相聞歌その5
第五首
現代の相聞歌としては、私がもっとも好きな一つであり、最高峰でもあると思っている。
あの夏の 数かぎりなき そしてまた たつたひとつの 表情をせよ (小野茂樹)
どのように工夫したらこのような素敵な歌が詠めるのだろうか。まるで映画の一シーンを切り取ったような歌である。短歌一首を読んだだけで、瞬間的に映画のようなシーンが脳裏を過ぎるなどという経験はほとんどないが、この一首だけは、そのような経験をした。
真夏の湘南で出会い、恋に落ち、微笑み合ってはまた泣き合う。短い夏に映画を見たり、散歩したり、喧嘩をしたりした想い出が、互いの胸にはぎっしり詰まっている。そして、抱き合い、夏の想い出を分かち合った二人の、最高にして至高の表情がそこにはある。
しかし、その最高にして至高の表情とは、泣き顔か、笑顔か、それともしらけきった顔つきか、あるいは恋の駆け引きに疲れ切った表情か、あるいはそのいずれもが少しずつ混ざり合った表情なのか、判然としない。それは読者が勝手に決めればよいことだ。
私だったら、短い夏の短い恋との別れを目の前にした、女性が泣きながら無理矢理に笑顔を作ろうとしている可憐な表情を思い浮かべたい。
作者は34歳という若さで亡くなった。それだけに若々しさに溢れたこの歌は、私を時々貧しかった青春時代に引き戻してくれる。