西行の足跡 その41
39「見るも憂しいかにすべきか我が心かかる報いの罪やありける」
聞書集・198
この地獄絵は見るだけで辛い。やがて私もそこに堕ちていくに違いない、と感じている私の心を、私はどうすればいいのか。このよう報いを受けるに価する、どんな罪を私は犯したというのか。
「地獄絵を見て」という詞書きがある、いわゆる地獄絵二十七首の最初の一首である。和歌に「地獄絵」も詠まれた。『往生要集』に描かれた地獄を基にしてのものだ。
「三瀬川渡る水棹もなかりけり何に衣を脱ぎて掛くらん」
拾遺集・雑下・道雅娘
三途の川は舟で渡れないから、舟を漕ぐ棹もない。奪衣婆に衣服を奪われても棹がなかったら何に衣服を掛けるのだろう。
「あさましや剣の枝の撓むまでこは何の身のなれるなるらん」
金葉集・雑下・和泉式部
何ということだ。剣の枝が撓むほどに、人が刺し貫かれている。枝に実った実ではあるまいし、どんなひどい罪を犯すとこんなことになるのだろう。
「好み見し剣の枝に登れとて苔の菱を身に立つるかな」 聞書集・202
生前剣を好み見た罪により、その枝に登れと獄卒は行って、無知に就いた木の実ならぬ鉄菱を、私の体に突き刺すのだ。
さて、道雅娘の歌は、舟を漕ぐのも棹だし、衣服を掛けるのも同じ棹だと軽い機智に富んでいるのに比べ、西行の歌は自分自身が愛欲に満ちた人生を送っていると自覚があるからか、自分も地獄に堕ちねばならないという切迫感がある。そして、「枝」と「実」を縁語にした。さらに、西行は「剣の枝」に「木の実」と「菱」を縁語として配置した。そこで、愛欲の罪は武士の出自に関わる殺生の罪に転じる。
「たらちをの行方をわれも知らぬかなおなじ炎にむせぶらめども」
聞書集・212
父が死んでどこに行ったのか、行方を私も見失った。検非違使であった以上、どうせ私が堕ちるのと同じ阿鼻地獄の火炎にむせんでいるのだろう。
「なべてなき黒き焔の苦しみは夜の思ひの報いなるべし」 聞書集・208
尋常ではない黒い焔の中で苦しんでいる男女は、愛欲に耽った夜の思いの報いを受けているのに違いない。
しかし、「夜の思い」とは愛欲に限定されるわけではない。
「いかでなほ籠の中に鳴く葦田鶴の夜の思いを空に知らせん」
月詣和歌集・雑下・仲正
どうにかしてやはり夜の鶴が子を思って籠の中で鳴く、という子供の将来を心配する親の気持ちを、申し上げなくてもおわかりいただきたいですね。
子を愛する親の執着や恩愛を表す「心の闇」である。子を愛するあまり、子を思うあまりに揺れ動き、戸惑うしかない親心については、人の親であれば誰しもよく分かる。
紫式部の曾祖父としても知られた、高名な歌人の藤原兼輔(かねすけ)にも次の歌がある。
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」
(後撰集・雑・ 兼輔朝臣)
子を持つ親の心は闇というわけではないが子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな。
これは醍醐天皇の更衣となった娘の身を案じての親心の歌だといわれている。
やがて、聞書集の中では、地蔵菩薩による救済が描きだされる。
「すさみすさみ南無と唱へし契こそ奈落が底の苦に代りけれ」
聞書集・223
気まぐれに「南無地蔵大菩薩」と唱えただけの因縁で、死後地獄の底に堕ちた時の苦しみを、地蔵が代わって受けてくれるのだ。
「朝日にや結ぶ氷の苦は溶けむ六つの輪を聞くあか月の空」 聞書集・224
朝日に氷が解けるように、地獄の苦は氷塊したのだろうか。六道輪廻のーから解放される音として、地蔵大菩薩がやってくる錫杖の六環の音を聞いている。
しかし、西行自身が罪からの解放を感じていたのかどうかは、分からない。
幼少の条