、「沖縄に行けば単価の高い記事と、プラスで沖縄のキャバクラの記事を書かせてもらえる」という「金」の一点だった。この時点で、彼女は沖縄を積極的に取材したいという記者としての動機はほとんどないようだった。
レゲエが流れ、エメラルドの海が広がる「南国沖縄」を遠景から映すシーンが入り、綺絵はタクシーで宿泊地へ向かう。
だが、運転手との基地の話題で即座に現実に引き戻される。到着したピンク色で彩られたコンクリ造のアパートのすぐ傍にも、米軍機が飛んでいる。最初の舞台はコザだ。
コザの通りの一角にあるカフェバーで、主人公は店主の桜と出会う。ブラックミックスの桜を見て、綺絵は英語で話しかける。
「Owner...owner's name is...大嶺桜」と絞り出した英語で、桜は「あ、大嶺桜、私。客? 客じゃない?」と日本語で返す。
「客です」と狼狽えながら答える綺絵を、「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」と笑顔で迎える。
非常にグロテスクかつ短いこの一瞬の会話で、実は綺絵は桜の情報をどこかから得ていて、桜を取材するために沖縄に来たことが窺える。
痺れた。本当に上手い。どこまでも社会派だ。
しかも今まで野木亜紀子が扱ってきたどのドラマより、重い。
この10分間を見ただけで、私はブログを書いている。まだ2話までしか放送されていないので、恐らくドラマのストーリーの本質に迫れる状況ではないし、これ以上既存の話を細かくネタバレしてしまうのは野暮だろう。
主人公のひとりである綺絵は、確かにこの冒頭10分のツカミだけでも十二分にカッコいい女性として描かれている。
「アンナチュラル」3話で「女性であるという属性故に差別され、法医学者として認めてもらえない」苦悩を経験した三澄ミコト。そして「MIU404」終盤で、自分の部下である機捜隊員に被害が出たことで苦しみ、ネット上で猛バッシングされ、枕営業だと囁かれた揚げ句、息子の出自まで含めて叩かれながらも尚最終話で立ちあがった桔梗ゆづるのような、凜とした女性としての矜恃がある。
そして綺絵には、MIU404の志摩と伊吹顔負け(ふたりは刑事なので職業柄当然ではあるが)のフィジカルもある。
ミコトは医者、ゆづるは指揮官としての立場だったため、アクションシーンは存在しなかった。この点はかなり異質であり、強い。
桜にもこの先アクションシーンがあることが演者の宮本エリアナの記者会見で示唆されているので、このバディは「戦う女性二人組」なのだ。
そしてMIU404さながらのアクションシーンで痛快なバディものを予想させつつ、しかし綺絵には「沖縄に興味が無かった本土の人間であると同時に、人生でミックスに正面から向き合ってこなかったがゆえに、沖縄とそこに住むミックスに対しての無理解」がある。そしてそれへの徹底的な批判を、野木は冒頭で容赦なく描いている。綺絵と桜のバディはこの絶望的な断絶からはじまっていくのだという、静かな暗い感情に支配される。
思い返すと、伊吹と志摩、あるいはミコトと中堂も、最初から最高のバディではなかった。そしてそうであるがゆえに面白かった。
伊吹と志摩はそれぞれキャリアの中で挫折を抱えていて、志摩は理詰めの元捜一、伊吹は「野生のバカ」と本当にちぐはぐだ。
また、ミコトは中堂の法医学者としての力量は理解しているが、ミコトは最初中堂が坂本へモラハラを繰り返す点にうんざりしていて、彼の過去に目を向けるまではいかなかった。
だが、彼らが最終的にバディを組んで悪に立ち向かえた背景には、同じ警察官、同じ法医学者といった、確固たる職業倫理という共通項があったのが非常に大きい。では、職業上の共通点のない綺絵と桜はいかにして歩み寄り、手を取り合うのか?
大抵のバディものは相互不理解から始まって次第に絆を深めてゆくストーリーを辿るものであり、「アンナチュラル」「MIU404」「フェンス」もそのパターンのひとつととらえることが出来る。
だが、綺絵と桜のあいだに当初横たわっているのは、「不理解/無理解」を超えた――無知による断絶だ。
我々は必ずしも、志摩が味わったような「かつての相棒の自殺によるPTSD」を追体験できるわけではない。中堂が味わったような「恋人が惨殺されたことによる、呪いめいた運命」を追体験できるわけではない。だが、無知によって目の前にいる相手を傷つけた経験は……きっと誰にでもあるのではないだろうか。
沖縄と筆者
私が沖縄の現在に興味を持ったきっかけは、コザ騒動を扱ったNHKのドキュメンタリーを見たことだった。たまたま同居人が見ていて、一瞬で引き込まれた。情報解禁前から「フェンス」でもコザを扱うのだろうかと思っていたが、やはりそうだった。
私は一回だけ沖縄を訪れたことがある。
中学生の頃からの付き合いの男女七人で、私はまだ大学生だった。
沖縄を旅行先にしたのは全員ネットで知り合った友達で、東京、名古屋、大阪、福岡はじめばらばらの場所に住んでいたためである。
旅費をなるべく平等にするために、(飛行機代の差額分は全員で折半しつつ)沖縄で落ち合おうという流れになった。
那覇の国際通りを中心にしつつレンタカーで美ら海水族館などを巡る、普通の大学生の観光旅行だった。
ほとんど貸し切り状態の熱帯ドリームセンターやネオパークは異常に楽しかったし、帰り道の今帰仁城跡が最も印象に残っている。
そして、火災以前の首里城は思い出深い。首里森御嶽も少しだけ見ることができた。
とはいえ、その旅行で巡れなかった場所もたくさんある。
歴史研究に少しでも携わる者としては戦争遺跡や他の御嶽、米軍基地、そしてコザを訪れたい(そして時間が許すなら他の離島も)とずっと思っていたが、時間がとれないと言い訳してここまで来てしまった。フェンス1話で「KOZA」のテロップが出た瞬間、「あれだけ行きたいと思っていたのに、なぜ私は今のコザを訪れないままにこのドラマを見ているのだろう」と、かなり後悔している。コロナの自粛明けで観光客がかなり戻っているそうなので、近々航空券を取りたい。
野木作品にハマりまくった2022年
「フェンス」と野木作品の話に戻る。
私は野木亜紀子氏が手がける新作ドラマだと聞いたときから、本当に注目していた。
たしか「犬王」の公開から数ヶ月経った頃で、実写版「カラオケ行こ!」の脚本が野木亜紀子氏に決定したさらにその後に初報が出たと記憶している。犬王はバルト9で見たが、最高だった。公開時期が2022年初夏に延期されることにはなったが、「鎌倉殿の13人」と同時期に見られたのは本当に幸福な映画だったと思う。
映画を二連続で手がけるなら次は連ドラだろう、「カラ行こ」の公開はまあまあ先だし……とも思っていた。
ちなみに私は「『女の園の星』の星先生の特装版ドラマCD声優が星野源なら実写版成田狂児は綾野剛だろ!?!?賭けてもいい!!!外したら近所のパン屋のメロンパン全部買い占めてやる!!!!」と、実写「カラ行こ」の脚本が発表された瞬間超早口で息巻いて、本当に的中してしまった。嬉しい。そんなことあるんだ。
というわけで、上記のように私はアンナチュラルとMIU404が大好きで、どちらも擦り切れるほど見た。
昔偶然シン・ゴジラの舞台挨拶に行く機会があり、そこで素の市川実日子の登壇を目にしたことがあったので、「シンゴジ」の無表情かつ超早口の尾頭とは真逆のキュートな素顔にメロメロになっていた。というわけで、アンナチュラルは毎週♡東海林♡のうちわを振りながら、すべての話で号泣していた。
美術史の人間としては、2018年紅白歌合戦で、米津玄師が故郷である徳島の大塚国際美術館にある「システィーナ礼拝堂(複製)」でEDテーマ「Lemon」を歌っていたのが大変良かった。
キャンドルを大量に点してああいったライティングを用いて、しかも歌唱するというのは「本物のシスティーナ礼拝堂では絶対に不可能」な演出で、レプリカが本物を超えた瞬間だと感じた。美術史を一緒に学んだ友人も号泣していた。
そして、アンナチュラルに思い入れがありすぎて、MIU404は実は2022年新春一挙まで見るのをためらっていた。しかし1話中盤以降で志摩がゴミ箱を蹴っ飛ばし伊吹を殴り飛ばすクソヤバぶりを披露した瞬間あっけなく沼に落ち、3日で全話見て、特に4話、青池透子の回で号泣した。完走した翌日シナリオブックとブルーレイ、メモリアルブックをポチり、星野源と菅田将暉のANNを毎週聴く日々が始まった。菅田将暉ANN、どうして終わっちゃったの……?
ハマるのが遅すぎてメロンパン号キャラバンにはなかなか行けなかったが、国立競技場――「ゼロ地点」と、先月のTBSスタジオ(『呪いの子』上映中のACTシアター脇に移動していたが)でようやく見ることができた。よかった……。
ちなみに2022年私がApple Musicで最も聴いた楽曲は得田真裕の「志摩一未」である。500回あの「ズンチャチャ」を聴いていたらしい。
MIU404にハマって以降けもなれ他野木作品をいろいろと見て、全て面白かったと感じたが、だいたい人生に疲れたときには「根元恒星にスパッと罵られたい……」と思いながら「けもなれ」を見ていた。フェイクニュースはシナリオブックを読んでいる途中だ。
「獣になれない私たち」は「MIU404」にハマってから追いかける形で一気見したが、もともとあの作品がジェンダーを前面に意識して描かれたという事実に驚いた記憶がある。
確かにメイン登場人物である晶、恒星、京谷、朱里、呉羽はそれぞれ男性・女性なりの「しんどさ」「仕事の厳しさ」「恋愛やセックスにおけるもつれ」を抱えていて、それを癒やすために5tapを訪れて酒で疲れを押し流していたが、その描写はその深刻さに反してわりとさらりとしていた印象がある(社長のパワハラ描写は晶でなくともキツかったが)。
個人的な鑑賞体験としては晶と恒星が一線を越えるのか、越えないのか……或いは恋愛感情を持つのか、持たないのか……という点でドキドキしていた。その上で「あのラスト」は非常に美しかったし、大人の友愛(恋という文字は敢えて除外する)という着地はとても好きだった。
「けもなれ」はストーリー全体がジェンダーを通奏低音にしている。代わりに「アンナチュラル」や「MIU404」ではジェンダーというテーマは後景に下がっているが、セリフベースでジェンダーへの言及が度々存在し、だからこそ桔梗やミコトのセリフは強烈に印象に残る。
そして今回の「フェンス」で、野木氏は正面からジェンダーに切り込むことを選んだ。
「けもなれ」と「MIU404」をほぼ同時期に見て、私は「ここまで政治的なテーマに切り込み続ける脚本家が、なぜジェンダーを前面に出した社会派作品を書かなかったのだろう」とすこしだけ疑問に思ったが、そのとき「『いずれ書く覚悟があるからこそ今は伏せている気もする』」と感じていた。
MIU404の志摩と伊吹は最高だったからこそ、今度はまたミコトや晶のような女性主人公のドラマが見たいとも感じていた。女性バディも見たかった。それら一野木ファンの願望すべてが最高の形で結実したのが「フェンス」で、今のところその期待通りというか、それを上回るクオリティだ。
ルーツ、そして性的暴行というテーマ
「フェンス」は宮本エリアナのデビュー作でもあり、松岡茉優は既に多数の作品に出演してきた実力派俳優としてリードする形になる。制作陣は沖縄出身の人物が非常に多く、キャストも50人以上が沖縄出身。メインテーマや劇伴も沖縄出身のアーティストが携わる。
ミックス、そして沖縄を描くにあたり、画面上のストーリーや風景以外の「ドラマ制作そのもの」においても、ルーツというものに徹底してフォーカスしている。
私はドラマ版「逃げ恥」の大ファンでもあり、みくりを演じていたガッキーが大好きだ。野木作品の中で森山みくり、そして深海晶を演じ、今回は「沖縄出身の女性として」演技に携わる新垣結衣も、本当に楽しみだ。
「フェンス」は沖縄に横たわる問題をきわめて多層的に描いた物語ではあるのは確かだ。しかし野木氏は登場人物のセリフの中で「沖縄の問題じゃなくて日本の問題です」と明言させていることも念頭に置く必要がある。
この作品の最大のテーマである、桜が受けたような「性的暴行」は、未だあらゆる場所に横たわっている。そして沖縄は、今は日本の一部であり、アメリカから返還されてから50年が経った地である。
桜が抱える深刻な問題は、確かに沖縄ならではの複雑さを内包しているかもしれないが、それはすなわち日本に住む人々すべてが向き合い、解決に向かって動かなければならない問題でもある。
野木作品ファン、そして幼少期、そして青年期に(加害者は男女双方だった)レイプ被害・セカンドレイプを受けたひとりの人間として、私はこの物語に寄り添い、野木氏始めこのドラマに関わる全ての方々に連帯したいと思う。
PTSDで動けない日は今も続いているが、それでも「フェンス」をひとつのドラマ作品として、しっかり見届けたいと思う。