前回道理や理について書いたと思うんだけど皆実際に知識として蓄えた後自分の中で落とし込んで実際の自称に当てはめた際に違和感を感じなかった? 今回はその違和感の正体の解説するよ。 その前に~?教えてGoogle先生。 [矛盾] 1 ほことたて。 2 《昔、中国の楚の国で、矛 (ほこ) と盾 (たて) とを売っていた者が、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇ったが、「それではお前の矛でお前の盾を突けばどうなるか」と尋ね
最近よく思うのは同じ人間なのに認識のズレが多いのはなんでだろうって悩んでるんだよね。 なのでなまら頭使って考えてみたよ。 多分だけど無意識の部分を意識して言語化しようと思った事がある人が少ないんだろうね。 もしくは百聞は一見にしかず。 実際に過去の事象で学んで理解した事があるかないかの違いなんだと思うんだよ。 だから意識した人(気づいた人)と意識してない人(気づいてない人)で1つの事例で認識がズレちゃうんだなきっと。 例えばなんだけど ☆例1 舞台は交通量の少ない比較的
前回影響力の話を少ししたと思う。 影響力を削る=弱体化って話ね。 第三者の他人様方が我々人間共の仕事ぶりや人間性を評価してくださる世界線である人間社会で暮らしてる以上影響力ってなまら大事なんだよね。 まぁ暴力やバック力も同じくらい対人スキルでは大事なんだけどその2つも影響力である程度賄える時代だしね今は。 後基本的に他人様は基本自分の事でいっぱいよね余裕ないよね忙しいもん。 だから興味を持ってもらう所からがスタートよね。 どんだけ善人でもそんなつもりなくても大勢の他人様
第三者の意見や要望、思惑や強制力に翻弄されながらも何とか自分の理を取ろうとしている哀れな皆様こんにちは。僕です。 今日は損得の話をしようかな。 その前に世の中の基本ルールのおさらいだね。 すべての生物がそうなんだけど人間も漏れなく生物である以上 1 身体が頑丈である(戦闘力and免疫力) 2 知能が高い(学力and応用力) の2つは必須項目だよね。 人間社会に出たらルックスやお金って項目も沢山増えるんだけれども基本はこの2つで出来てる気がするなぁ。 身体が頑丈なら普通の
愛着と執着が同じって前の回で書いたとおもうんだけど分かりにくかったかな。 どっちも何らかの理由で第三者から見れば何故拘ってるかわからないのにその人の中では何らかの価値があるから同じだなぁって思うんだよねぇ。 昔の友人から貰ったライターだから大事にしている→愛着。 もう3万も突っ込んだからこのスロット台から離れられない→執着。 どちらも状況やエピソードトークが付随してないとただのライターだしただのスロット台だよね。 結局各々自分の中で完結してるだけで第三者目線だとどちらなの
本来人間の1番健康的なマインドはやりたい欲求に素直になれる状態を指す。 しかし各々の欲求を外的要因(社会、家族等)で阻害された場合機能不全を起こしてしまう。 現在の社会だと必ず何処かで誰かがけつまづく資本主義の為流行が遅れたり人数が少なく交流の輪が狭い地方都市や家族間に何らかのトラブルがある家庭は精神的に幼い時期から機能不全を起こす場合が多い。 そうなった場合の消化されなかった欲求は他者への投影や他の欲求で解消される事が多い。 例を出せばアイドルブームが廃れたないのはこの為